すまりんの てくてく ふたり旅

部屋付き温泉のある素敵な宿と美食を求め 夫のすまきと全国飛び回ります!

対馬観光④(元寇の舞台 小茂田浜 と 金石城)

対馬観光シリーズ 第4話は...

 ①小茂田浜

 ➁金石城

 

対馬の南にまいります...

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古くから日本の最前線に立つ国境の島 「対馬

その対馬が歴史上最大のピンチに直面したのが 文永・弘安の役...

つまり元寇です

文永の役 1274年 弘安の役1281年...

すまりんは小学校の先生に「いになよ!」「いにやい!」と無理やり覚えさせられました

※意味は分かりますがそんな言葉は地元では使ったことはありません...

 

対馬における元軍との戦いは漫画「アンゴルモア 元寇合戦記」やゲーム「Ghost of Tsushima」でとりあげられて 最近 特に有名になりました!

 

 

①小茂田浜長崎県対馬市厳原町小茂田)

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文永の役では 軍船900隻 総数3万の元軍がこの小茂田浜に押し寄せました

対馬の地頭で守護代だった宗助国(そう すけくに)は 連絡を受けたのち 夜道を駆け わずか80騎あまりの軍勢でこの大軍を迎え撃ったのです👀

 

宗助国騎馬像⤵

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対馬勢は多くの元兵と元軍の将軍と思しき人物を射倒し 宗助国自らも4人射倒すなど奮戦したものの 多勢に無勢 全滅してしまいました(>_<)

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元軍は上陸後 島内の民衆を殺戮 あるいは捕虜とし 捕虜とした女性の「手ヲトヲシテ」つまり手の平に穴を穿ち これを貫き通して 盾のかわりに船壁に並べ立てたと記されています

あまりにも残酷すぎます(>_<)

 

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小茂田浜神社

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文永の役で戦死した将士の霊を祀った神社だそうです

 

いろいろ調べてみましたが 資料によって書かれていることがバラバラで^^; 要領を得ないのですが...

助国の長男の盛明(もりあきら)太宰府に出仕していて無事だったようです

次男の右馬次郎 や養子の弥次郎など一族郎党の多くは討ち死にしました

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拝殿のなかに合戦を描いた絵馬が掛けられていました

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 今は静かで美しい小茂田浜...

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二度目の弘安の役でも 二手に分かれた元軍のうち東路軍が対馬を襲撃しました

詳細はほとんどわからないようですが 助国のあとを継いだ盛明がこれに応戦したようです...

山の少ない「壱岐」では 逃げ場のない住民が殺戮され 生存者はわずか65人だったとも伝えられていますが 山深いこの「対馬」では 地の利を生かして 少しでも多くの人が逃げのびることができたのかもしれません...

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②金石城長崎県対馬市厳原町今屋敷)

 

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2度にわたる元寇の地獄を生き抜いて 対馬領主の宗氏は命脈を保ちました

そして助国から数えて18代目の宗義智(よしとし)豊臣秀吉対馬一国を安堵され 朝鮮出兵では最先鋒として戦いました

その後の関ヶ原では西軍に与したにも関わらず  『朝鮮との国交修復には 朝鮮に詳しい宗氏の協力が欠かせない』と判断した徳川家康は 義智の罪を問わず 所領を安堵しました

対馬藩主宗氏の居館と藩庁があったのが 厳原にある金石城です

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平地の少ない対馬では あまり米がとれませんでしたが...

幕府は『朝鮮との重要な外交窓口』として対馬藩を重視し 国主10万石格として遇しました!

鎖国体制のなか 対馬の宗氏は朝鮮通信使を迎えるなど日朝外交の仲介者としての役割を果たしました

参勤交代は3年に一度だったそうです

 

金石城には天守は築かれず 大手門を立派な二重櫓門にして天守の代用としていました...

老朽化により大正8年に解体されていましたが  平成2年 古写真や模型などに基づき木造によって二重櫓門が復元されました⤵

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 2022年4月開館予定で 「対馬博物館」の建設が進んでいるようです

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tsushimamuseum.jp

開館したら訪れてみたいです(*^^*)♡

 

金石城の背後の山は清水山城

秀吉の朝鮮出兵の際には城が築かれたそうです

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城館の南西隅にあった庭園が復元されています

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旧金石城庭園
 開館時間:9:00~17:00
 定休日:火曜日・木曜日
   入館料:大人300円 ・小中学生100円

 

城のいちばん山手側に万松院という宗氏の菩提寺があります

1615年の創建当時のままの山門は対馬で最古の建物です✨

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入場時間:8:00~17:00(夏期は18:00まで)年中無休
料金: 大人300円・高校生200円・小中学生100円

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本堂は1879年に再建されました

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 諫鼓(かんこ)

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諫鼓(かんこ)とは 領主に諫言をしようとする者に打ち鳴らさせるために設けたという鼓のことです

写真の看板にも書かれていますが「諫鼓苔蒸す」は善政によって諫鼓を使う必要がない( →鼓に苔が生える)ということです

また「諫鼓鳥」という言葉は 諫鼓の上で鳥が遊んでいる...つまり 領主が善政をおこなっている ということを表しているそうです

※「閑古鳥が鳴く」といえば 客が少なく寂しい様子をいいますが「諫鼓鳥が鳴く」が正しいとする説もあるようです

 

 山門の内側⤵

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山門の裏を通り 百雁木(ひゃくがんき)と呼ばれる132段の石段を登ると 歴代藩主と家族の墓所があります

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建立前から この地にそびえたつ 樹齢1200年の大スギ

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対馬で最も古い杉の木だそうです

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「日本三大墓地」というものがあるらしく。。。

金沢の前田家墓所・萩の毛利家墓所とともに この対馬の万松院がそれにあたるそうです!

こちらが対馬藩初代 宗義智墓所です

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万松院は義智法名にちなんでつけられました

初代のお墓がいちばん質素でした!

 

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対馬藩の宗氏は16代義達まで続き 版籍奉還を迎えました
 

 

次回は対馬ちょこっとグルメのお話です(^_-)-☆

 

      ...

 
www.aranciarossa.work

 

対馬観光①(金田城)

福岡空港を飛び立って約30分

すまきとすまりんがやってきたのは...

 対馬やまねこ空港

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小さい空港ですが ボーディングブリッジがありました

でも すまりんたちは タラップで滑走路に降りて建物に向かいました...

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対馬長崎県に属する 日本第10位の面積の島です(ちなみに第9位は奄美大島で 第11位は淡路島です)

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主島の対馬島は南北に細長い一つの島でしたが 中央部のくびれた部分に万関瀬戸という運河が開削されて 北部の上島 南部の下島に分割されました

 

魏志倭人伝でも一支國(=壱岐)と並んで「對馬國」 の名が出てきます

古くから日本の最前線に立つ国境の島だったのですね

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そんな対馬に緊張が走ったのが663年!

白村江の戦で唐・新羅連合軍に敗れた天智天皇は 敵の侵攻を恐れて防御態勢を固めます

福岡に水城(みずき)を築き 都は近江に移して 九州から瀬戸内の各地に山城を築きました

その最前線の城が金田城(かねだじょう/かねたのき/かなたのき)でした

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金田城は対馬空港から車で20分ほど...

対馬の上島と下島の間にある 浅茅(あそう)湾に面した要害の地にあります

 

県道を折れて車一台がようやく通れる細い道を進みます

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登山口に 車4台がとめられるスペースがあります
丁寧に駐車のしかたを写真で解説してありました

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 金田城は続日本百名城だそうです!

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ここからは歩いて登山です

レンタカー会社のかたは 山登りに3時間以上かかると言っておられました

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8:45に出発しました!

 

野ねずみさん🐭発見!!すごく小さかったです

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      ⇩ ⇩ ⇩

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下の写真では ど真ん中にいます🐭

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   ⇩ ⇩ ⇩

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しばらく道を行くと 視界が開けて美しい浅茅湾対馬の山々が一望できました

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 対馬暖流の影響でしょうか... 鬱蒼とした原生林が生い茂っています 

 

いきなり現れた 巨大な石垣⤵

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1400年近くも前の建造物です!

 

 こちらは南門⤵

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飛鳥時代に築かれた古代山城は 中世以降の山城とは全く異なっています

本丸や二の丸といった曲輪や 天守のような中心施設はありません...

山を鉢巻きのようにぐるりと石垣や土塁で囲んだだけの構造で 内部に武器や食料が備蓄され 有事には「逃げ城」として周辺の人々も含めて皆がたてこもったものと想像されています...

 

  黄色の線が金田城の石垣遺構です

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山の全周を取り囲む石垣は2.8kmにも及びます!

 

すまりんたちは山頂へと向かいました🐾🐾

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南側の石垣は海岸沿いから山頂まで斜面を駆け上がるように続いています

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駐車場からおよそ45分で山頂に到着しました🚩

烽火台があったのでは と考えられていますが古代の遺構はありません

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浅茅湾には明治時代 海軍佐世保鎮守府隷下の竹敷要港部が置かれていて これを防衛するための砲台が 城跡の山頂に築かれました

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大砲の砲床でしょうか...f:id:aranciarossa:20210428070840j:plain

 

石垣は山頂からさらに尾根伝いに続いていて 見学道の階段が続いています...

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左側に時折 青い海を見ながら山を下って行きます…

最初のうちはこんなに整備されていたので楽勝かと思っていました

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 尾根の向こう(北側)は断崖絶壁です

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美しい浅茅湾リアス式海岸

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このちょっと前から 道は 突如として荒れた急坂に…

小さく写っているのは すまき です
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九州を直撃した2020年の台風10号の影響でしょうか..

倒木が道をふさいでいます
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もっとちゃんとした登山靴で来るべきでした^^;
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足場の悪い道が続きます...

枯葉にまぎれて 足を引っかけるワナのような金属棒がニョキニョキ

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よく見るとあちこちに^^;

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もともとはこんなふう⇩だった木の階段が朽ちて金属の釘だけが残っているんですね

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危ないです...

 

 

こんなところにもでっぱりが!
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足元注意です!

 

ようやく海岸近くに下りてきました

木々の間から見える海の色がきれい(*'▽')♡

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不明瞭な道に不安をおぼえはじめたころ ふたたび遺構が現れました!

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一ノ城戸

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穴太衆(安土桃山時代以降の石垣づくりのプロ集団)もびっくりの高石垣✨

石垣を登る敵を側面から攻撃できる横矢構造(古代山城では雉城というそうです)が備えられています

 

さらに進みます🐾🐾

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二ノ城戸です

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ここに門があったそうです⤵

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道に迷いそうになりながら ピングシ門跡にたどりつきました

この付近が金田城の中枢部分だったと考えられていて 建造物の柱跡が見つかっています

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三ノ城戸

 三ノ城戸には水門がありました

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ぐるりと山を囲む石垣は 谷筋も埋めていて 石垣の下部に川の水を流すトンネルがつくられます

古代山城ではこの構造を「水門」といいます

写真では崩れて溝になっています

 

東南角石塁

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高く積み上げられた石垣は 一部崩落しています

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穏やかな対馬の海...

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すまりんバテてます...

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左の杭は掘立柱建物跡ですが 兵士の詰所でしょうかf:id:aranciarossa:20210428151551j:plain

 

 唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして

  万葉集に収録された防人(さきもり)の歌です

つらく厳しい国境警備の任務にあたる防人たちが この城を守っていたのです...

 

山をぐるりと回って "最初に見た石垣"に戻ってきました!

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まさかここに出てくるとは思っていませんでした!

 駐車場に帰ってきました
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車は4台とまって満車になっていました

ただいま10:45分ですので ちょうど2時間で一周することができました

 

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以上 古代山城の金田城のお話でした

 

 次も対馬観光のお話です(^_-)-☆

        

                 ...

邪馬台国に思いをはせて... (吉野ヶ里遺跡・石人山古墳ほか)

邪馬台国っていったいどこにあったんでしょう...

すまきとすまりんは 実は北九州説を信じています...

 

今回はすまきに手伝ってもらって かなり気合を入れて作成しました!

少々長い記事になりますので 興味がおありの方はお時間のある時にゆるりと読んで下されば嬉しいです(^_-)-☆

 

 ①吉野ヶ里遺跡

 ②女山神籠石(ぞやま こうごいし)

 ③権現塚

 ④蜘蛛塚

 ⑤石人山古墳

 ⑥岩戸山古墳

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

最初に訪れたのはすまりんたちの教科書では見かけなかった有名な遺跡...

だって あのころは弥生の遺跡と言えば登呂遺跡でしたから(笑)

 吉野ヶ里遺跡

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レストラン・売店もある立派なメインゲートを通って遺跡に向かいます...

 開園時間:9:00~17:00 

  1月の第3月曜その翌日および12/31のみ休園

 入園料:大人460円・中学生以下は無料

 

吉野ヶ里遺跡は 約117haにわたって残る弥生時代の大規模な集落跡で 吉野ヶ里丘陵とよばれる小高い丘の上にあります

V字型に深く掘られた総延長約2.5kmの外堀の中に 内堀で囲まれた北内郭と南内郭があります

日本の城郭のはじまりという観点から 日本100名城のひとつに選考されています

 

鳥居の原型といわれる 鳥をあしらった門

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長崎県壱岐の「原の辻遺跡」でも似たようなものを見ました 

www.aranciarossa.work

  

堀の内外には木柵・土塁・逆茂木といった敵の侵入を防ぐ防御が施されており 見張りや威嚇のための物見櫓が郭内に複数置かれていました 

こちらが逆茂木 

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ゲートから入って 最初に着くのは南内郭

複数の物見櫓のほかに竪穴住居や高床住居が再現されています 

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物見櫓にのぼることができます

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外郭には多数の高床式倉庫群や住居跡があって 市も開かれていたと考えられています

 縄文から弥生にかけて 海岸線は今よりもっと近くにありました

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甕棺の数などから推測してこの集落にはおよそ1200人...

吉野ヶ里を中心とするクニ全体では5400人くらいの人々が住んでいたと推測されています

 

北内郭に向かいます🐾🐾

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後世の城と同様に外側に張り出した櫓台構造や鍵状に折れ曲がった入り口(食い違い虎口)がありました

 

郭から突出した櫓台構造 ⤵

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北内郭には3階建ての主祭殿が復元されています 

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階段をあがって中の見学をしました

 

2階ではまつりごとの様子が再現されているようです...

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3階では巫女姫様(最高司祭者)がお祈りしています

 収穫の祭祀でしょうか...

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北内郭の高床式住居には最高司祭者が住んでいたと考えられています

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すまりんの大学時代の最初の下宿より良いかも。。。

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 遺跡の規模の大きさから ここが邪馬台国なのではないかという意見もあるようですが 九州北部に存在した複数の国のひとつなのではないでしょうか...

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 北側には墳丘墓があります 

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 ※裏側にまわると入り口があります⤵

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 内部は発掘された状態がそのまま保存された展示施設になっています

まずビデオコーナーでお勉強をしてから見学しました!

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表面には劣化を防ぐために特殊な加工がされ湿度などもきっちり管理されているようです

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今から2100年前の歴代の王のなきがらが葬られた甕棺だそうです

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  すまりん女王と...

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  いのししたち...

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女山神籠石(ぞやま こうごいし)

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九州自動車道の「みやま柳川インターチェンジ」のすぐ東側にそびえる山中に

女山神籠石とよばれる古代の遺構があります

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神籠石は山腹をぐるりと列石や土塁で囲んだ古代山城のことで 北部九州から瀬戸内にかけて16か所が確認されています

 

岡山県の鬼ノ城もそのひとつにあたります

www.aranciarossa.work

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その目的については謎につつまれていますが 近年の調査で7世紀ごろの築造とされ 白村江の戦以後 唐や新羅の侵攻に備えたものとの説が有力です 

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一見 なんてことない遊歩道わきの土留め石のようですが 実は1500年近く前につくられたものです f:id:aranciarossa:20210401082518j:plain

列石は全長3kmほどに及んで 馬蹄形に山腹を取り囲んでいるそうです...

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 公園の坂をのぼると 古代のやぐらをイメージした展望台がありました

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 上にのぼると西に有明海を一望できます

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北を望めば筑後平野をはさんで 吉野ヶ里のある脊振の山々が見えます...

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南は有明海の向こうに雲仙の山々が浮かんでいます

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女山(ぞやま)の眼下に広がるみやま市はかつて山門(やまと)郡とよばれていました...

史書によれば この地は二度も 大和朝廷の征伐に遭っています

 

最初は景行天皇(12代)の九州巡幸のとき

南筑明覧という江戸時代の地誌に 「この地の女酋 葛築目(玖津女:くずちめ)が勅命に従わないため景行天皇に征せられた」 という古老の話が載っています

 

二度目は神功皇后(14代仲哀天皇妃)熊襲征伐のとき

 日本書紀に...

「山門郡(やまと:今のみやま市柳川市の土蜘蛛 田油津媛(たぶらつひめ)が仲哀9年3月に神功皇后によって誅せられた」

「田油津媛には夏羽という兄がいたが 夏羽率いる軍は妹の死を聞いて逃亡した」

という記載があります

 

どちらもこの地に女王の統べる国があったことを示唆しています

 

そして山門(やまと)という地名... 邪馬台(やまたい)に似ていますよね⁈

また 魏志倭人伝には邪馬台国の女王は夫を持たず 弟が政治を補佐したという記述がありますが 田油津媛と夏羽の兄妹の関係はこれを彷彿とさせます...

 

邪馬台国は九州にあったとする説のひとつ「筑紫国山門郡説」は 江戸時代に新井白石も主張していたそうです!

 

女山(ぞやま)という奇妙な読み方も 以前は「女王山」と言われていたものが訛ったとする話もあります

 

神籠石の築造は7世紀ということですが それに先立つ邪馬台国関連の城塞があったのかもしれません...

 

魏志倭人伝に登場する邪馬台国卑弥呼は 西暦200年前後から247年ごろまでを生きた人だと推定されていて 彼女の死後 台与(とよ)という13歳の少女が女王を継いだと記されています

 

景行天皇神功皇后の在位年については諸説ありますが もし葛築目や田油津媛の国が邪馬台国だとしたら 彼女たちは卑弥呼の数世代後の女王だったと思われます

 

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 女山(ぞやま)を下ってすぐ...
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菜の花満開の田んぼやビニールハウスの並ぶ農道の脇にぽつんと小さな丘があります

③権現塚

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 古老の話として この塚は葛築目(くずちめ)の墓と伝えられています

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「葛」や「国栖(くず)」という言葉は「土蜘蛛」と同様に大和朝廷に従わない者たちへの蔑称なのでしょう...

 

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 ④蜘蛛塚(くもづか)

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老松宮という小さな神社の脇に 蜘蛛塚という碑の立つ祠があります

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これが土蜘蛛の田油津媛の墓といわれています

かつては大塚とか女王塚とよばれ 前方後円墳だったようですが 時代とともに削られて今では見る影もありません...

祠の立つ場所が石室の中心部だったようです

また 大正2年 この古墳を崩して新道が建設されたのですが そのときに皇室に遠慮して女王塚から蜘蛛塚に改称されたようです

 

田油津(たぶらつ)も「たぶらかす」に類似した蔑称と思われますが 古代の戦争ではこうした呪詛的な悪口も重要だったのかもしれません...

 

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もし ここ みやま市(山門郡)が邪馬台国だとしたら 卑弥呼の墓はどこにあるのでしょうか...

 

卑弥呼は247年ごろに亡くなり 径百余歩の墓に葬られたと記されています...

このことから 卑弥呼の墓は3世紀半ばにできて 直径140mほどの円墳(あるいは方墳)であることが推定されています

残念ながら みやま市のこの付近には それに該当する古墳は現存しないようです

 

当時は北部九州一円に勢力を広げていたとみられる邪馬台国の女王ですから その墓はもう少し北のほうにつくられたのかもしれませんね(^_-)-☆

 

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⑤石人山古墳

 

筑紫を中心とした北部九州には 石人・石馬像や装飾古墳など 本州とは異なった独自の文化が繁栄していました✨

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石人山古墳は八女古墳群に属する全長120mの前方後円墳

5世紀前半から中頃のものとされています

 

石人山古墳の名前の由来となった武装石人が石室前の「石人社」におさめられています

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江戸時代から知られていて かつては目・鼻・口がしっかり彫られていたようです

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体の悪いところをさするとご利益があるということで多くの人に撫でられて 今では顔はつぶれてしまっています^^;

 

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後円部中央に横穴式石室があり 内部に家形石棺がおさめられています

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 遮光カーテンを開いて中を覗いて見学できます(^_-)-☆

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⑥岩戸山古墳

 

西暦528年の磐井の乱

継体天皇大和朝廷軍に対して 北部九州の勢力を糾合して反乱をおこした指導者が 筑紫君磐井(つくしのきみいわい)です

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6世紀以降 朝鮮半島では新羅が急速に勢力を拡大して各地を侵略しはじめます...

継体天皇任那百済におけるわが国の権益を守るために朝鮮半島へ軍を派遣しようとしました

朝鮮半島と交流のあった磐井が新羅に味方したのか 朝廷から新たな兵役を課されることに抵抗したのか 反乱の正確な理由は諸説あって不明ですが 筑紫君磐井はこの軍を阻んで交戦し 敗れました

 

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岩戸山古墳は八女古墳群のひとつで 九州北部では最大の古墳です

全長135mの前方後円墳で 北東隅に別区とよばれる43m四方の方形状区画をもつのが特徴的✨

6世紀前半の築造と推定され 筑紫君磐井の墓に比定されています

(先ほどの石人山古墳は磐井の祖父の墓といわれています

墳丘・周堤・別区からは「石人・石馬」など 量・種類ともに他の古墳を圧倒する遺物が出土しており 隣接する岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷で見学できます !

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館内写真⤵

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無料なのにすごい展示物です✨

石製品は他の古墳における埴輪のように人物・動物・器財を実物大でかたどったものが多くあります

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交流館の裏側から 古墳に行くことができます

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後円部前方部を見上げたところ (※墳丘は二段になっています)

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北西部からみた岩戸山古墳の前方部... 迫力あります

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 ぐるりと一周すると神社があらわれました f:id:aranciarossa:20210401100435j:plain

墳丘が二段になっているのがよくわかります⤵

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前方部の頂上に祠が建てられています

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後円部にも祠があったようですが 今は碑があるだけです

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後円部に付属するように別区があります

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このような施設(別区)が残っているのは全国で岩戸山古墳だけのようです

 

現在の別区には石製品のレプリカが大きさを縮小して立てられています

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反乱の首謀者なのに本当にこんな大規模な古墳に埋葬されたのでしょうか...?

日本書紀によれば 磐井の息子 葛子は糟屋郡を朝廷に献上することで死罪を免れたそうです...

その後も筑紫君一族の名は史書に登場し その勢力は完全に滅ぼされたわけではなかったようです

 

葛築目や田油津媛の山門郡と筑紫君磐井の八女地方は 矢部川をはさんで目と鼻の先にあります

大和朝廷に何度もいためつけられながらも 邪馬台国の血統は消えてしまうことなく粘り強く生き続けたと考えるのは飛躍が大きすぎるでしょうか... 

      BY すまき

 

長い長い記事を最後まで読んで下さった皆さん

 ありがとうございました(*^^*)♡ 

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         完

 

次回は神奈川県の素敵なホテルのご紹介です
         

小京都 秋月(秋月城跡ほか)ー福岡県

福岡県朝倉市の中心地から北へ約7km...

筑紫山地の山懐に抱かれた小さな盆地にある城下町 秋月は「筑前の小京都」と言われています...

 

秋月で採れた花崗岩でつくられたアーチ橋が 訪れる人を最初に出迎えてくれます! 

 

秋月目鏡橋

  のどかな春の風景です...

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料金400円のこちらの駐車場に車をとめましたが 実は300円の所も多いことに後で気づきました^^;

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満開の時をねらっていたのですが 時すでに遅くかなりの花が散ってしまっていました^^;

気合を入れて桜色のスカートでそろえてみたのですが...(笑)

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せめて桜のじゅうたんだとよかったんですけど 散った花びらは道の端に集合していました

 

秋月城跡へと続く杉の馬場

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かつては杉並木でしたが 日露戦での戦勝記念に桜が植えられたそうで約500mの桜並木が続きます🌸🌸🌸

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ここは桜のじゅうたんです(*^^*)♡

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平日ですが ちょうど桜の頃でしたので お昼間は人がいっぱい!

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できるだけ人の少ない場所で写真を撮りましたがどこかに必ず人が写り込んでしまいます...

 

そこで。。。

前回の記事でも触れましたが  早朝に再び訪れました

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今回 早朝の写真もまじえて紹介します!

(写真が明るくなったり暗くなったりします^^;)

 

 

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秋月博物館  

 

 入館時間:9:30~16:30

 料金:大人 320円 ・中学生 160円 ・小学生 160円 

 休館日:月曜(祝日の場合は翌平日)・年末年始(12/28~1/4)・臨時休館あり

 

秋月黒田藩の藩校稽古館跡に建つ博物館です

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 黒田家ゆかりの品の展示がされていて秋月の歴史が学べます

またルノワール横山大観・麗子像で有名な岸田劉生の絵画も展示されていました!

 

ところで...

幕末から明治にかけて 秋月の名が全国に知られるできごとがありました!

1790年 日本ではじめて天然痘予防のための種痘を成功させたのは 秋月藩藩医緒方春朔でした!

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春朔が用いた「人痘法」は ジェンナーが考案した牛痘法と違い 天然痘患者から採取した膿(=痘痂)を使う方法でした

※もともとの人痘法は 管を通して粉末痘痂を鼻へ吹き入れるというものでしたが 春朔はさらに改良を加え へらに盛った粉末を鼻孔から吸引させると方法を考案しました

 

秋月藩内で天然痘が流行した時 春朔は 天野甚左衛門の申し出により自分の患者から痘痂を採取し甚左衛門の子供2人に初の種痘を実施しました

子供らは接種から2日後に天然痘の症状を発症しましたがその後10日ほどで回復したと言われます...

 

大人の都合で実験台になった子供さんは なんだか気の毒な気がしますが...

とにかくうまくいってよかったですね!

 

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1876年の維新後の明治政府への士族反乱秋月の乱」は翌年に勃発する西南戦争のさきがけとなりました

 

杉の馬場のつきあたりに秋月城があります

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秋月藩とは...

戦国時代にこの地を領していた秋月氏が日向高鍋に移封された後 福岡藩初代 黒田長政の三男である長興が 5万石を分与されてできた支藩です

 

一国一城令筑前国には「福岡城」だけが許されたため 正確には秋月城ではなく「秋月陣屋」と呼ばれました

 

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小さな櫓台の石垣があります

内堀は西側にまっすぐ一本だけ 北側の備えは細い小川を堀にしているようです

小さな内堀に桜の花びらが浮かんでいますf:id:aranciarossa:20210401174056j:plain

よく見ると 。。。

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 🌸(゜゜)~  (゜゜)~  (゜゜)~🌸オタマジャクシがいっぱい!


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秋月城の堀にかかる石垣造りの橋「瓦坂」

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土砂の流出を防ぐため 瓦を縦に敷き詰めてあるのが名の由来です

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かつてはここに大手門がありました...

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現在 御殿跡は秋月中学校になっています

 

往時には二重櫓や平櫓などが5棟あったそうですが 現在は長屋門と 移築された黒門だけが現存しています

 

現存する遺構のひとつ 長屋門は搦手門(からめてもん)

 つまり裏門でした f:id:aranciarossa:20210401174759j:plainf:id:aranciarossa:20210401174825j:plain

この奥に 梅屋敷と呼ばれた藩主黒田氏の御殿がありました

 

花見シーズンなので屋台がでています(早朝の写真)

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杉の馬場を突き当りまで進みます🐾🐾
 

 

黒門はかつての大手門(正門)でした 

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元は先ほどご紹介した瓦坂の上にあった門ですが 明治13年に神社の門として移築されました

 

門をくぐって急な石段をのぼります🐾🐾

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垂裕神社(すいようじんじゃ)

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 秋月藩初代藩主 黒田長興を祭神とする神社です

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お参りすると自動でライトアップされました✨

 

杉の馬場からちょっと寄り道を🐾🐾

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ムスカリの花が咲いていました ♡

 

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上目遣いの猫さんと目があいました!

 

のどかな城下町の風景...

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町のなかに かつて時を知らせた時櫓がおかれていた高台があります

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ここからは秋月城が一望できます

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中央の山が戦国時代に秋月氏の居城だった古処山

山すそ右側の森が秋月城です...

 

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町を流れる野鳥川

男はつらいよ」の舞台になったことがあり 川沿いの遊歩道は 寅さん小路 と名付けられています!

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以上 「城下町 秋月」のご紹介でした...

 

最後に ここからすぐ近く 眼鏡橋の前にあるパン屋さんのご紹介をします

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眼鏡橋の向かいにある人気のパン屋さん

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広い駐車場もあります

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天然酵母パン 月の峠(福岡県朝倉市 秋月)

  営業時間 :11:00~17:00 ※売り切れ次第終了
      不定


15時前でしたが まだおいしそうなパンが並んでいます♡
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お目当ては カレーぱん 220円

お店のぶっちぎりNO.1!

~たまねぎをひたすら炒めて鶏がらスープ・古処鶏ミンチ・スパイス・ヨーグルト...色々加えて...煮込むこと2日間~ 

  だそうです!

本当は翌日のお昼にしたかったのですが...

翌朝 開いてる時間にお店に寄ることができないので 仕方なくお宿にチェックインしてお菓子をいただいた後に カレーパンもいただきました!

夕食にひびかないか心配でした(笑)
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とってもいい匂いがしています
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見た目もおいしそうです(*^^*)♡
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外はカリっと...パンはもっちり!カレーもとってもおいしくてペロっといただきました

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最後は綺麗な桜の写真で(^_-)-☆

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お宿の記事はこちらです

www.aranciarossa.work

 

次回は同じく福岡県の温泉宿「ふかほり邸」のお話です(^_-)-☆

丹波の山城② (黒井城・金山城)

 

丹波の山城①」からの続きです

www.aranciarossa.work

 

 今回は黒井城と…

丹波三大山城ではありませんが もう一つ 金山城のご紹介です(^_-)-☆

 

時は戦国時代…

明智光秀が攻めた丹波には 3人の有力者✨がいました

 

   ✨八木城内藤宗勝

 八上城波多野秀治

 黒井城赤井直正

 

 

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黒井城 

黒井城は兵庫県丹波市春日町の標高356mの猪の口山にあります

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山頂が平らな山城独特の姿は 大阪と城崎温泉を結ぶ特急「こうのとり」からも眺めることができます

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黒井駅前のロータリーから見上げた黒井城

 

山すそに興禅寺という 城のような構えの寺があります

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黒井城の下館(平時の居館)だったのではないかといわれています

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お寺の下に無料駐車場がありました

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のぼりに描かれている赤井直正は「丹波の赤鬼」とよばれていました

 

武田信玄にゆかりの「甲陽軍鑑」という書物によれば…

3人の「名高キ武士」として 赤井直正を筆頭に挙げ 徳川家康長宗我部元親と共に称しています!

戦国時代から江戸時代にかけて 全国に名を知られた武将だったようです

 

登山口

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すまりんがなんとなくお地蔵さんぽいです(笑)

 

黒井城は 別名 「保月城」といいます

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まっすぐ行くと「なだらかコース」 右に行くと「急坂コース」

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チャレンジャーはもちろん「急坂コース」で行きます🐾🐾

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ちょっと後悔⤵

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ここ黒井城の赤井直正は前回の記事で登場した八木城の内藤宗勝(松永長頼)✨を決戦で討ち取り その残党を鬼ヶ城に追い詰めて滅ぼすと 丹波最大の勢力となりました

(※鬼ヶ城には以前登りました)

www.aranciarossa.work

 

また 天空の城で有名な但馬の竹田城も攻め 生野銀山の権益も得ていたようです

www.aranciarossa.work

 

登り道の途中にある 階段状の曲輪

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中腹にある「石踏の段」とよばれる曲輪跡

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 40分ほどで山頂に到達です🚩

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東曲輪跡の石垣

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三の丸から二の丸・本丸を見上げたところ⤵

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二の丸の南東角から城下を見下ろしたところ⤵

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奥の山の向こうが八上城(前回に記載)のある篠山盆地です!

 

本丸の石垣 

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山城に行くのは 雑草の少ない冬がおすすめです(^_-)-☆

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頂上にて記念撮影📷

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黒井城の赤井直正八上城波多野秀治と協力して 明智光秀率いる織田の大軍を敗走させました(←前回 記載しました)

 

一年半後 光秀はこの黒井城と八上城を分断する位置に金山城(←後述)を築き 万全の準備を整えて再度丹波を攻めます

 

そのさなか 赤井直正は50歳で病死してしまいました

あまりのタイミングに 織田方に暗殺されたのではという説もあるようです!

カリスマを失った黒井城は なすすべもなく攻め落とされてしまいました...

 

下りは「なだらかコース」で🐾🐾

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 先ほどの興禅寺に下りてきました

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織田方の城となった黒井城には 明智光秀重臣斎藤利三が入りました

その娘 はのちに三代将軍徳川家光の乳母となり 大奥の礎を築いた春日局です

この興禅寺は 「春日局の生誕地」といわれています

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お福は3歳の冬までこの地で過ごしたそうです

 

お福の腰掛け石 ⤵

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産湯の井戸

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黒井駅前にあるお福(春日局)像

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 金山城

 

話が重なりますが…

第一次丹波侵攻で 黒井城の赤井直正を攻めた明智光秀八上城波多野秀治の裏切りにあって敗れました

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二度目の丹波攻めでは これを教訓にして黒井城と八上城の分断をはかりました

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金山は黒井城と八上城の中間点にあり 山頂から二つの城を望むことができました

明智光秀は金山の山頂に臨時の城を築いて必勝を期したのです

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戦の際に臨時に築かれた城を「陣城」といいます

北条氏の小田原征伐の際に 豊臣秀吉によって築かれた石垣山城は陣城の代表格です

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 金山の標高は530m 

けっこう高い山の上にあるので そこそこの山登りになります

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 山城によくある 獣除けの柵の扉をくぐっていきます

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 頭上に注意?

  → 崩れかけた鳥居がありました

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途中に"鬼の架け橋へ150m”の標識がありました

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   ⇩ ⇩ ⇩


頂上付近に「鬼の架け橋」という奇勝があります

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大江山の鬼👹が架けた橋であるという民話が語り伝えられていますが...

実際には地震により崩落した岩が偶然にこのような形状になったと推定されています!

後で知りましたが この石の上に乗ることもできるそうです!

乗ればよかった…

 

鬼の架け橋は 古くから奇勝として知られ 歌川広重が浮世絵にも描いています

 wikipediaより

 

岩の向こうは断崖絶壁です

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このすぐ横に 幸せの通り抜けという看板が...

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「通れない方はダイエットを♪♪♪」…だそうです

     ⇩ ⇩ ⇩

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上から見たところ⤵

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ちょっとドキドキしながら 最初にすまりんが通りました

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けっこうキツイ^^;

上着を脱げばよかったです(笑)

 

すまき⤵

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なんとかセーフ (*'▽')

汚れてもいい服で行った方がいいですね(^_-)-☆ 

 

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 鬼の架け橋から5分ほどのぼると 金山城本丸に到着します🚩

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南東側が篠山盆地

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うっすらと写真の中央に見える山が八上城 

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北には黒井城を望みます

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確かにここからだと両方のお城を見張ることができそうですね…


以上 丹波の山城のお話でした(^_-)-☆ 

最後までお読み下さりありがとうございました

のお話です

次回は京都で見つけた素敵なお土産(開花宣言)のお話です

丹波の山城①(八木城・八上城)

時は戦国時代...

 

明智光秀が攻めた丹波には 3人の有力者がいました

 

   ✨八木城内藤宗勝

 八上城波多野秀治

 黒井城赤井直正

 

八木城・八上城・黒井城は「丹波三大山城」とよばれるいずれも巨大な山城です!

すまきとすまりんは全部登ってきたので そのお話をさせていただきます

 

長くなるので2回に分けて今回は八木城と八上城のお話をさせていただきます(^_-)-☆

  

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八木城 

 

八木城は標高330mの山の上...

丹波(くちたんば)とよばれる亀岡盆地 を見下ろす場所にありました

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渡月橋で有名な嵯峨嵐山駅から山陰本線でわずか20分...

JR八木駅から1kmのところに登山口があります 

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麓の神社から見上げたお城山

八木城は丹波守護代丹波の実質トップ) 内藤氏の居城でした!

 

 城山のふもとを京都縦貫道が走っていて その下をくぐります🐾🐾

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 立派な城門のトンネルですが イメージ創作物ですね...

 室町時代の城門はこんなに立派ではありません  ( by すまき)

このトンネルの中に 近づくとライトアップされる説明板がありました

けっこう凝ってます ⤵

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内藤宗勝(ないとう そうしょう)✨は改名後の名前で 元の名は 松永長頼 といいます!

足利幕府末期に畿内の支配者として君臨した三好の家臣で 松永久秀の弟です

悪名高い 久秀(←大河ドラマ麒麟がくる』では吉田鋼太郎さんが演じておられました)と比べ 弟の長頼は誠実で武勇に長けた人物だったそうです…

 

彼は ここ八木城の内藤国貞の娘を妻としていましたが 八上城(※この後紹介)の波多野氏との戦いで 義父である国貞が討ち死にしたため 内藤宗勝を名乗り 八木城の当主となりました…

 

こちらが登り口です⤵

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一合目から順に指標があるので励みになります...

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といっても そんなに高い山ではありませんのでご安心を(^_-)-☆

30~40分で頂上に到着します

 

城のふもと付近には家臣たちの屋敷跡があります

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二合目

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三合目

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四合目

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五合目

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六合目

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 七合目

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八合目

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九合目

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二の丸跡

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本丸跡

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内藤氏は代々 "備前守"を名乗り 内藤宗勝も備前守を称しました

この本丸に屋敷があったそうです

 

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20m四方ほどの小さな本丸…

江戸時代の調査資料では石垣がめぐっていたようですが今は崩れて見る影もありませんf:id:aranciarossa:20210313140934j:plain

 

本丸跡にて記念撮影📷

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内藤宗勝は 義父を討った八上城の 波多野氏を攻め落として 一時は丹波のほとんどを平定し 三好家の重臣として活躍しました!

しかし三好氏の勢力が衰えると 復活した波多野氏や赤井氏の反抗がはじまり 次回お話する黒井城の赤井直正との決戦で戦死してしまいました...

 

 本丸から腰曲輪(一段下の段)を見下ろしたところ

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入り口には土塁のような胸壁がありました

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本丸跡から亀岡平野が一望できます

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正面の山の向こうは京都です!

まんなかあたりに愛宕山が見えています…

明智光秀が「ときは今 あめが下しる 五月かな」の句を詠んで

敵は本能寺にあり!!」

の下知を下した愛宕神社は その山頂にあります

 

 

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内藤宗勝の後を継いだ子の内藤如安ジョアン)キリシタンとして有名です

江戸幕府キリシタン追放令で高山右近らとともにフィリピンのマニラに追放され 当地で日本人町を築いたと伝えられています

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地元は内藤ジョアン推しのようです(^_-)-☆

 

 

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八上城

 

丹波の国」は 廃藩置県京都府兵庫県とに分割されました

 

兵庫県丹波の中心地は丹波篠山

その篠山盆地を見下ろす山の上に 八上城はありました

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篠山市街から見た八上城

標高459mの丹波富士(高城山)の山頂にあります

 

戦国時代 八上城波多野氏丹波守護代の内藤氏を破って丹波の地を従えました

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登山道が一部通行止めになっていましたので...

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 春日神社コースでまいります🐾🐾

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登山口

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お手洗い(男性小用は丸見えに近いです^^;)

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こちらが春日神

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高い山城は住むのが大変なので 平時用の屋敷は麓に設けられていることが多いです

屋敷跡は下草の繁る杉林になっていました

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急な斜面を登り詰めると尾根筋に出ます

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尾根筋に沿って いくつもの曲輪(陣地のようなもの)が配置されています

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目指す本丸はまだ先。。。

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ひたすら歩き続けます🐾🐾

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ここから頂上までは約650m(約26分)とのこと

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急に視界が開けて 野面(のづら)積みの石垣⇙があらわれました 

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三の丸跡

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山頂部の城郭は木が伐られて往時の状態がわかりやすく整備されていました

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二の丸跡

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三の丸~二の丸~本丸と階段状に配置されています

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本丸跡

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波多野氏は 松永久秀・長頼(=内藤宗勝)兄弟に敗れ 八上城から追い出されてしまいましたが 隙をついて八上城を奪還します

そして織田信長が将軍足利義昭を奉じて上洛すると 黒井城の赤井直正らとともに織田家に従いました

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本丸から篠山平野の眺め...

山の向こうあたりに黒井城があるはずです

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将軍義昭と織田信長の仲が険悪になると 義昭の呼びかけに応じた赤井直正らが織田に対して反乱を起こしました


波多野秀治はいったんは明智光秀率いる織田軍に協力する姿勢をみせます..

 

 ➡ 光秀は 赤井直正の立て籠もる黒井城を包囲しました!

  孤立した黒井城が落城するのも時間の問題 (>_<) と思われたその時...

 

突如 波多野秀治織田家を裏切り 明智陣営を背後から急襲したのです👀


不意を突かれた光秀は命からがら敗走しました💨


激怒した信長は光秀に再度丹波征伐を命じ…

光秀は波多野秀治の立てこもるこの八上城を包囲!!

 

光秀はなんと実母 "お牧の方"を人質に差し出して 波多野一族の助命を保証したうえで 波多野氏に降伏をすすめました

にもかかわらず…

信長は安土城に移送された波多野秀治を処刑してしまいます 

 (/ω\)

NHK大河ドラマ 麒麟がくる』でも ありましたね...

 

"お牧の方"は怒った波多野残党によって磔にされたという伝説があります

 

これから「はりつけ松跡」の見物に行きます🐾🐾

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この登山道は先ほどの地図で通行止めだった道ですが「はりつけ松跡」はその途中にあります

 

一旦 山を下ります🐾🐾

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※本当は「はりつけ松跡」を見てそのまま下山したいのですが 先が通行止めなので  また山頂に戻ってくる必要があります

 

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写真は「はりつけの松」があった場所と伝わるところです

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ポスターにも 「磔にされた光秀の母 "お牧の方"」の絵が…

  ずいぶん若いですね 。。

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このエピソードはドラマでも後半のクライマックスになるのでは?と想像していましたが 全くスルーでした^^;

そもそも丹波攻めの話がほぼ無視でしたね^^;

地元の人はがっかりしたのではないでしょうか...

 

引き返して途中の「朝路池」にも行ってみます🐾🐾

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急な坂を下って行きます・・・ f:id:aranciarossa:20210313145020j:plain

 

大竪堀

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谷あいに小さな池が見えてきました

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「朝路池」跡です

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近くで見ると 石垣で囲まれた立派な池です

第二次丹波征伐で八上城を包囲された波多野秀治はなんと1年半も籠城を続けたそうですが きっと山頂近くにこんな立派な水場があったからですね!

 

しかし光秀率いる大軍 (織田軍) に勝てるはずもなく やがて八上城は落城します...

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波多野秀治の娘 朝路姫が落城の時にこの池に身を投げたと言われています...

 

女の人が池をのぞいて『美人に見えたら 』近いうちに死ぬ

 という言い伝えがあるそうです

 

『美人がのぞいたら』。。とは違うので 注意が必要です!

すまりんはやめておきました...

 

 次回は黒井城のお話です(^_-)-☆

      

        ...

 

郡上八幡めぐり...

 すまきとすまりんは郡上八幡にやってきました

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郡上おどりでも知られる郡上八幡岐阜県中部 長良川上流域にある山間の町...

平成の市町村大合併でできた郡上市の中心地です!

 

江戸時代には郡上藩という小藩があり初代藩主は遠藤氏でした

土佐藩山内一豊の妻で 内助の功で有名な「千代」郡上八幡城主 遠藤盛数の娘であるとする説があります
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2006年のNHK大河ドラマ功名が辻」では仲間由紀恵さんが千代を演じましたが その人気にあやかって千代の出身地ということで町おこしがなされているようです...

 

郡上八幡城は長良川の支流 「吉田川」のほとりにそびえる山城🏯です

これからお城に向かいます🐾🐾

 

山頂に駐車場が20台分ありますがすまりんたちは下の駐車場に車をとめて歩いて行きました

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看板の表示によれば お城へは 車で5分 かかるところが 徒歩だとたった12分

細かいようで 案外いいかげんな気もします...(笑)

 

左の山道に入る方が近道のようです!
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「少し足元が悪くてナント3分程早い...」

  微妙です(^^;)

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少し足元の悪い道を選びました(笑)

あっという間にこちらに出てきました...
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またまた運命の分かれ道に遭遇したようです(笑)
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   ▶困難だが早い道を使う

      無難な道を選ぶ

 

ひねくれもののすまりんたちはあえて困難な道を選びました
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 急な階段は一瞬で また舗装された道に出てきました
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親切な注意は車に対してです⤵
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すまりんたちは小回りで行きます🐾🐾

 
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お城の入り口に到着です!
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ここまでで 7~8分でした!

 

こちらはセット券売り場です

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お城から徒歩10~15分の所にある郡上おどりミュージアム郡上八幡博覧館」にも行かれる場合はセット券を購入するほうがかなりお得のようです

 博覧館入場料:大人540円 小人320円

 お城入場料 :大人320円 小人150円

    ⇩⇩⇩

 セット券    :大人650円 小人350円

 

すまりんたちは時間の関係でお城だけの見学をしましたのでこちらではチケット購入せずこのまま進みます...

 

こちらの売店で八幡城の入場チケットを購入⤵

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絶景スポット📷発見✨
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  魚のカタチの城下町⁉

     ⇩ ⇩ ⇩
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右手の山腹にみえる東海北陸自動車道に沿って長良川が流れています

眼下に見える支流の吉田川がカーブを描いているので街全体が魚の形に見えています

 

さてお城へ...

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石段を上がった所にも絶景スポット📷


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  迫力のある城の構図!

  ⇩ ⇩ ⇩
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城の建物は昭和になってから再建されたもので 形は往時とは異なるイメージです

 

再建された城ではありますが 司馬遼太郎は「街道をゆく」の中で

「日本で最も美しい山城であり、隠国(こもりく)の城」

と評しました...

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中に入ります...
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コンクリートでつくられることが多い模擬天守ですが ここは全国的にも珍しく木造で再建されています!

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郡上藩は藩主の家が何度も替わっています

遠藤氏→井上氏→ 金森氏と続き 宮津から移ってきた青山氏が7代続いて明治を迎えました

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左の絵は「山内一豊」で右は「千代」です

大河ドラマとはちょっとイメージが異なりますね!

 

天守最上階から見るとよりはっきり魚の形の城下町に見えます
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中央の大きな屋根の建物は慈恩禅寺⤵

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広場には 登山口にあった「山内一豊と千代の銅像」が見えています...

すまりんたちが車をとめた駐車場もそのあたりです

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郡上八幡は『水の町』としても有名です!

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町のあちこちに「水舟」とよばれる湧水の水槽があります
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一段目は飲用水に...

二段目は食器洗いに使います

そして流れた”ごはん粒”は魚のえさになります🐟

 

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宗祇水郡上八幡のシンボル✨

名水百選の第一号に指定された湧水です

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連歌で有名な室町時代歌人 飯尾宗祇にちなんで名づけられました

 

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夏には地元の人たちがここでスイカを冷やすんですって...🍉
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町を貫く清流 吉田川...

小山の上に郡上八幡が見えていますがお分かりでしょうか...

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      ⇩ ⇩ ⇩

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    ⇩ ⇩ ⇩
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吉田川にかかる「新橋からの飛び込み」は郡上八幡の夏の風物詩です

時々ニュースでも紹介されています
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もともとは地元の子供たちが度胸試しに飛び込んでいたものです...
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川面からの高さは12mもあります👀

 有名になってからは地元以外の人も飛び込むようになり 死者が出たそうです
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橋の周りに注意を促す掲示がありました
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もちろんすまりんたちには絶対無理です^^;
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さておなかもすいたので

さてお昼ご飯はお蕎麦を食べに行きました

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そのお店は古い街並みを残す城下町の一角にありました...

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蕎麦正まつい 郡上八幡岐阜県郡上市八幡町鍛冶屋町)

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郡上八幡を流れる名水を使った美味しい手打ちそばが食べられるお店✨

営業時間:11:00~売切れ次第終了

 

蕎麦は『挽きたて・打ちたて・茹でたて』の信条を守っていて 冬でもざるそば・おろしそばのみだそうです

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 ざるそば1000円(税別)

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 大盛は1600円
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蕎麦屋ならではの天婦羅」も気になりましたので注文...

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天婦羅は二人でシェアしました... 

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オリジナルの海老の蕎麦巻きととろろ芋の蕎麦巻き天ぷら✨1000円

サクサクでとっても美味しかったです!

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すまきの大盛はかなりのボリュームでおなかいっぱいになったそうです

とっても美味しいお蕎麦でした(*^^*)♡


とろとろ蕎麦湯もいただきました♡
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最後は郡上八幡にある大きな鍾乳洞のお話です(^_-)-☆
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大滝鍾乳洞岐阜県郡上市八幡町安久田)

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併設された釣り堀では 貸し竿1本300円で釣りが楽しめます(^_-)-☆

釣り上げた魚は無料!その場で焼ける場所も無料だそうです!

夏限定で郡上八幡の名水を使った流しそうめんも楽しめるそうです✨

お土産売り場も充実していました!

 

冬季は休業していて 3月~12月が遊びに行けるチャンスです

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入場料:大人1000円

    中人(中・高生)800円

    小人(5歳~)500円

JAF割引(10%割引)があり団体割引料金と同じになります

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洞窟見学の所要時間は約30分です
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正面に見えてきたのはケーブルカー乗り場です
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杉林の急斜面を珍しい木製のケーブルカーが行き来しています

ケーブルカーは24人乗りで随時運行...

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下りのケーブルカー(帰り道は別なので無人です)とすれ違いました
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あっという間に山上駅に到着です
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鍾乳洞の入り口
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大滝鍾乳洞は総延長2kmに及ぶ東海地区最大級の石灰洞窟です

このうち約700mが観光用として整備されています

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中は夏でもひんやり...

 

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天上が低い所もあるので背の高いかたは頭上注意です!

階段もあります⤵
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洞内の見どころ 天上界 ✨

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鍾乳石が1㎝延びるのに100年もかかるんですね...

 気が遠くなります...

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月光石

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「透明度と艶の良さは鍾乳石として最高の品位」だと書かれています

美しかったです✨

 

小野釣鐘なすび
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色付けしたくなります...

 

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停電したらパニックになりそうです^^;

 

いよいよ目玉スポット 大滝 です✨

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洞窟内最深部にある落差30mの滝!
地底の滝としては日本最大級です✨

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残念ながら1枚の写真に綺麗に収めることはできませんでしたf:id:aranciarossa:20210513193231j:plain 

滝つぼには亀の置物がありました
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神水をいただくこともできます
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休憩コーナー
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注)椅子はちょっと濡れているかもしれません...

もう少し眺めがよいといいですね。。。
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まもなく出口です
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出口からは徒歩で戻ります🐾🐾

下にはケーブルカーが見えています
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外に出ると蒸し暑く感じられました...
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すまりんたちはこのあと本日のお宿に向かいました...

その名は『満天の宿』

 天気は曇りです 

     . . . 

 

 長い記事 最後までお読み下さりありがとうございました