露天風呂付き客室のある温泉宿に泊まる旅

すまりんが夫のすまきと"癒しと美食“を求め全国飛び回る

対馬観光④(元寇の舞台 小茂田浜 と 金石城)

対馬観光シリーズ 第4話は...

 ①小茂田浜

 ➁金石城

 

対馬の南にまいります...

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古くから日本の最前線に立つ国境の島 「対馬

その対馬が歴史上最大のピンチに直面したのが 文永・弘安の役...

つまり元寇です

文永の役 1274年 弘安の役1281年...

すまりんは小学校の先生に「いになよ!」「いにやい!」と無理やり覚えさせられました

※意味は分かりますがそんな言葉は地元では使ったことはありません...

 

対馬における元軍との戦いは漫画「アンゴルモア 元寇合戦記」やゲーム「Ghost of Tsushima」でとりあげられて 最近 特に有名になりました!

 

①小茂田浜長崎県対馬市厳原町小茂田)

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文永の役では 軍船900隻 総数3万の元軍がこの小茂田浜に押し寄せました

対馬の地頭で守護代だった宗助国(そう すけくに)は 連絡を受けたのち 夜道を駆け わずか80騎あまりの軍勢でこの大軍を迎え撃ったのです👀

 

宗助国騎馬像⤵

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対馬勢は多くの元兵と元軍の将軍と思しき人物を射倒し 宗助国自らも4人射倒すなど奮戦したものの 多勢に無勢 全滅してしまいました(>_<)

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元軍は上陸後 島内の民衆を殺戮 あるいは捕虜とし 捕虜とした女性の「手ヲトヲシテ」つまり手の平に穴を穿ち これを貫き通して 盾のかわりに船壁に並べ立てたと記されています

あまりにも残酷すぎます(>_<)

 

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小茂田浜神社
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文永の役で戦死した将士の霊を祀った神社だそうです

 

いろいろ調べてみましたが 資料によって書かれていることがバラバラで^^; 要領を得ないのですが...

助国の長男の盛明(もりあきら)太宰府に出仕していて無事だったようです

次男の右馬次郎 や養子の弥次郎など一族郎党の多くは討ち死にしました

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拝殿のなかに合戦を描いた絵馬が掛けられていました

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 今は静かで美しい小茂田浜...

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二度目の弘安の役でも 二手に分かれた元軍のうち東路軍が対馬を襲撃しました

詳細はほとんどわからないようですが 助国のあとを継いだ盛明がこれに応戦したようです...

山の少ない「壱岐」では 逃げ場のない住民が殺戮され 生存者はわずか65人だったとも伝えられていますが 山深いこの「対馬」では 地の利を生かして 少しでも多くの人が逃げのびることができたのかもしれません...

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②金石城長崎県対馬市厳原町今屋敷)

 

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2度にわたる元寇の地獄を生き抜いて 対馬領主の宗氏は命脈を保ちました

そして助国から数えて18代目の宗義智(よしとし)豊臣秀吉対馬一国を安堵され 朝鮮出兵では最先鋒として戦いました

その後の関ヶ原では西軍に与したにも関わらず  『朝鮮との国交修復には 朝鮮に詳しい宗氏の協力が欠かせない』と判断した徳川家康は 義智の罪を問わず 所領を安堵しました

対馬藩主宗氏の居館と藩庁があったのが 厳原にある金石城です

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平地の少ない対馬では あまり米がとれませんでしたが...

幕府は『朝鮮との重要な外交窓口』として対馬藩を重視し 国主10万石格として遇しました!

鎖国体制のなか 対馬の宗氏は朝鮮通信使を迎えるなど日朝外交の仲介者としての役割を果たしました

参勤交代は3年に一度だったそうです

 

金石城には天守は築かれず 大手門を立派な二重櫓門にして天守の代用としていました...

老朽化により大正8年に解体されていましたが  平成2年 古写真や模型などに基づき木造によって二重櫓門が復元されました⤵

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 2022年4月開館予定で 「対馬博物館」の建設が進んでいるようです

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tsushimamuseum.jp

開館したら訪れてみたいです(*^^*)♡

 

金石城の背後の山は清水山城

秀吉の朝鮮出兵の際には城が築かれたそうです

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城館の南西隅にあった庭園が復元されています

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旧金石城庭園
 開館時間:9:00~17:00
 定休日:火曜日・木曜日
   入館料:大人300円 ・小中学生100円

 

城のいちばん山手側に万松院という宗氏の菩提寺があります

1615年の創建当時のままの山門は対馬で最古の建物です✨

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入場時間:8:00~17:00(夏期は18:00まで)年中無休
料金: 大人300円・高校生200円・小中学生100円

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本堂は1879年に再建されました

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 諫鼓(かんこ)

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諫鼓(かんこ)とは 領主に諫言をしようとする者に打ち鳴らさせるために設けたという鼓のことです

写真の看板にも書かれていますが「諫鼓苔蒸す」は善政によって諫鼓を使う必要がない( →鼓に苔が生える)ということです

また「諫鼓鳥」という言葉は 諫鼓の上で鳥が遊んでいる...つまり 領主が善政をおこなっている ということを表しているそうです

※「閑古鳥が鳴く」といえば 客が少なく寂しい様子をいいますが「諫鼓鳥が鳴く」が正しいとする説もあるようです

 

 山門の内側⤵

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山門の裏を通り 百雁木(ひゃくがんき)と呼ばれる132段の石段を登ると 歴代藩主と家族の墓所があります

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建立前から この地にそびえたつ 樹齢1200年の大スギ

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対馬で最も古い杉の木だそうです

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「日本三大墓地」というものがあるらしく。。。

金沢の前田家墓所・萩の毛利家墓所とともに この対馬の万松院がそれにあたるそうです!

こちらが対馬藩初代 宗義智墓所です

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万松院は義智法名にちなんでつけられました

初代のお墓がいちばん質素でした!

 

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対馬藩の宗氏は16代義達まで続き 版籍奉還を迎えました
 

 

次回は対馬ちょこっとグルメのお話です(^_-)-☆

 

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