すまりんの てくてく ふたり旅

部屋付き温泉のある素敵な宿と美食を求め 夫のすまきと全国飛び回ります!

霊山登山&天才無敵美少年のお話(福島県)

すまきとすまりんは 福島県霊山(りょうぜん)に登ってきました

 

登山のお話の前に

歴史的主人公のご紹介を…

 

彼の名は 北畠顕家(きたばたけ あきいえ)

 

学問の家に生まれたスーパーエリート✨

十代半ばで国政の中枢に抜擢された 天才美少年貴公子

1991年のNHK大河「太平記」では後藤久美子さんが顕家役を演じられました

政争の余波で東北に左遷されるも

たちまち荒くれの奥州武者を従え

帝の危機に10万の大軍を率いて破竹の進撃!

敵を散々蹴散らしたけれど… 報われず (>_<)

帝に忠誠を尽くしながら 戦いのなかに非業の死を遂げた悲劇のヒーロー

 

そんな漫画の主人公のような人物が かつて日本に存在していたのですね…

今回は 顕家さま♥にゆかりが深い霊山の地を訪れたというわけです

 

霊山は 宮城県との県境に近い阿武隈高地の山中にあります

東北中央自動車道 相馬福島道路の霊山飯館ICで下りると🚗

すぐに霊山の山容が迫ってきます

 

「りょうぜんこどもの村」の無料駐車場に車をとめて 山を目指すことにしました

開園時間前ですが 駐車場は開いていました

 

7:20スタートです!  

実はすまりん 前日から軽いギックリ腰を患っておりまして^^;

ゆっくり歩くことはできるのですが 腰をかがめると激痛が(>_<)

でも 根性で 登るつもりです(^_-)-☆

 

登山口まで舗装道路を上って行きます 🐾🐾

ここまで登ってきたところで

『300m先 霊山登山口駐車場』の看板が👀

すまきがもと来た道を走って車をとりに戻りました💨

すまき ごくろうさんです(^_-)-☆

 

すまりんは ゆっくりのペースで坂道をのぼりましたが 先に駐車場に到着です

登山口駐車場も 整備された広い駐車場です

左手に見える建物はお手洗いです

紅葉の季節にはたくさんの人が訪れるようです

 

美男子系のアニメ調ののぼり旗の中に 顕家さまのお顔が拝めるかと思ったら…

ここは伊達市霊山町「仙台伊達家」発祥の地 ということで

伊達政宗関連の方々ばかり^^;

いまだに顕家さまは報われませんね (>_<)

 

天気はまずまずです(^_-)-☆

難攻不落の霊山城は あの断崖の上にあります⤵

そこまで高い山ではありませんので わりと簡単に登れそうです

 

こちらが登山口⤵

パンフレットも準備されていて ハイキングコースとして整備されていました

 

すまりんの腰と相談しながら 周遊コースをたどって歩くことにしました

※周遊コースは地図に赤茶色の線で示されていて 所要時間は4時間です

 

あらためて…

7:38  登山開始です

しばらくはゆるい坂道が続きます…

 

そして いつものように すまきが語り始めました(笑)

北畠顕家南北朝時代の人なんだけど

すごい美少年でね!

子供のころに…

山道の写真が続きますので…

すまりんが調べたことも追加しながら 歴史のお話をさせて下さい

 

顕家さま北畠顕家卿)は南北朝時代の人です

鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇のもとで始まった建武の新政ですが

15歳の顕家さまは 当時5歳だった後醍醐天皇の第七皇子 義良(のりよし)親王を奉じて

いまだ不穏な情勢の東国・奥州に下向させられることになりました

政権内の勢力争いによるものだともいわれています…

文系のエリート美少年は ここから「戦う美少年」に変貌します

鎌倉北条氏の残党を津軽まで追い詰め

わずか1年で奥州を平定し その功績で「鎮守府大将軍」に任命されました

 

ところがその頃 鎌倉の足利尊氏が反旗をひるがえします!

大軍が京に迫り 後醍醐天皇は危機一髪の状況に陥りました

その時 顕家さまは 奥州から5万の軍勢を率いて

鎌倉にいた尊氏の弟 直義を蹴散らし

京都まで600㎞の道のりをわずか半月で駆けつけたのです!

今でこそ ささっと日本中移動できますが

当時は徒歩か せいぜい馬くらい…

山を越え 道なき道を行き 橋のない所は川も渡らないといけません

1日平均40㎞という驚異的なスピードは

本能寺の変」の秀吉の"中国大返し"の倍以上の速さだと言われます👀

楠木正成と合流した顕家さま

豊島河原(大阪府箕面下流)で尊氏を撃破し 九州へと駆逐しました

その後 顕家さまは 奥州に戻りましたが

九州で勢力を盛り返した尊氏は再び都に攻めのぼり

湊川兵庫県神戸市)の戦いで 盟友 楠木正成が戦死してしまいます(>_<)

奥州にも不穏な空気が流れ

顕家さま仙台市の近くにあった「多賀城」から国府をここ霊山に移しました

戦に使う刀や矢じりを作っていたのでしょうか…

鍛冶小屋岩という表示がありました

見上げるような崖に挟まれた 狭隘な道がうねうねと続きます

 

崖から水が噴き出していました

籠城に大切な水の手も豊富そうです

 

15分ほど坂を登りつめると「宝寿台」という看板がありました

大きな岩にすごいはしごが掛かっているのが見えます👀

高いはしごで 見上げたらくらくらしました

でも 登らないわけにはいきません…

まずは すまりんが勇気を振り絞って(笑)

ほとんど垂直なんですが 途中で微妙にカーブするんですよ^^;

恐ろしさが伝わるでしょうか^^;

 

 登った甲斐があって 絶景でした(*'▽')

「りょうぜんこどもの村」の建物が見えています

下から見上げた断崖絶壁の頂上に出たようですね

真ん中あたりの一番高いところがここ宝寿台です!

 

カッコつけてるのではなく 単に腰が痛い すまりん(笑)

すまきが先に はしごを降り始めました

下りの一歩目が怖すぎ(>_<)…だと思いませんか?

怖くてこれ以上先は覗けませんでした

 

はしごにしがみつきながら 震える片手で撮影した1枚

 

1歩降り始めると…

後はだんだん地面に近づいていると思うと余裕ができました(^_-)-☆

 

 

宝寿台からすぐに もう一つ「見下し岩」という眺めの良い場所があります

こちらです↘

岩壁の向こうは 福島盆地と吾妻連峰です

この方向に スコリア丘の吾妻小富士が見えています

すまりんには 最初 どこか分かりませんでした^^;

🔎望遠したら 分かりました!

以前ブログでご紹介した吾妻小富士↓

実はこの時↑も すまりんは前日からギックリ腰で…

痛いのを無理して登山しました^^;

あ… でも ほんと たまたまで

年中ギックリ腰なわけではないですよ!

もしかして福島と相性がわるいのかな^^;

 

ここで道が二股に分かれていました

左側に進んで 帰りは右側から帰ってくる予定です

 

天狗の相撲場  の横← (笑)

そのままスルーしてしまいましたが ^^;

このすぐ近くに怖そうな階段があって 上がると断崖絶壁に出るそうです

そこが「天狗の相撲場」だったようです^^;

登ったかたが投稿されたYouTubeもあるので 気になるかたは検索してみてください(^_-)-☆

 

そういえば 山中を歩いていると どこからともなく法螺貝の音が聞こえてきました

天狗が出てきそうな雰囲気はあります…

 

ここから少し下って 巨岩の縁を巻いていきます

このスポットは 親不知子不知(おやしらずこしらず)と言います

「親は子を忘れ 子は親を忘れ」

自分のことで精いっぱいな場所という意味と思いますが…

鎖のガイドもあって そこまで危険ではないです(^_-)-☆

人の手でえぐったのでしょうか? 断崖に沿って道が作られています

 

岩がトンネルになっています

急に崩れたりしないか ちょっと心配になりますね^^;

上を見上げたら 眩しい光が差し込んできました

 

トンネルを潜り抜けると…

見晴らしのよい場所に出ました(*'▽')

護摩というそうです

岩がいい感じに屋根になっていますね↘

霊山は古来 山岳信仰の場所であり 慈覚大師によって霊山寺が建てられました

この地は「北の比叡山」と称され 奥州南部の宗教・文化の中心地となりました

最盛期には120を超える堂塔伽藍が立ち並んでいたそうです…

 

 

再び岩場を登ります

「ポーズをとって」と すまきを振り向かせたら…

すまきが滑って 手を擦りむきました^^;

ごめんなさい…

 

すまきは怒っているわけではなく マイペースで歩いています

クマザサが生い茂る道…

蛇が出そうで ちょっと怖かったです^^;

 

一気に視界が開けました!

国司館跡と伝えられている場所です

霊山は断崖に囲まれていますが

頂上には平坦な場所が多くて このあたりにも建物が多く建てられていました

顕家さまがおられた霊山の中心区域にあたります

陸奥守(国司)も兼任されていた顕家さま

現在の多賀城市にあった陸奥国府を ここ霊山の山頂に移しました

霊山寺の堂塔を改築して利用したようです

 

こちらが移転前に国府のあった多賀城宮城県多賀城市

 

 

国司館跡のすぐ近くに「霊山城跡」の看板もありました

この辺りを歩いている時 目の前を蛇が横切りました👀

 

ふたたびすまりんたちは藪の中に突入…

蛇を見てしまったので さらに怖かったです(>_<)

こういう時に限ってポイズンリムーバーを持ってくるのを忘れました^^;

※埼玉県のお宿で 寝てる時にムカデに噛まれてから 持ち歩くようになりました…笑

 

湊川の戦い楠木正成が討たれ 後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を開きます

北朝に奪われた京の都を取り戻せと 後醍醐天皇の要請を受けて 顕家さまは今度は10万の大軍を組織します

関東・鎌倉と歯向かう敵を次々に打ち破り 青野原(今の関ケ原付近)の戦いで迎え撃った足利勢を撃破しました!

しかし 時代の趨勢は足利氏の北朝方に傾いていました

武士の心は南朝方を離れ 戦っても戦っても敵が湧いてきます

無敵無敗を誇った顕家さまも ついに石津(大阪府堺市)の戦いで破れ

200騎となった供回りとともに最後まで奮戦しましたが ついに落馬して討ち取られてしまいました

享年21歳でした…

 

霊山城は顕家さまの弟が守っていましたが

ついに落城し 山上の堂塔伽藍は焼き払われたと伝えられています…

 

写真はありませんが 行く手に蜘蛛の巣が掛かっていて グロテスクで大きな蜘蛛もいたため 不安になって 地図で道を確認中…

急な下り坂…

 

ここからさらに向こうの峰にも遺構があるようですが…

生い茂る夏草と 何度目かの大きな蜘蛛にビビッて断念^^;

当初の予定通り ここから「東物見岩」経由で戻って行きます🐾🐾

「東物見岩」の看板がありました

ちょっと険しい崖をのぼります

 

東物見岩に到着

そして ここが霊山最高峰です!

すまりんは まだ腰が痛いのを我慢しています…

「魔女の瞳」を見に行った時は 突如としてギックリ腰から解放されてビックリしましたが 今回はずっと同じ状態が続いていました

 

東物見岩を下りてすぐの所に学問岩がありました

霊山寺の僧が修行をした場所と聞きましたが…

詳細は わかりません…

 

お次は 蟻の戸渡りを行きます

修験道の行場で「蟻の戸渡り」といえば…

たいていは両サイドが切り立った尾根の上を歩かされます

怖そうに見えますが 実際はそこまでではなかったです

足を踏み外したら真っ逆さまなので 慎重に行きましょう…

 

蟻の戸渡りを終えて50mの所にこの看板が⤵

寄り道になるので スルーしようとしたのですが…

百人一首にも出てきそうな「天の釣り船」という名前に惹かれて…

 注)百人一首のは海人(あま)の釣り舟 です

 

この向こう側に回れるようになっていました

 

巨大な岩が 浮いているように見えます

「天の釣り船」は空中の釣り船という意味でしょうか…

すごい感動はありませんでしたが 5分ほどの寄り道ですみました

 

 

望洋台

名前のとおり 遠くに海が見えるはずですが 草が茂り過ぎて視界が^^;

 

五百羅漢岩

鍾乳洞などでもよく聞かれる名前ですが ありがたい岩ということですね

 

五百羅漢岩のすぐ近くに弘法突貫岩がありました

近寄ってみると…

いくつもの深い穴が開いていました

弘法大師が錫杖で貫いたのでしょうか?

岩の向こう側には回れなかったので実際に貫通しているかは確かめられませんでしたが おそらく途中までかと…

 

寄り道になるので「弁天岩」には行かなかったのですが⤵

正面に岩を望めるスポットがありました

草が茂って見づらかったですが ちょこっと見えていますね

 

日暮岩入り口(最初の分岐点)に戻ってきました

 

すまりんは左手首と右の掌に… すまきは小指に…

それぞれすり傷を作りました^^;

軍手持参がよいかもしれません

 

まもなくゴールという所で小雨が降り始めましたが

なんとか無事に登山口に戻ってきました

頭がもじゃもじゃ!

 

本日の行程(ピンク色でなぞってみました)

弁天岩の往復はありませんが周遊4時間コースのほとんどを歩ききりました

 

ただいまの時刻は10:24

ゆっくり歩いても 3時間弱で戻って来れました

じっくり景色を見たり お弁当を食べたりしたら ちょうど4時間程になると思います(^_-)-☆

 

雨雲に覆われた霊山

このあと 急に雨が激しく降り出しました

 

すまりんたちは車に乗り込みました🚗

30分ほど車を走らせたところに 霊山神社があります

こちらには顕家さまと お父上の親房卿が祭られています

北畠親房卿は神皇正統記を書かれた人として有名ですね…

日本史の教科書にも出てきました

 

顕家さま銅像がありました💛

美少年の定義も時代によって変わるんですね…

 

神社を参拝するのに階段を上ろうとしたら…

なんと 見上げるような階段でした👀

 

看板を見ると…

車でも神社近くまで行けるそうで…(*^^*)

 

普段ならはりきってチャレンジするところですが…

すまりんの腰の安静のため(←今さら) 断念^^;

 

車で登らせていただきます🚗

車の参道は狭いうえに かなりの急坂でした^^;

でも歩いて10分登るよりは ましですね  

少なくとも 助手席のすまりんは らくちんです(^_-)-☆

 

車の底を擦りそうな坂を乗り越えたところが 駐車場でした

車をとめて ちょっとだけ徒歩で坂を上がります🐾🐾

 

さっきの階段参道がここで合流します↘

これは大変そう^^;

 

ようやく神社にお参りできました(*^^*)

参道に顕家さまの顔出しパネルがありました

普段は顔出しパネルにあまり興味を示さないすまきですが…

「ここは僕だね!」と積極的にパネルから顔を出してみせました


 .....

 



以上 霊山登山と美少年の北畠顕家さまのお話でした

 

次回は

立ち寄りで利用した「花月ハイランドホテルの貸切湯」のご紹介です(^_-)-☆

南総里見八犬伝のふるさとを訪ねて ~伏姫籠穴・滝田城址~(千葉県)

すまりんたちは南総里見八犬伝の里にやってきました

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南総里見八犬伝は江戸時代後期に滝沢馬琴によって書かれた長編小説です

なんと原本は全98巻 106冊もあるそうです👀

もちろんフィクションなのですが 実在の人物や場所が虚実交えて描かれています

このため舞台となった房総半島南部には 八犬伝ゆかりの史跡がいくつも残っています

今でいう"聖地巡礼"は江戸時代からあったのですね!

 

南総里見八犬伝」は映画化されたのを見たことがありますが

本来の小説のほうから 今回の記事に関係ある部分をあらすじとして書き出しました

 

~このお話は 関東の合戦で討ち死にした父と別れて わずかな家来とともに南房総にあった安房の国に落ちのびた里見義実の話からはじまります~

 

むかしむかしの 室町時代

 

悪女 玉梓に溺れた安房 滝田城主の神余光弘は  

彼女と密通していた奸臣 山下定に謀殺され 国は大いに乱れていました

 

里見義実は 逆臣の山下定包を討ち

落ち武者の身から一気に安房半国の領主となりました

 

玉梓は

「里見の子孫を畜生道に落とし 煩悩の犬にしてやる」

と呪詛の言葉を残して斬首されました

 

時はくだり…

 

里見領の凶作に乗じて 隣領である館山の安西景連が攻めてきました

 

落城を目前にした義実が 飼犬の八房🐕

「景連の首を取ってきたら娘の伏姫を与える」

と戯れを言ったところ…

その夜のうちに 八房は景連の首を咥えて戻って来ました🐾

 

大逆転で安房の統一を果たした義実…

八房に豪華な褒美🍖🥩🍗を与えてみましたが 目もくれませんでした

 

『娘を犬に嫁がせるわけにはいかぬ』

と 義実が八房を槍で殺そうとしたところ…

伏姫は『君主が言葉を翻すことの不可』を説き

八房🐕の背に乗って富山(とやま)の山奥の岩室に身を隠しました

 

伏姫は 富山で読経の日々を過ごしました

しかし常に護身刀を持って 八房を近づけさせませんでした

 

翌年…

伏姫は 山中で出会った仙童から

 • 八房が玉梓の呪詛を負っていたこと

 • 読経の功徳によりその怨念は解消されたこと

 • 八房の気を受けて子を宿していること

を告げられました

 

懐妊を恥じた伏姫は

折りしも富山に入った父 里見義実の前で自害割腹し(>_<)

胎内に犬の子がないことを証してみせました

 

傷口から流れ出た白気(白く輝く不思議な光)は 伏姫の数珠を空中に運び

仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌

の文字が記された八つの大玉を飛散させます

 

やがて 関八州の各地で

飛散した数珠の一玉を持ち 共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士が生まれます

八犬士は それぞれに辛酸を嘗めながら 因縁に導かれて互いを知り

里見家の下に結集して 危難を救うことになる…

 

 という大長編の物語です

 

これから向かう伏姫籠穴は富山(とみさん)の中腹にあります

すまりんたちは車で行きましたが 車で大丈夫なんだろうか… と不安になるような道

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見覚えのある切り株がありました⤵

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ブログで親しくして下さっているかげとらこさんid:kagetora5が 以前 伏姫籠穴についての記事を出されていて この切り株の写真を載せておられました

切り株のイメージについて言及されていたのがすごく面白かったです

kagetora55.hatenablog.com

(私も そのように見えました^^;)

 

細い道はまだ続きます…

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かげとらこさんが歩いて行かれた道…

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ようやく建物が見えてきてほっとしました

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上の写真の建物はお手洗いで 外には自由に使える杖が置かれていました

前の広場には 車を数台とめられるスペースがありました

「伏姫籠穴」へはお隣のこちらの門からアクセスします🐾🐾
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まずは数十段の石段を上っていきます🐾🐾

 ※怖い写真ではありません(笑) 

 

一旦 平らな道になり また緩やかな階段が始まります
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途中に休憩所がありました
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この日は格別暑かったですが^^; もうゴールは目前です
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上の写真の突き当りにちらっと見えていますが…

「伏姫籠穴」の手前に丸い広場がありました

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周囲にベンチがあり休めるようになっていましたが とにかく暑かったです

下を見ても階段が見えるくらいで 特に眺望はありませんでした

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柵の欄干には八犬士の名前が刻まれていました⤵


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広場のすぐ近くに「伏姫籠穴」はありました

 

門をくぐる時 ちょっと緊張しました!

(パンプスでは)ちょっと登りにくい階段が10段ほど…

 

ここです!

伏姫と八房が暮らしていたとされる洞窟…

中をのぞき込むと奥に8つの玉が並んでいました

昔の人は よくこんな それらしい洞窟を見つけたものですね!

小説にも 「洞窟は南面して光が入り 中まで明るい」とされていましたが…

その通りでした!

 

平面図

断面図

フィクションだとわかっていても なんだか不思議な"気"のようなものを感じました

(単純なすまりんです)

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仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌

これらは 八徳儒教における八種の徳)を表す文字です

徳の薄いすまりんにはよくわかりませんが^^;

儒教思想の根幹である五常(仁・義・礼・智・信) に 忠・孝・悌が追加されたものが八徳だそうです

 

ーーーーーーー

 

すまりんたちは もう一つのスポットを目指します🚗

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目的地は「南総里見八犬伝」の冒頭の舞台となった滝田城址です

 

また 狭い農道のような道を走っていきます🚗
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「滝田城址 駐車場」と書かれた案内板がありました
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坂を上がった所に駐車場(無料)がありました

誰もいません…  車もありませんでした

激しく草が生い茂り 案内板も草に覆われています

城マニアのすまきが下調べしてくれているはずですが 大丈夫かな^^;

遊歩道や展望台が整備されているそうですが…

登山口はこんな感じでした⤵

獣除けの柵を自分ではずしてから登ります

すまりんはこういう柵を見るといつもすごく怖くなります…

怖い動物がいたらどうしよう^^;


柵の向こうは夏草がいっぱいで道が見えないところもありました
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特にこの時期は あまり人が訪れないのでしょうね^^;f:id:aranciarossa:20220801164517j:image

蜘蛛の巣がいっぱいかかっていたので 先導はすまきです
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でも 蛇が出たら…

後ろを歩いている人が噛まれると言いますね^^;

すまきが城マニアだから こんなとこまで連れていかれる(>_<)

 

…そんなことを考えながら クソ暑い山を歩きました🐾🐾

 

途中で がけ崩れの跡がありましたが ぜんぜん整備されていません

すまき!そんなとこ行くの!?
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すまりん こんな格好なんですけど…(笑)f:id:aranciarossa:20220801164521j:image

 

容赦ないすまきは ずんずん進んでいきます(笑)
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「ところどころ 堀切を思わせる遺構があるよね!

左右が急峻に切り立った尾根上の道は 攻め手は一列で進まないといけないから…」

すまきのひとりごと解説は続きます

はいはい ちゃんと聞いていますよ

 

たしかに こういうのって 攻めるの難しそうですね^^;

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そういえば 途中からは歩きやすい道になっていました(*^^*)

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まもなくゴールです🚩

房総半島南部のこの地「安房国」は戦国時代 里見氏によって支配されました

伏姫の父のモデルとなった里見義実は安房里見氏の初代にあたりますが その詳細は伝説的で不明です

里見義実の頃から100年近くのち 里見家では「天文の内訌」というお家騒動があって 分家が主家を乗っ取る戦いがありました 

この城は主家側の拠点の一つだったようなので 実際の攻防があったのかもしれません

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伏姫が八房に乗って天を翔る姿を現わしたブロンズ像

その奥に展望台があったようですが 今は土台しか残っていません

ところで…

夏至後の 第3の庚の日を「初伏」

     第4の庚の日を「中伏」

立秋後の最初の庚の日を「末伏」

 といい この三つを合わせた夏の最も暑い時期を三伏(さんぶく)というそうです

夏の末に産まれたので 三伏にちなんで伏姫と名付けられたそうですが

実は「伏」という字は「人にして犬に従う」という呪があったのだとか…

 

八房🐕は 首から尾まで八か所に黒い斑毛(ぶち)があったので八房と名付けられたそうです

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実は 主郭はもう少し進んだ先にあるようですが 時間が無いのと暑いのと 藪が酷いのでこれ以上進むのは断念


伏姫像を見るのが目的だったのでこれでよしとします(^_-)-☆

八房… かわいい顔をしていました(*^^*)



次回は鴨川市にあるお宿「中屋」のお話です(^_-)-☆

金山城と猫絵の殿様😸(群馬県)

遠くに富士を望む冬の上州路…

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まっ平らな関東平野に ぽつんと島のように浮かぶ丘陵があります

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北関東自動車道の 「太田桐生インターチェンジ」 にほど近いこの山が…

今回訪れる 金山城です⤵

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駐車場完備されているので 車でアクセス可能(^_-)-☆

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    金山城のパンフレットより⤵

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新田義貞は1333年 難攻不落の鎌倉を攻め落とした南北朝時代の武将ですが 足利尊氏室町幕府を興すにあたって滅ぼされてしまいます…

直系の新田は滅びましたが 一族の血を引く人々のなかで尊氏の味方をした岩松が領地を相続し 「新田岩松を名乗りました

金山城新田岩松によって築城され その居城とされました

 

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太田市教育委員会パンフレットより改変

 

城山の中腹にガイダンス施設があり 金山城について学ぶことができます

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建物の前に車が数台とめられる駐車場があります

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斬新でモダンな建物✨と思ったら 隈研吾のデザインでした

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入場無料!

展示室内は撮影禁止でしたが 室外にジオラマ模型がありました

 

【物見台・馬場下通路の模型】f:id:aranciarossa:20220115124719j:plain

 

【大手虎口の模型】

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ガイダンス施設から車で5分程…  山頂近くに駐車場があります

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駐車場から階段をのぼったすぐのところが 西城になります

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広い削平地の連なる尾根伝いを 実城(本丸)方面に向かいます🐾🐾 

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左に行くと 公園(ぐんまこどもの国)があります

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「ぐんまこどもの国」は 曲がりくねった滑り台やサマー ボブスレーなどがある大きな公園です

大人も楽しめるのかな…

この日は空気が冷たく 風が吹くと耳がちぎれそうに痛かったので 寄り道はしませんでした

まっすぐ本丸へ向かいます🐾🐾

 

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坂道を登っていくと…

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「堀切」がありました

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「堀切」は すまき監修『山城シリーズ』の記事には何度も出てきましたが…

主に山城で 外敵の侵入防止や遅延のために尾根筋を横切るように溝(堀)を造ったものです

見学コースは「堀切」を渡ってまっすぐに進みますが…

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本来の道は石敷きになっている「堀切」の底に下り…

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斜面を一旦下って…

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斜面沿いに設けられた桟道(かけはしみち)を進むようになっていました

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見学コースを進むと 立派な石垣が見えてきました

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馬場下通路と名付けられています

 

道は細くなり 歩きにくいようにわざとゴツゴツした敷石になっています

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巨大な堀切と切岸

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崖の上には昔 物見台櫓があったようです

ジオラマ模型↓では 物見台櫓が設けられていますね

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ここに門があって 虎口(こぐち)になっていたようです

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山すそへ 竪堀が続いています…

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馬場下通路をさらに進みます🐾🐾

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左へ上がると物見台です(ジオラマ模型で櫓が置かれていた崖の上です) 

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馬場曲輪

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柱穴の遺構がありました

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馬場曲輪の奥は大堀切になっていて 実城(本丸)との間を遮断しています

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なだらかな坂を下ると…

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大堀切と大手道の交わるところに 月の池とよばれる貯水池があります

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山頂付近にもかかわらず 水量豊富です!

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籠城しても水の手に不安はなさそうです…

 

左奥が馬場曲輪  中央奥が大堀切↓  右側が実城 です

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池は寒くて凍っていましたが 猫さんがお水を飲んでいました

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落っこちないか心配でした…

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金山城のクライマックス 大手虎口です!

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ジオラマでは櫓門が設けられています↓

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排水溝が整備された石畳の道…  まるでポンペイの遺跡のようです

『石垣が発達した関西の城と異なり 関東の城は土塁ばかり…』というかつての定説を覆した巨大な石垣遺構

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緩やかなカーブを描いた階段状の道は奥に行くほど狭くなっています…

遠近法を利用した錯覚効果も狙っていたのですねf:id:aranciarossa:20220115130845j:plain

江戸時代には廃城となっていた中世山城とは思えないような立派な遺構です✨

金山城日本100名城に指定されていて 関東七名城のひとつでもあります

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井戸と武器庫兼詰め所

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大手虎口の上にも まるでヨーロッパの公園のように美しく整備された池があります

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日ノ池

直径15mあまりの日ノ池は 生活用水の確保というよりも 雨ごいや戦勝祈願のような儀式に使用されたとされています…

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平安時代の祭祀遺物も発見されていて 築城以前から神聖な場所だったようです

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さらに登ったところが御台所曲輪で 新田神社の参道になっています

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主郭にあたる部分は本城や実城(みじょう)と呼ばれています

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明治8年金山城の城主の祖先であり 南朝勤王の武士であった新田義貞を祭る新田神社が創建されました

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関東平野を一望できるすばらしい眺めです

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名族 新田の流れをくんだ 新田岩松の時代も戦国時代に終わりをつげます…

 

下剋上の時代 岩松重臣 横瀬が次第に力をつけて主家を凌駕し 金山城は乗っ取られてしまうのです

そして横瀬はを新田家にゆかりの地名にちなんで 自らを「由良」に改姓するとともに 新田の末裔を称しました

由良上野国群馬県)の有力な国人領主として勢力を広げます

 

しかし この地は…

南に小田原北条氏 西に武田氏 北に上杉氏 東に古河公方足利

四方を巨大勢力に囲まれて 狙われやすい場所でした

 

はるか東には筑波山が見えています

古河公方足利をはじめ 佐野・宇都宮・佐竹などの強豪が割拠していました

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良く晴れていると多摩・秩父の山々の向こうに富士がちょこっと見えるようですが…

残念ながらその姿を拝むことはできませんでした^^;

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南は東京都心⤵

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特に高い建物はスカイツリーでしょうか↓

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金山城といえば 女傑 妙印尼輝子の話が有名です✨

 

時は本能寺の変の直前…

滝川一益を大将とした織田信長軍が北関東に侵攻してきました

由良をはじめとした上州群馬県の諸将は 織田方に降伏し 関東の雄であった小田原北条と敵対することになりました…

そんななか 本能寺で信長が横死した報告が関東にも伝わってきます

反撃ののろしを上げた北条神流川の戦い滝川一益を駆逐し 再び上州に攻め入りました

北条と なんとか和睦した由良でしたが 祝勝に出仕したところを監禁され 金山城の明け渡しを要求されてしまいます…

城主が小田原に捕えられてしまった金山城の由良家では 城主の母で当時71歳だった妙印尼輝子が 家臣を引き連れ 城にたてこもりました!

 

金山城は北条軍に囲まれましたが…

具足をつけて長刀を持ったスーパーおばあちゃん妙印尼✨が兵を激励し 人質の息子を磔にすると脅されても 逆に北条軍に大筒を撃ち込み反撃するなど👀 大軍相手に善戦して落城しませんでした!

しかし多勢に無勢…

結局は息子の命と引き換えに 金山城は明け渡されることになりました(>_<)

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神社の裏側にまわると 本丸石垣の残存遺構が見られるようです

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こちらが残存石垣⤵

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本丸を取り巻く腰曲輪(武者走り)が馬場になっていたようです

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神社の裏手をぐるっと一周できます…

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金山城が北条の手にわたった7年後…

天下人となった豊臣秀吉による小田原征伐が行われ 北条は危機に陥りました!

秀吉の大軍に対抗するため 北条傘下の関東諸将は皆 小田原城に集められました

桐生に移っていた由良の当主も小田原に参陣しましたが 北条を嫌った妙印尼(当時77歳)は孫2人と家臣300騎を率いて豊臣方の前田利家軍に合流し「孫の後見人」として北条と戦ったそうです…

 

北条に与した由良家は取り潰しになるところでしたが 妙印尼の功績が認められて常陸茨城県牛久に5400石の領地を得て家名を保つことができました

 

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金山城から南西に10kmほどの太田市世良田に 太田市立新田荘歴史資料館があります

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金山城からこの一帯にかけて 新田が領有した新田荘がありました

 

新田義貞の像

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三河の在地領主である松平から身を起こした徳川家康江戸幕府を開くにあたって自らの家系の権威付けを求めました

八幡太郎源義家の時代から 一応武家の棟梁」は源氏が継ぐという伝統があります

いろいろ家系図の細工がなされた結果…

徳川家は清和源氏新田の分流である世良田から分かれた得川の末裔である ということになりました

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世良田の地は「徳川家発祥の地」ということで 今も世良田東照宮が祭られています

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ついては新田本家の方もそれなりの処遇を(そして家系図にも細工を…) ということで 新田の末裔を称する由良と岩松の双方が徳川家康に謁見することになりました

 

この時 岩松家系図を見せることを拒んだらしく 由良は7000石の所領を与えられたのに対し 岩松は新田郡市野井村に「わずか20石」しかもらえませんでした(>_<)

その後わずかに加増されて「120石」となりましたが 旗本の中では極貧クラスでした…

しかし将軍家と同じ新田一門として格式だけは厚く処遇され 大名(一万石以上の領主)に準じて参勤交代をする身分になってしまいました!

 

お金がかかる参勤交代! わずか120石では全く足りませんよね^^;

 

そこで岩松は代々「猫絵」を描いて売り 資金を集めたそうです

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(パンフレットより)

 

桐生織で有名なこの地方は養蚕が盛んだったので 猫絵はネズミ除けとして絶大な効果があると信じられていました✨

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「猫絵の殿様」が描く「新田猫絵」は関西にまで有名になり 横浜開港とともに欧州へも輸出されたそうです…

 

新田荘歴史資料館のなかに 猫絵の常設展示があります
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入館料:200円(中学生以下無料) 

開館時間:9:30~17:00 

 月曜・年末年始(12/29~1/3)休

※館内は撮影禁止なので写真はありません

 

すまりんも記念に猫絵のクリアファイルを購入しました(100円)

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可愛らしいですね(*^^*)♡

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明治維新後…

岩松と由良は新田嫡流をめぐって再び争うこととなりました

検討の結果 新政府は岩松を新田嫡流と認めて男爵に叙し 新田男爵の猫絵はバロンキャットとよばれるようになったそうです=^_^=

 

ネズミを見つめる須磨…

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かぷっ

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ネズミじゃなくて『ひも』がすき♡

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長い記事をお読み下さりありがとうございました

次回は みなかみのお宿「蛍雪の宿 尚文」のお話です(^_-)-☆

北飛騨の歴史と城めぐり

秋のある日 すまきとすまりんは 飛騨市神岡を訪れました

山はオレンジと黄色に染まって 美しい山里は紅葉の盛りです…

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神岡は鉱山で栄えた町です

神岡鉱山」は かつて東洋一と言われた亜鉛鉱山でした

しかし 精錬過程で排出されたカドミウム神通川水系を通じて下流に流れ 四大公害病のひとつ イタイイタイ病の原因となってしまったのです(>_<)

 

神岡鉱山は廃鉱となりましたが…

その坑道を利用して 東京大学宇宙線研究所のニュートリノ観測装置 スーパーカミオカンデが設置されています

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ニュートリノ」は物質を構成する最小の要素とされる素粒子のひとつで 理論的に存在が予言されていたものが この神岡で初めて存在が実証されました!

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これらの業績により 2002年に小柴昌俊先生が  2015年に梶田隆章先生が それぞれノーベル物理学賞を受賞されました✨

 

スーパーカミオカンデは普段見学することはできませんが 道の駅「スカイドーム神岡」に併設された ひだ宇宙科学館カミオカラボ(入場無料)でその内容を学ぶことができますf:id:aranciarossa:20211103165127j:plain

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(パネルの)梶田博士と 握手コーナー(*^^*)

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すまき!手が変だよ^^;

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 すまりんも 握手 ♡

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やっぱり違う…^^;

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右手をのばさないと 握手になりませんね^^;

けっこうからだをひねらないと 後ろ向きになりそうです



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宇宙科学館カミオカラボの すぐ隣に 江馬氏館跡公園があります

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開館時間:10時~16時(最終入館は15時30分)
  ※ 12月1日~翌年3月31日は冬季休館
料金 :大人 200円   小・中学生 100円

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江馬(えま)氏室町時代から戦国時代にかけて北飛騨を治めていました

発掘調査に基づいて会所(接客施設)・主門・庭園・土塀が復元されています

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戦国時代の館の復元は 福井県の「朝倉氏一乗谷」や 青森県八戸市の「南部氏根城」の例がありますが   江馬のような ちょっとマイナーな 地方国人領主の館がこれほど立派に復元されているとは 驚きです...

 

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ガイドさんのお話では 総工費は13億円だったそうです👀

国が10億!県が1億!合併前の神岡町が2億!出したということでした...

 

江戸初期以来 ここは田んぼになっていて 水田の中に残った大きな5つのは「五ヶ石」と呼んで「江馬の殿様の庭石だ」と言い伝えられていました

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     パンフレットより 昭和初期の写真

 

ここの田から収穫された米から 鉱山廃土に由来するカドミウムが検出されて土地改良工事が行われることになり 発掘調査の結果 伝説通りの庭園を持つ中世武家屋敷跡が見つかったのだそうです

 

巨額の補助金は公害補償的なニュアンスがあったのかもしれません...

立派な館はそのおかげとも言えるでしょうか...

 


館を囲む堀は「薬研(やげん)堀」と呼ばれるV字型の堀です

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薬草を刻む薬研の断面に似ていることからこう呼ばれています

こちらが薬研⤵ 

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堀が「浅いな…」と思ったら ...

実際には かなり深かったようです⤵

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主門をくぐって中に入ります...

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会所の中はガイドのかたが案内しながら 解説して下さいました

 

※礎石遺構から考証の上 推定復元したもので 当時と全く同じものではありません

屋根瓦の出土はなかったので 板葺きだったと考えられています

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広い館をぐるりと一周…

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納戸(←武者隠しの間)
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縁側から眺める庭園の景色は 中世の当時のままということです

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根の痕跡はなかったので庭園は植栽されておらず 導排水の設備もないので 池に水は張られていなかったようです

土塀は奥へ行くほど低くなっていて 遠近法で庭が広く見えるように工夫されています

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観音山(左)に傘松城という支城がありました 右は大洞山  

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盆地をぐるりと囲むように山城群で防御されています...

館の背後の山は これから登る高原諏訪城⤵ 

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山深い飛騨の里にこのような立派な館や山城群が設けられていたというのは驚きですが 神岡鉱山奈良時代に金を朝廷に献上したという記録があるそうですから 江馬は鉱山権益で裕福だったのかもしれませんね...

 

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高原諏訪城

江馬氏館の背後の山にある城が 館の「詰の城」であり 江馬の本城でした

館跡近くの登城口から徒歩でも登れるようですが 時間も無いので 中腹まで車で行きました🚗

2台ほどの駐車スペースがあると言われましたが…

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スペースが足りなかったので ここから少し離れた場所に車をとめました

 

尾根筋を主郭(本丸)に向かいます🐾🐾

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二重堀切 ※右の写真に線を入れました

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主郭の周囲には特徴的な帯曲輪がめぐらされています

主郭に登る道は細くて急で 油断すると崖から落ちそうです^^;

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10分もかからないで主郭(本丸)に到着🚩

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主郭は一辺50ⅿほどありそうな広さです(*'▽')

 

高原諏訪城の縄張り図(左端が 車をとめた場所です)

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主郭からは 江馬氏館を含め 神岡の町が一望できました!

素人写真にしては 良く撮れたかも(^_-)-☆

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奥に見える銀のドーム↘が最初に訪れた道の駅スカイドーム神岡です

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~ちょっと歴史のお話になります~

 

戦国の嵐は のどかな飛騨地方にも吹き荒れました…

建武の新政以来 「飛騨の国司」には もともと姉小路(あねがこうじ)氏という公家が任ぜられていましたが 内紛に乗じて岐阜の織田家と結んだ三木(みつき)氏という国人領主に家を乗っ取られてしまいました...

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続・戦国クラスタが作る!永禄3年(1560年)の全国戦国大名勢力図
世戸口正親氏(@Fransisco1530)より

       ⇩

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一方の江馬北アルプスの向こう側まで進出した武田家や上杉家と結びました

 

本能寺の変で信長が討たれたとの情報が入ると 江馬は飛騨の覇権をかけて 姉小路を乗っ取った三木を討つべく小島城を攻めました

しかし返り討ちにあって主君を討たれ 高原諏訪城も落城して江馬は滅亡しました

 

こちらの山が小島城跡

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無料の駐車場があったので車をとめました

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ここから徒歩で30分で登れるとのこと...

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登山口に いきなり 獣脱出防止の柵がありました!

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柵をくぐってみましたが... 

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木が生い茂り 暗い感じで ちょっと怖くなって断念(>_<)

登るなら 春先の雪が解けたころがよいでしょうか…

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ところで...

飛騨の北西部 「白川郷」一帯を支配していたのは内ヶ島でした

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白川郷の町並み

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飛騨の中でも陸の孤島と言ってよいほど峻険な地域であるこの一帯を支配した内ヶ島姉小路(三木)上杉謙信の侵攻を撃退して独立を保ちました

その後 織田の北陸侵攻に伴い 内ヶ島は織田軍の対上杉最前線となった富山城主 佐々成政に与しました


信長亡き後 織田家家督をめぐって有力武将の覇権争いが起こります

秀吉VS家康の「小牧・長久手の戦い」では 佐々成政家康方として金沢の前田利家と交戦しました

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内ヶ島も反秀吉の狼煙をあげましたが 越前大野から侵攻した秀吉方の金森長近に あっという間に留守中の城を奪われ絶対絶命のピンチに陥りました!!

 

内ヶ島の居城  帰雲(かえりくも)城跡の碑

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領地召し上げ  家名断絶もありえた内ヶ島でしたが 飛騨一国を与えられた金森長近の支配下に入ることを条件に本領を安堵されました

『めでたしめでたし…』と お祝いの宴会のために 内ヶ島一族郎党全員帰雲城に集まった天正13年(1585年)11月29日深夜...

 帰雲城の背後の山が 突然 山体崩壊し 城下の人もろとも一瞬にして土石流が埋め尽くしてしまったのです(>_<)

 

天正の大地震です!

 

      wikipediaより 天正地震の震度分布

震源は白山付近で マグニチュードは8近かったと推定されています

※滋賀では長浜城が全壊し 城主だった山内一豊が妻の千代との間の一人娘の与祢を亡くしたという大規模な地震でした!

 

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城跡碑から望む帰雲山

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紅葉の山肌に 今も450年前のがけ崩れの跡が生々しく残っています

 

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埋没した家は300戸以上  圧死者500人以上といわれ…

内ヶ島一族のうち生き残ったのは所用で不在だった4人だけだったそうです

 

これによって 内ヶ島は一夜にして滅亡し 土砂に埋もれた帰雲城の正確な位置は現在もわかっていません...

 

国土地理院の傾斜量図でみると 山崩れの痕跡がくっきりと確認できます
荘川右岸の帰雲山(赤丸)だけでなく 左岸の三方崩山からも(緑丸)大量の土砂が崩れ落ちています

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土砂が荘川をせき止めて土砂ダムを形成し それが決壊して二次的な土石流も発生したであろうと考えられています…

帰雲城荘川の右岸にあったのか 左岸にあったのかすら わからないそうです

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採石業を営む田口建設の社長の夢枕に帰雲城の武将が立ったということで 霊を祀る観音像や神社などをこの地に建立されたのだそうです

内ヶ島は金山を経営していたといわれ この城には埋蔵金が埋まっているのだと伝えられています...

 

以上 飛騨の神岡の歴史散策のお話でした

 

次回は この日の午前に訪れた廃線サイクリングのお話です(^_-)-☆

 

 

小田原城と小田原漁港プリン

すまきとすまりんは小田原城にやってきました

これまで何度も小田原の町を通ったのに なかなか立ち寄る機会のなかった小田原城

今回ようやく訪れることができました

 

小田原駅を降りると 小田原北条氏の祖 北条早雲銅像が出迎えてくれます

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小田原城の歴史は大きく二つに分かれます

早雲→氏綱→氏康→氏政→氏直と続いた戦国大名 北条の居城としての時代』

江戸時代以降 主に大久保氏が治めた小田原藩の藩庁としての時代』

 

ーーー

戦国時代の小田原城「総構え(そうがまえ)」の城として有名です

欧州や中国と異なり 異民族の来襲のなかった日本には 町ごと防御する「城郭都市」は発展しませんでしたが 一部の城では家臣団の屋敷や城下町ごと堀や土塁で囲む 総構えがつくられたところもありました

小田原城の総構えは全長9kmに及び 豊臣時代の(←大阪冬の陣の頃です)大坂城をしのいで 戦国期最大のものだったそうです

 

下の地図の中心に記されている 今のお城の何倍にも及ぶ範囲が 土塁と空堀でぐるりと囲まれていました(総構え)

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 小田原観光協会HPより改変

小田原は上杉謙信武田信玄の大軍にも包囲されて攻撃を受けましたが 陥落することはなく 難攻不落・無敵の城とよばれました!

総構えの巨大な土塁と空堀が現在も残されているところが 小峯御鐘ノ台大堀切(こみねおかねのだいおおほりきり)です

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小田原駅の西側へ高台を登り詰めた 城山公園付近に遺構があります

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280mほどにわたって 堀の底を歩くことができます🐾🐾

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現在の深さは 8~10mですが 発掘調査によれば12~15mと往時は今よりもっと深かったことがわかっています

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綺麗なV字型の堀です (*'▽')

案内板には法面の角度が50~60°と書かれていましたが そこまでには見えません

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堀の底は今のように平坦ではなく「障子堀」という畝状構造があって攻め手の行動を妨げるようになっていました

※こちらは「障子堀」が今も残っている山中城静岡県)↓

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小峯御鐘ノ台の堀はクランク状に折れ曲がり 敵を側面からも攻撃できる「横矢掛かり」が組み込まれています

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これほどの規模の総構えで囲まれていたとは驚きですね!

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堀切を抜けると相模湾を見下ろす高台に出ました

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さらに外郭の土塁が海岸へ向かって続いています…

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今は住宅になっていますがこの崖が往時の土塁の斜面です⤵

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難攻不落を誇った小田原城ですが ついに最後の時がやってきました…

豊臣秀吉による小田原征伐です

 

北条は関東の領民に総動員をかけて 単独の戦国大名としては類を見ない 5万6千人もの兵を集め 小田原城の修築や八王子城山中城(※)の築城をすすめて迎撃態勢を整えました

※先ほどの「障子堀」の 山中城のことです

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しかし天下をほぼ平定し 関白太政大臣となった秀吉の軍勢は21万以上となりました!

さらに…

海からは毛利らの水軍が1千隻以上も動員され 日本国中を敵にまわしたような戦いとなりました(>_<)

箱根の西の関門であった山中城も 僅か数時間!で陥落し 小田原は大軍で包囲されます…

 

秀吉は力攻めすることなく 小田原城を見通せる石垣山に巨大な城を築き 長期戦の構えをとりました

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鉄塔の立つ丘が石垣山です

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勝ち目のない籠城に士気は低下し 月2回開かれた重臣会議小田原評定は「長引くだけで結論の出ない議論」という比喩として使われるようになりました…

 

天正18年(1590年)北条は降伏を受け入れ 関東の所領は徳川家康に与えられました

 

ーーー

江戸城を拠点とした徳川家康は 関東防御の西のかなめである小田原に腹心である大久保忠世を置きました

巨大すぎる城は縮小され 「総石垣造りの近世城郭」として改修されました

明治初期にほとんどの建物が取り壊されましたが 近年復元整備が進められています

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御茶壺曲輪という変わった名前の場所がありますね!

童謡「ずいずいずっころばし」は お茶壺道中についての唄だと言われますが…

宇治のお茶を将軍家に献上する「お茶壺道中」の一行が小田原宿に宿泊する時 茶壺を預けたと言われるお茶壺蔵があったそうです


小田原城の見学する際は 小田原駅や駐車場からは遠くなりますが大手筋の正面入り口から入るのがお勧めです

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下図の濃い点線•••が正規登城ルートです

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 小田原市HPより

 

広い堀を渡ると……

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馬屋曲輪へ入る馬出門(復元)があります⤵

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二の丸に行くにはさらに堀を渡らなくてはなりません!

大きな木の左側に天守の屋根が 小さ~く のぞいています

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こちらはフォトスポットで スマホ用のカメラ台がありました

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すまりんたちの後方に見えている住吉橋を渡ると… 

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 ↓ 二の丸の桝形があります

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この桝形の左にある櫓門が 復元された銅門(あかがねもん)です
 ※銅板で覆われているので銅門とよばれます

銅門をくぐり…

奥の常盤木橋を渡って本丸に向かいます🐾🐾

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本丸の堀は今は空堀となって菖蒲園などになっていますが 本来は幅20mもある水堀でした

 

本丸は 二の丸に比べるとかなりの高台に作られています

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復元された常盤木門の中にSAMURAI館という展示施設がつくられています

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すまりんたちは時間の関係でSAMURAI館には入りませんでした

 

本丸です✨

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本丸御殿は将軍家宿泊専用のもので 藩主は二の丸御殿に居住しました

けれど 将軍が本丸御殿を訪れることはほとんどなかったようです…

もったいないですね^^;

 

本丸は一時 遊園地となっていたことがあり その名残でしょうか…

お猿のケージがありました 

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小田原天守昭和35年に江戸時代の設計図をもとに復元されたものです

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3重4階で高さ38.7m  鉄筋コンクリートでつくられています

最上階の高欄付き廻縁は江戸時代には無かったもので 観光用に設置されました

 

小田原市では天守閣の高さを基準とした高度規制を行い 天守閣の高さを超える建物は建てられないようになっています

 

入場料: 510円  / 小中学生 200円

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コンクリートも含めた 天守の高さ比べ✨

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小田原城は7位です✨

木造現存天守の姫路城が5位に入っているのはさすがです✨

同じく木造現存天守宇和島城(すまりんの故郷の城)は… ありませんでした^^;

 

ライトアップされた姫路城(2016年12月撮影)※世界遺産です!

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すまりんの愛する宇和島城は小さいけど綺麗なフォルムのお城です(2022年1月撮影)

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小田原城の復元鳥瞰図

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小田原城の歴史を解説したビデオが流されていました

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小田原提灯!

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小田原提灯といえば「お猿のかごや」の歌を思い出します…

www.youtube.com

本丸の前にもお猿さんがいましたね…

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天守閣最上階の欄干からの展望です

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西側の山は戦国期に城塞のあったところで八幡山古郭とよばれ 先にご紹介した「小峯御鐘ノ台大堀切」へと続いています…

 

南西には豊臣秀吉が本陣を置いた石垣山城が…

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先ほど出てきました「鉄塔が目印の丘」です!

 

南には相模湾が広がります

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ここも毛利・九鬼・長宗我部などの水軍の船で封鎖されました

 

北東すぐのところに小田原駅と中心街があります

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小田原城のお話は以上…

シメはかわいいスイーツのお話です(^_-)-☆


小田原城から車で5分あまりのところにある

 漁港の駅 TOTOCO小田原

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2019年秋に開業した 新しい施設です

 営業時間:9:00〜17:00 無休

 

大きな駐車場が完備されてます✨

 

1階 地場物産販売コーナーにはお土産物もいっぱい!

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かわいいソフトクリームやプリンも…(*^^*)♡

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2階/3階 

展望テラスや海鮮を味わえるお店があります

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とと丸食堂(海鮮丼のお店)

Bar Riso Divino(イタリアン・バル)

おさしみ天国・小田原海鮮ゴーゴー!!(おさしみビュッフェレストラン)

 

海鮮メニューは 気になるものがいっぱいあったのですが 時間の都合で次回のお楽しみにすることにしました(^_-)-☆

 

時間がなくても はずせないのは スイーツです!

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プリンもソフトもおいしそう(*^^*)♡ モナカのトッピングもかわいい…♡

 

地場物産販売コーナーで買い物をしたら ソフトクリーム割引券をいただきました♡

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小田原漁港プリンは保冷バッグ購入で5~6時間も持ち歩きが可能です

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保冷バッグ(保冷剤付き)400円

小田原漁港プリン・カスタードプリン・足柄茶プリン・いちごプリン

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小田原漁港プリンは450円でその他のプリンは420円です

たしか賞味期限が当日だったので 全部は食べれないと思って カスタード以外を買いました (笑)

 

もちろんソフトクリームも買いましたよ(^_-)-☆

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もなかのトッピングは

おさかなは +80円 小田原城・ほたて・さくらは +50円です

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ソフトクリームはミルキーレモンソフト(400円)です

 

すまきは小田原提灯ソフト(500円)
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上下のグレーの部分がモナカですが ちょっと食べにくかったようです^^; 

 

帰宅後…

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買ってきたプリンを並べてみました

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いちごプリンと足柄茶プリンはソースがついていました

小田原漁港プリン

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袋も いい感じです✨

漁港というよりは 金魚すくいみたいですね♡

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本当はもっときれいなんですが…

疲れていたので場所も明るさも考えず撮影して さっさと食べてしまいました^^;

ブルーのゼリーは綺麗なグラデーションになっていて 金魚おさかなも可愛かったです

ゼリーの下は真っ白のミルクプリン… 

とっても美味しかったです(*^^*)♡

 

プリンは全て すまきと半分こでいただきました(*^^*)

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いちごプリンは すまりんの好きなやさしい味…

いちごの果肉が入った甘酸っぱいソースと相性抜群でした✨

足柄茶プリンはソースがほろ苦くて マイルドなプリンの味とマッチしていました!

 

 漁港の駅 TOTOCO小田原… 

美味しいもの楽しいものいっぱいの おすすめの施設です(^_-)-☆

 

次回は飛騨の観光のお話です(^_-)-☆

日本三大山城「岩村城」& 寿やの 美味しい栗のパフェ✨

日本三大○○という言葉をよく耳にしますが...

すまきとすまりんがいつも登っている山城にも 「日本三大山城」と呼ばれるものがあります

 

一つ目は  奈良県高取城

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ふもとから頂上の本丸までの標高差が最も大きい山城です✨

すまりんたちは2019年の秋に訪れました...

www.aranciarossa.work

 

二つ目は 岡山県備中松山城

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現存する城のなかで最も標高が高いところに天守がある山城です✨

こちらは記事にはしていませんが 2017年に訪れた時の写真です

NHK大河ドラマ真田丸」のオープニングに この石垣が登場していました

 

 

そして三つ目が ここ岐阜県にある岩村城

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江戸時代まで現役だった城の中で日本一標高が高い場所に築かれた山城です✨

 

すまりんたちは 岐阜県の東の端... 長野県との県境をまたぐ「恵那山トンネル」から ほど近い 岐阜県恵那市岩村町を訪れました

 

小さな城下町を抜けて山のふもとにたどりつくと 町のシンボルになっている太鼓櫓が出迎えてくれます...

ちょうどお昼前で太陽が高い位置にありました

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太鼓櫓と表御門

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階段の上は江戸時代に建てられた藩主邸のあとで 現在は歴史資料館と駐車場になっています

明治まで残っていた屋敷は火事で全焼してしまい 平成2年に太鼓櫓・表御門・平重門などが復元されました

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こちらが平重門⤵

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駐車場に車をとめて さっそく山の上の本丸をめざします

ここからは徒歩です🐾🐾

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本丸まで800m 約20~30分の道のりだそうです

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古絵図の看板もありました⤵

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戦国時代に廃城になった城とは違い さすがは江戸時代を通じて現役だった岩村城! 

立派な石畳が整備されています

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江戸時代の岩村藩松平氏・丹羽氏など譜代大名が藩主をつとめた 2万石余りの小藩でした...

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距離や標高を記した道標が整備されていて登りやすいです(^_-)-☆

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2万石の小藩には過ぎたこの城は 戦国時代には遠山氏の居城でした

「遠山の金さん」で有名な遠山金四郎景元は 岩村遠山氏の分家の分家の子孫にあたります

 

登城道の最初に設けられた一の門跡 

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往時は櫓門が構えられていたようです

岩村城は総延長 1.7 kmにおよぶ石垣の城でしたが 立派な石垣は歳月とともに土の圧力で歪んできています

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戦国時代末期 織田信長の支配した美濃(岐阜県)と武田信玄の支配した信濃(長野県)の境目にあったこの城は波乱を迎えました...

 

織田方に属していた当時の城主 遠山景任は 信長の叔母の「おつやの方」と結婚していましたが 後継ぎのいないまま急死してしまいます

信長は五男の「御坊丸」を遠山家の養子として送り込みますが まだ幼かったので「おつやの方」が実質的な城主として領地を治めました

 

そんな時 武田方の武将「秋山虎繁」が岩村に侵攻してきました

当時の織田方は四方八方敵に囲まれてジリ貧状態^^;

 

裏切りを決意した「おつやの方」は武田の軍門に下って 「秋山虎繁」の妻となり 信長の子である「御坊丸」は人質として信玄のいる甲府へと送られました

 

ところがその後 鉄砲で有名な長篠の戦いで織田と武田の力関係は逆転します

 

怒った信長はすぐに岩村城へと迫りました...

 

「秋山虎繁」は奸計にはまって殺され 「おつやの方」も捕らえられて逆さ磔にされたとも 信長本人の手で斬られたともいわれています

さすが信長…としか言いようがありません(>_<)

 

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土岐門跡 こちらが二番目の門になります

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QRコードを読み取ると 往時の建物をバーチャルに再現してくれます

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ここから先は少し歩きにくい山道になりました

大雨のために一部道が荒れているようです

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ここから前面の空堀をこえて畳橋と呼ばれる木橋がかかり追手門へと繋がっていました

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また 右の杉木立の奥の石垣の上には三重櫓がありました

 今の状態からは 想像もつきませんが ...

  ⇩ ⇩ ⇩

 こんなふうだったそうです✨

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岩村城唯一の三重櫓は天守のかわりとして 城下に威容を示していたそうです!

追手門と三重櫓の石垣は 近づくとこんな感じです...

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追手門の桝形を抜けると もうすぐ山頂です...

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きれいに組み合わされた「切り込みハギ」の石垣の間をすすみます

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岩村城には17か所も井戸があって 籠城の際にも飲み水に困ることはなかったそうです

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八幡曲輪

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八幡曲輪にある霧ヶ井は城主専用の霊泉です

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敵が攻めてきた時 城内秘蔵の大蛇の骨をこの井戸に投じると たちまちにして雲 霧が湧き出て城を覆い尽くし 城を守ったと記されています

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そのため岩村城は「霧ヶ城」とも呼ばれていました

今も水は豊富そうです!

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岩村城のハイライト✨ 「六段壁」

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 ↑ 邪魔な鉄柱はなんとかできないものでしょうか^^;

 

本丸の北東面に雛壇状に築かれた六段の見事な石垣です

背面の高石垣の崩落を防ぐ補強のため 江戸時代後半に築かれました

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複雑に入り組んだ石垣美✨

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石垣に蛇がいました!
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この長局埋門跡を抜けると 本丸です

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本丸はけっこうな広さがあります

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山頂の本丸にも井戸がありましたが スズメバチが怖くて近寄れません^^;

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岩村城は「日本百名城」にも選ばれています

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東側は恵那山を望みます...  山を越えたら信州です

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反対の西側には高石垣があります

ここに座るのは怖かったですが 横から見ると思った程の高さはないようです

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実は本丸直下の出丸にも駐車場があります⤵

すごく狭い道のようですが ここまで車で来ることもできるんですね

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本丸北側にある埋門跡

見づらいですが 三面の石垣の形状が違っています⤵

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石垣は 積み方や石の加工法によって

「野面積み」・「打ち込みハギ」・「切込ハギ」に分類されますが...

ここは 三種の積み方が一度に見られる日本でも珍しい場所だそうです✨

 

上の写真で奥に見える壁は「打ち込みハギ」

 近くで見るとこんな風です⤵

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埋門の右側の壁は「切り込みハギ」で ぴったり隙間なく組まれています

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埋門の左側にある無骨な「野面積み」の石垣は苔むしています

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登り始めから見学して下山するまでちょうど1時間でした!

軽い登山にはおすすめです(^_-)-☆

 

さて おなかも空いたので 甘味を食べに行きます(*^^*)♡

 

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岐阜県の恵那地方は 良質な栗の産地として知られています

季節は秋!まさに栗の美味しい季節です

 

岐阜県恵那市にやってきました

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恵那寿や(えな すや )観音寺店

恵那市内に何軒か支店があり 名古屋市にもお店があります

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お店の前に広い目の駐車場があります

 

「恵那寿や」は 以前ご紹介した 「恵那川上屋」とともに 栗のお菓子の老舗です!

恵那川上屋」のモンブランのお話はこちら⤵

www.aranciarossa.work

 

こちら「恵那寿や 観音寺店」は喫茶のあるお店です

 営業時間

 店舗:9:00~18:00(美味しい栗きんとんなどを購入できます)

 喫茶 : 10:00~17:00(L.O.16:30)

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「寿や」...ことぶきや と読みそうになりますが 「すや」です

 

栗ソフトもテイクアウトできるそうです!美味しそうですね♡
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細長い喫茶スペースには三人掛けのテーブルが7つ並んでいます
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好きな場所を選べます

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お品書き

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すまりんたちは栗パフェ(季節限定)をいただきました

 

※栗パフェをいただけるのは 3店舗だけです

 観音寺店と神明店 9月1日~11月30日
 石川橋店     10月1日~12月上旬 

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 栗パフェ 1100円

器はちょっとおとなしい目ですが...

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栗そぼろが掛かったバニラアイスの下には栗の甘露煮がゴロゴロと入っていて食べ応えがありました

さすが栗菓子の老舗!

惜しげもなくリッチに栗が使われています

周囲の紅茶ゼリーとの相性も抜群で とっても美味しくて感動しました✨

 

季節限定ですが 今からでも まだ間に合いそうですね...

すまりんのおすすめのスイーツです(^_-)-☆

 

次回は下呂温泉のお宿「湯之島館」のお話です

道東観光③ ~日本100名城 第1番 "根室半島チャシ跡群"~

最近のお城ブーム...

火付け役のひとつが 財団法人 日本城郭協会が2006年に定めた 日本100名城です

城を訪問して公式スタンプ帳にスタンプを集めるスタンプラリーが人気です!

すまきが城マニアなので すまりんたちもこれまでに沢山のお城を見てきましたが スタンプラリーは面倒なのでやっていません...

 

この写真は いつかのお正月に見た愛媛県宇和島城です 

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宇和島城現存十二天守のひとつで日本100名城 第83番のお城です

 

すまきは 子供の頃からこの宇和島城に憧れていたそうですが 愛媛県の南の果て?にあるこの城には なかなか行くことはないだろうと諦めていたようです...

けれど 宇和島はすまりんの故郷なので 帰省のたびに訪れることになり もう嫌というほど 見ています(笑)

 

ところで。。。

100名城スタンプの中で 遠すぎて行くのが難しく  "コレクター泣かせ" と言われるのが 第1番「根室半島チャシ跡群」のスタンプだそうです

 

今回ご紹介するのは以下の3つのスポットです(^_-)-☆

 ①ノツカマフ1・2号チャシ跡

 ➁ヲンネモトチャシ跡

 ③根室車石(お城とは関係ありません)

 

ご存知の方もおられると思いますが 城や砦のことを 沖縄では「グスク」と呼び  アイヌの地であった北海道では「チャシ」と呼びます

「グスク」と「チャシ」は似たところがあって 純粋な戦闘用の施設ではなく 祈りの場でもあったようです

北海道には500以上のチャシ跡が確認されていますが 根室半島には保存状態が良好なチャシ跡が24か所残されていて 国の史跡となっています

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なかでも ノツカマフ1・2号チャシ跡 ヲンネモトチャシ跡 が有名です

 

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①ノツカマフ1・2号チャシ跡

 

根室市街から納沙布岬に向かう道の脇に看板が出ていました

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車2台ほどとめられる広場があります

 

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生い茂る夏草をきれいに刈り込んで整備されていました

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この道で大丈夫か ちょっと不安になったころに看板が現れました

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チャシの構造には「孤島式」「丘頂式」「丘先式」「面崖式」の4つがあります

ノツカマフチャシは海に面した断崖に半円形の堀をめぐらせた面崖式のチャシです(早口言葉みたいですね
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すまりんが立っているのはノツカマフ1号チャシ跡 西側の郭です

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土塁と堀 

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まるでパンケーキみたいです(*'▽')

 

東側の郭に すまきが立っています

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2号チャシ跡

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こちらは土塁も堀も浅くて未完成だった可能性があります

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海を覗くと海藻がびっしり! 豊かな海です

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ノッカマップ(ノツカマフ)はアイヌ語で「岬の上にあるところ」という意味で かつてはこの付近の中心地でした

北海道(蝦夷地)を支配した松前藩は1万石格の大名でしたが 米がとれないため アイヌとの交易独占権で収益を得るという特殊な形態の藩でした

 

松前城の記事はこちら⤵

www.aranciarossa.work

 

当初は松前藩士が直接アイヌとの交易をおこないましたが 次第に商人がそれを代行するようになります...

道東から国後にかけての交易をまかされたのが 飛騨の材木商 飛騨屋久兵衛でした

ところがそのころロシアが進出をはじめ アイヌがロシアとも交易を始めたため 飛騨屋の交易はうまくいかなくなりました

また 天明の大飢饉がおこったり 飛騨屋の内部で巨額の横領事件がおこったりして 飛騨屋本体が危うくなります...

 

そんな中 ノルマに追われた現地支配人たちは アイヌに対して非道で過酷な労働を強要しました

そしてついに耐え切れなくなったアイヌの人々は一斉に蜂起し 和人71人が殺害される「クナシリ・メナシの戦い」が起こりました

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すぐに鉄砲と大砲を備えた松前藩の鎮圧隊が派遣され 反乱は鎮圧されました

そしてここノッカマップで蜂起に関係したアイヌの取り調べが行われ 37人が処刑されたのです

取り調べに協力した恭順派のアイヌ肖像画が 「夷酋列像」として残されています

 

以後ノッカマップは衰退し この地方の中心は ネモロ(根室)へと移りました...

 

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➁ヲンネモトチャシ跡

  メインロードから脇道へそれて…

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納沙布岬のすぐ手前にある温根元港を望む丘の上にチャシ跡があります

港や私有地に駐車しないように 看板と駐車場が整備されていました

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正面にオーロラタワーが! 本土最東端 納沙布岬はすぐそこです

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納沙布岬のお話⤵

www.aranciarossa.work

 

下の写真は翌朝 根室駅前のインフォメーションセンターでいただいた「日本100名城根室半島チャシ跡群の到達証明」です

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写真中央のゴルフ場のグリーンみたいなところが…

  ⇩ ⇩ ⇩
  ここです
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堀の底からみあげると結構な高さの土塁です

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振り返って海岸線のずっと先がさっき訪れたノツカマフチャシ跡になります

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JR根室駅前のインフォメーションセンター
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※本土最東端と本土最東端駅の到達証明書もいただけます

 

日本100名城第1番のスタンプを 到達記念のポストカードに押してみました

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ポストカードの片面は先ほど出てきたこの写真です⤵

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日本100名城・続日本100名城はこちらから検索できます

  日本100名城

    続日本100名城

 

 佐賀県吉野ヶ里遺跡も 実は日本100名城 第88番です(^_-)-☆

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www.aranciarossa.work

 

そして トリの第100番沖縄県首里城です!

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首里城はこれまでも何度か焼失して再建されてきましたが 残念ながら2019年の火災で正殿・北殿・南殿が焼失してしまいました

早く復旧するといいですね...
 

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根室車石(お城とは関係ありません) 

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写真右側は「花咲港」の突堤です

花咲港は サンマの水揚げ日本一の港として有名です

花咲ガニが獲れるのもこのあたりです

茹でた時に赤くなって花が咲いたようだから花咲ガニと名づけられたとも言われますがそれは後付けの話で 多分「花咲」で水揚げされるからでしょう...

花咲ガニは輸送に不向きのため「根室の味」となっています

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ところで 毛ガニとズワイガニカニの仲間ですが タラバガニと花咲ガニはヤドカリの仲間なんですね!

ヤドカリ?でも このあとですまりんたちは おいしくいただきましたよ(笑)

www.aranciarossa.work

 

かわいらしい灯台花咲灯台 と言います

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霧の中でも目立つ赤白ツートンカラーの灯台で「日本の灯台50選」に選ばれています!

「花咲」の名の由来は アイヌ語でポロ・ノッ(大きな岬)という地名を 鼻崎(はなさき)と意訳し? それを 雅名に変えて花咲としたという説が有力です

すまりんにはちょっとわかりません^^;

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花咲灯台から下へ遊歩道を進んで行きます🐾🐾

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すまきの背後に面白い形の岩がありました!

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花咲灯台のすぐ下の断崖です

玄武岩などが溶けたマグマが 表面から冷えていく過程で 東尋坊玄武洞などでみられるカニカマのような柱状節理ができることがあります

マグマが丸く盛り上がった場合には 表面から放射状に節理が入り このような形になるそうです

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直径6mもある大きな車輪のような形は世界的にも珍しく「 国の天然記念物」に指定されています

おなかがすいていたからか カニ爪の身を連想した すまりんでした...

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次回は道東観光シリーズ最終

カムイワッカ湯の滝を 歩きます!

     

      ...続 

 

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