時は戦国時代...
✨八木城の内藤宗勝
✨黒井城の赤井直正
八木城・八上城・黒井城は「丹波三大山城」とよばれるいずれも巨大な山城です!
すまきとすまりんは全部登ってきたので そのお話をさせていただきます
長くなるので2回に分けて今回は八木城と八上城のお話をさせていただきます(^_-)-☆
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八木城 跡
八木城は標高330mの山の上...
口丹波(くちたんば)とよばれる亀岡盆地 を見下ろす場所にありました
JR八木駅から1kmのところに登山口があります
麓の神社から見上げたお城山
八木城は丹波守護代(丹波の実質トップ) 内藤氏の居城でした!
城山のふもとを京都縦貫道が走っていて その下をくぐります🐾🐾
立派な城門のトンネルですが イメージ創作物ですね...
室町時代の城門はこんなに立派ではありません ( by すまき)
このトンネルの中に 近づくとライトアップされる説明板がありました
けっこう凝ってます ⤵
内藤宗勝(ないとう そうしょう)✨は改名後の名前で 元の名は 松永長頼 といいます!
足利幕府末期に畿内の支配者として君臨した三好の家臣で 松永久秀の弟です
悪名高い 久秀(←大河ドラマ『麒麟がくる』では吉田鋼太郎さんが演じておられました)と比べ 弟の長頼は誠実で武勇に長けた人物だったそうです…
彼は ここ八木城の内藤国貞の娘を妻としていましたが 八上城(※この後紹介)の波多野氏との戦いで 義父である国貞が討ち死にしたため 内藤宗勝を名乗り 八木城の当主となりました…
こちらが登り口です⤵
一合目から順に指標があるので励みになります...
といっても そんなに高い山ではありませんのでご安心を(^_-)-☆
30~40分で頂上に到着します
城のふもと付近には家臣たちの屋敷跡があります
二合目
三合目
四合目
五合目
六合目
七合目
八合目
九合目
二の丸跡
本丸跡
内藤氏は代々 "備前守"を名乗り 内藤宗勝も備前守を称しました
この本丸に屋敷があったそうです☝
20m四方ほどの小さな本丸…
江戸時代の調査資料では石垣がめぐっていたようですが今は崩れて見る影もありません
本丸跡にて記念撮影📷
内藤宗勝は 義父を討った八上城の 波多野氏を攻め落として 一時は丹波のほとんどを平定し 三好家の重臣として活躍しました!
しかし三好氏の勢力が衰えると 復活した波多野氏や赤井氏の反抗がはじまり 次回お話する黒井城の赤井直正✨との決戦で戦死してしまいました...
本丸から腰曲輪(一段下の段)を見下ろしたところ ↓
入り口には土塁のような胸壁がありました
本丸跡から亀岡平野が一望できます
正面の山の向こうは京都です!
まんなかあたりに愛宕山が見えています…
明智光秀が「ときは今 あめが下しる 五月かな」の句を詠んで
「敵は本能寺にあり!!」
の下知を下した愛宕神社は その山頂にあります
内藤宗勝の後を継いだ子の内藤如安(ジョアン)はキリシタンとして有名です
江戸幕府のキリシタン追放令で高山右近らとともにフィリピンのマニラに追放され 当地で日本人町を築いたと伝えられています
地元は内藤ジョアン推しのようです(^_-)-☆
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八上城 跡
その篠山盆地を見下ろす山の上に 八上城はありました
標高459mの丹波富士(高城山)の山頂にあります
戦国時代 八上城の波多野氏は 丹波守護代の内藤氏を破って丹波の地を従えました
登山道が一部通行止めになっていましたので...
春日神社コース↑でまいります🐾🐾
登山口
お手洗い(男性小用は丸見えに近いです^^;)
こちらが春日神社
高い山城は住むのが大変なので 平時用の屋敷は麓に設けられていることが多いです
屋敷跡は下草の繁る杉林になっていました
急な斜面を登り詰めると尾根筋に出ます
尾根筋に沿って いくつもの曲輪(陣地のようなもの)が配置されています
目指す本丸はまだ先。。。
ひたすら歩き続けます🐾🐾
ここから頂上までは約650m(約26分)とのこと
急に視界が開けて 野面(のづら)積みの石垣⇙があらわれました
三の丸跡
山頂部の城郭は木が伐られて往時の状態がわかりやすく整備されていました
二の丸跡
三の丸~二の丸~本丸と階段状に配置されています
本丸跡
波多野氏は 松永久秀・長頼(=内藤宗勝✨)兄弟に敗れ 八上城から追い出されてしまいましたが 隙をついて八上城を奪還します
そして織田信長が将軍足利義昭を奉じて上洛すると 黒井城の赤井直正✨らとともに織田家に従いました
本丸から篠山平野の眺め...
山の向こうあたりに黒井城があるはずです
将軍義昭と織田信長の仲が険悪になると 義昭の呼びかけに応じた赤井直正✨らが織田に対して反乱を起こしました
波多野秀治✨はいったんは明智光秀率いる織田軍に協力する姿勢をみせます..
➡ 光秀は 赤井直正の立て籠もる黒井城を包囲しました!
孤立した黒井城が落城するのも時間の問題 (>_<) と思われたその時...
突如 波多野秀治は織田家を裏切り 明智陣営を背後から急襲したのです👀
不意を突かれた光秀は命からがら敗走しました💨
激怒した信長は光秀に再度丹波征伐を命じ…
光秀はなんと実母 "お牧の方"を人質に差し出して 波多野一族の助命を保証したうえで 波多野氏に降伏をすすめました
にもかかわらず…
(/ω\)
"お牧の方"は怒った波多野残党によって磔にされたという伝説があります
これから「はりつけ松跡」の見物に行きます🐾🐾
この登山道は先ほどの地図で通行止めだった道ですが「はりつけ松跡」はその途中にあります
一旦 山を下ります🐾🐾
※本当は「はりつけ松跡」を見てそのまま下山したいのですが 先が通行止めなので また山頂に戻ってくる必要があります
↓ 写真は「はりつけの松」があった場所と伝わるところです
ポスターにも 「磔にされた光秀の母 "お牧の方"」の絵が…
ずいぶん若いですね 。。
このエピソードはドラマでも後半のクライマックスになるのでは?と想像していましたが 全くスルーでした^^;
そもそも丹波攻めの話がほぼ無視でしたね^^;
地元の人はがっかりしたのではないでしょうか...
引き返して途中の「朝路池」にも行ってみます🐾🐾
急な坂を下って行きます・・・
大竪堀
谷あいに小さな池が見えてきました
「朝路池」跡です
近くで見ると 石垣で囲まれた立派な池です
第二次丹波征伐で八上城を包囲された波多野秀治✨はなんと1年半も籠城を続けたそうですが きっと山頂近くにこんな立派な水場があったからですね!
しかし光秀率いる大軍 (織田軍) に勝てるはずもなく やがて八上城は落城します...
波多野秀治の娘 朝路姫が落城の時にこの池に身を投げたと言われています...
女の人が池をのぞいて『美人に見えたら 』近いうちに死ぬ
という言い伝えがあるそうです
『美人がのぞいたら』。。とは違うので 注意が必要です!
すまりんはやめておきました...
次回は黒井城のお話です(^_-)-☆
...続