すまりんの てくてく ふたり旅

部屋付き温泉のある素敵な宿と美食を求め 夫のすまきと全国飛び回ります!

国民宿舎 いろは島(いろは島温泉~佐賀県)①

佐賀県 伊万里湾に浮かぶ大小約48もの島々を総称して「いろは島」と呼ぶそうです

あいにくの天気ですが...^^;

すまきとすまりんは いろは島を見渡せる絶景のお宿にやってきました

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正面に広い駐車スペースに車をとめて 玄関へ向かいます

入り口のところにスタッフのかたが待機されていて 館内へ誘導して下さいました

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国民宿舎 いろは島 (佐賀県唐津市

 チェックイン15:00  チェックアウト10:00

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ロビー右手のフロントにて チェックインの手続きを行いました

 

上の写真の右手前  (階段下)に生け簀がありイカが泳いでいました

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すまりんたちの夕食は"鯛の会席"でしたが 退出時 他のテーブルに新鮮そうなイカの姿造りを見かけました

おそらくここから提供されたのだと思います

フロントの向かい(玄関左手)の 売店

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チェックイン時は 農産物は佐賀県産の柑橘のみでしたが...

翌朝には隣にフキやエンドウ豆などが並んでいました✨

200円とお買い得なエンドウ豆が気になっていたけど...

チェックアウト時には 完売していました💧

 

客室にも浴衣はありますが 箪笥の中の色浴衣も無料で貸し出して下さいます

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上の引き出しには帯が入っていました

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浴衣のサイズは 引き出しにより S・M・L に分かれていました

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Lサイズは バリエーションが少ないめでした⤵

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全体的に女性用のようですが Lサイズの絵柄は男性も大丈夫そうなのがあったので すまきも色浴衣を着ることにしました

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すまりんは 今回 Sサイズにしました(^_-)-☆

 

奥には 海に面した食事処があります

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フロントで説明を受け 夕朝食の時間を決めたら 鍵をいただき 自分たちで客室に向かいます

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鍵は1つでした

 

客室数は 25室 (和室 23室・洋室 2室) です

和室はバスなしで 一部はトイレもなしですが 洋室はバス・トイレ付きです

※客室風呂は温泉ではありません

 

すまりんたちは「洋室」を予約していました

 

館内は階段・エレベーターどちらでも移動可能(^_-)-☆

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洋室は二階にあります

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二階の休憩所

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自販機はソフトドリンクのみの販売でした

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宴会場の前を通り...

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さらに進んで行きます🐾🐾

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トイレなしのお部屋がいくつかあるので 共用トイレは充実しているようでした

 

フロント横のと比べると こちらの階段はちょっとお洒落な感じですね✨

※この階段を降りた所(1階)に自販機がありましたが

そちらもソフトドリンクのみの販売でした

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※全館禁煙で 喫煙所は1階の屋外に数か所ありました

 

すまりんたちのお部屋が近づいてきました

 

実際は もう少し暗かったです...

2部屋のみの「洋室」が 隣り合っているのだと思います

 

客室 1(221)

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ドアはオートロックではありません

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やや経年劣化を感じる客室ですが 中は明るく清潔感はありました

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館内履き

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洗面所

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お肌つるつる「美人の湯」✨

大浴場の温泉はまさにその通りでした!

 

客室風呂に シャンプーなどのバスアメニティーは設置されていましたが...

ドライヤーがありませんでした^^;

お部屋の写真を撮る時に探し回ったけど 見つけられませんでした

多分 フロントで貸し出して下さるのでしょうけど...

うっかり 洗髪してしまうと 焦りますね (笑)

 

もちろん大浴場にはドライヤーはありましたが たしか2つだけだったような💦

 

お部屋はワンルームですが 広々とした雰囲気✨

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オーシャンビューのお部屋だったので 晴れていたら最高だったでしょうね...

 

ツインのベッド

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ベッドに敷布団がのっていて サイズはシングルサイズでした

寝心地は悪くなかったです(^_-)-☆

 

真ん中には レトロなテーブルが...

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上のデッキは スイッチが壊れているのか コンセントも使えなくなっていました

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こちらも応答なし(笑)

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もはや お部屋のインテリアなのでしょうかね...^^;

 

枕は一つで 標準的なものでした

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お部屋の隅にあるクローゼット

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たっぷり収納スペースがあります(*^^*)

 

こちらの浴衣も 可愛らしい絵柄でした✨

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青いのは丹前で 浴衣は S1枚・ M2枚・ L2枚でした

LLはフロントでいただけます


バスタオルと 新しいフェイスタオルが各自1枚

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ビニール巾着の中には ヘアブラシ・髭剃り・歯ブラシ

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テレビの下にお茶セットがありました

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ティファールの湯沸かしポットの中にはあらかじめお水が入っていました

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煎茶のティーバッグと 豆のお菓子

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豆菓子はコメダ珈琲ブランドのものでした

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そういえば 売店にもコメダ珈琲ブランドの豆菓子が何種類か販売されていました

 

冷蔵庫の中はカラです

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上には 加湿器がありました

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けれど

適当な場所に空いているコンセントがなかったので 使用していません

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クローゼット横に おそらく唯一使用できるコンセントがありました

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すまりんたちは問題ありませんでしたが ベッドサイドのコンセントが使えたらもっと便利だったでしょうね(^_-)-☆

 

タオル掛けはちょっと小さいめ

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大浴場にタオルの備えがないので お部屋からタオルを持って行く必要がありました

バスタオルを2枚干すには ちょっと窮屈かも^^;

 

ネット環境は非常に良かったです✨

少し不便な点もありましたが 総じて居心地は良かったです(*^^*)

 

ーーーーーーーーーー

大浴場にまいります

お風呂へは 客室にあった浴衣で行きました

 

いろはの湯(1階)

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外来入浴も可能です

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こちらは改装されたのか 比較的新しい感じがしました

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柱で隠れてほとんど見えませんが 広い椅子がありました⤵

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鍵が1つしかないので 待ち合わせに使いました(*^^*)

 

牛乳やフルーツジュースの販売機

全て130円とお手頃なお値段でした✨

 

女湯 (男女入替はありません)

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脱衣所

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鍵付きロッカーで 安心(*^^*)

 

ウォーターサーバーもありました

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左側はお手洗いです

 

やっぱりドライヤーが もう少し欲しいところですね...

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化粧水と乳液はありました

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浴室入り口

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内風呂のみですが 清潔感のある明るい浴室です✨

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シャワーは自動で止水するタイプでした

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広い浴槽と 一人サイズの浴槽に分かれていましたが 深さも温度も同じに感じました

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いろは島温泉(※分析表では 高串源泉と高串2号井の混合泉)は

ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉

無色透明 無臭アルカリ性のお湯です

 泉温 29.5℃ PH 8.8   低張性

 

湯温もちょうどいいくらいで 泉質が素晴らしかったです(*^^*)

成分表を見るとナトリウムイオンが突出して多く マグネシウムイオンなど金属石鹸を作る成分が少ないので とろとろとした湯ざわりで お風呂上りはすべすべになりました

 

男湯 

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脱衣所(女湯と左右対称のようです)

 

浴室も同様ですが...

 

こちらは まる見え 随分開放感がありますね!

防波堤の先に釣り人がいたそうです⤵

天気が良ければ観光客のかたも大勢来られることと思います
男女入替がないわけですね (笑)

 

弘法大師が あまりの美しさに筆を投げたと伝えられるいろは島ですが…

結局 翌日も天気に恵まれず^^; 美しい景色を堪能することは かないませんでした

 

夕食は次回に(^_-)-☆

 ・・・

元寇防塁を歩く (後編)

すまきとすまりんのてくてくシリーズ「元寇防塁を歩く」

本日 「後編」です

 

 

天候の関係で 福岡到着日に「香椎宮」から「西新」まで歩いたすまりんたち...

本日は「今津浜」から「西新」に向かって歩きます🐾🐾

 

霧雨の降るなか...

ホテルをチェックアウトしたすまきとすまりんは 荷物を背負って駅に移動中

天気予報では天気は回復傾向のようなので 傘は買わず早足で歩いています

これから電車とバスを乗り継ぎ 「今津浜」へ行きます (^_-)-☆

 

すまりんたちは JR「今宿駅」で電車を降りました

バス乗り場は駅の正面にあります

雨がやや強まってきたので向かいのコンビニで傘を1本購入しました^^;

 

バスが到着!

最初は混雑していましたが 

 途中から閑散としてきました...

 

最後の一組になったすまりんたちは 「今津運動公園前」で下車

雨は微妙な状態^^;

やっぱり傘をさしたほうが良いかな...

 

現在 8:22  ここからカウントスタートします

 

まずは 5.8km先 長垂地区の防塁まで進みます🐾🐾

 

雨粒が気になって 傘をさしました

バスに乗る直前まで傘代をケチって様子を見ていたので 今 雨がやんでも気分的には微妙...(笑)

でも 荷物がある上に 傘もさすのは やはり面倒💧

傘は1本なので 背の高いすまきが傘を持つことになるのが気の毒でした

 

今津浜の元寇防塁へは案内板が整備されていて分かりやすいです(*^^*)

 

ここから浜の方に入れるようです

 

昨日からの雨で 足場が悪かったです^^;

 

入り口付近に 防塁の句碑がありました

 

そのすぐ近くに「史跡ひろば 」という休憩所がありました

元寇防塁についての解説が掲示されていました✨

 

ボタンを押すと元寇防塁に関する映像が見られるようなのですが...

反応しませんでした^^;

休憩所の横の石積みは 多分 防塁と思われます

ここで 雨が上がりました!

 

発掘展示された防塁がこの先にあるようなので 行ってみます(^_-)-☆

雨がやんでも傘を持たされ持ってくれる優しいすまき💛

 

元寇防塁について書かれた看板がありました

200m先に防塁跡が見られるようです←←

 

この辺りの海岸線は昔から変わっていないのか 博多湾が迫っていました

 

100歩ほどで 海に出ました

この海を「元」の軍船が埋め尽くしたかと思うと恐ろしいことです💧

 

蒙古襲来絵詞の主人公✨ 御家人竹崎季長(たけざき すえなが)

前編に続き 季長を演じる我らがすまにゃが💗

すまきの手作りグッズで身を固めています(^_-)-☆

 

松林に戻り先へ進むと 防塁遺構が現れました✨

前半で歩いたコースにはここまでしっかりと残っている防塁がなかったので感動しました(*^^*)

この地の防塁建設は 日向国大隅国が担当したと伝わります

 

柵の中に入ることはできませんが...

約200mの区間が掘り込まれ 石塁の上部が見られるようになっていました

 

今津浜の東西にある「毘沙門山」と「柑子岳」の間の約3kmにわたり 一直線に防塁が伸びているそうです

柵がもう少しだけ続いているようなので 進んでみます🐾🐾

 

防塁の上や道端に マツバウンランという小さな花が咲いていました

かわいらしかったので 立ち止まって接写✨

 

後で気づきましたが 自宅の近くの草むらでも沢山咲いていました^^;

 

防塁自体はさらに西へと伸びていると思われますが 復元遺構はここまでです

すまりんたちはここでUターン...

最初のポイントまで戻ってきました🐾🐾

※往復10分かからないくらいです(^_-)-☆

 

ここからは 防塁の延長線上を歩いて行きます🐾🐾

整備された場所を過ぎても よく見れば防塁の痕跡が続いていました

 

これは すごく分かりやすいですね(^_-)-☆

この石積みの上に 御家にゃん 御家人たちが並んで元軍を待ち構えたのでしょう

再び すまにゃがの降臨✨(笑)

 

歩きやすい道が続きます...

 

元寇防塁」の石碑がありました

ここで道は終わりますが 防塁は向こうの毘沙門山のふもとまで続いていたそうです

 

アスファルトの道に出ました

少し歩くと...

階段を上がった丘の上に「元寇殲滅の処」という碑があるのが見えました

階段はのぼらず 望遠🔍で撮影^^; ⤵

これは大正時代に建てられたものだそうで「殲滅」という言葉に当時の世相が窺えます

 

「第一野の花学園」という障碍者支援施設の駐車場にやってきました

駐車場の片隅に「蒙古塚」があります

元寇の時の戦死者や死罪になった捕虜を火葬にした場所と言われています

 

東を目指し 進みます🐾🐾

"今津干潟"とよばれる瑞梅寺 (ずいばいじ)川の河口にできた潟湖の岸を巡っていきます

河口にかかる橋が見えてきました

 

海中に残る台座に 鳥がとまっています

カワウでしょうか...

 

橋(今津橋)までたどり着きました !

左手には 博多湾が広がっています

 

この細道から 海岸沿いに出ることができました

 

晴れていたら 気持ちよい散歩道にちがいありません

サーフボードを軒先に置いた家がたくさんありました

家の前に遠浅の砂浜...サーファーにとっては理想郷✨ですね

 

これは昔の常夜灯でしょうか...

 

松林が迫ってきました

そろそろ最初の目的地に到着しそうです

 

長垂地区の「元寇防塁」の説明板

現在の長垂海浜公園の区域を含む長垂山山麓から今山山麓にかけての約2kmの防塁は豊前国が築造を担当しました

長垂海浜公園内にある石塁は松林内の土中に埋まっていて 表面がごくわずかに露出しているだけです

松林の中にある土塁のような高まりが 防塁遺構と思われます

 

 

次の目的地は 5.5km先の姪浜(めいのはま)

カンカン照りよりはマシですが 湿って重い空気の中 疲労が溜まってきました

 

振り返ると 歩いてきた今津湾がずいぶん遠くに見えました

 

こちらが行く先です⤵

右にある岩は カエルの大岩というそうです↗

目を凝らせば 遠くにマリノアシティの観覧車🎡が見えました

 

これからすまりんたちは 黒々とした帯のように見える「生(いき)の松原」を通り マリノアシティの方へと向かいます🐾🐾

岩の上で 鳥が ポーズをとっていました(*^^*)

 

「生の松原」を左に見ながらアスファルトの道を歩いていたら 海辺に出られる道がありました

 

埋もれていてよくわかりませんが この下にもずっと防塁が続いているようです

 

左の島は 能古島(のこのしま)

季節の花が咲き乱れている写真を目にしますが 今日は渡ったとしても景色は期待できませんね^^;

 

「生(いき)の松原」の名の由来ですが...

三韓征伐の前 神功皇后がこの地に松の枝を逆に刺し「もし功なれば この枝生きん」と祈願したところ その枝がみごと生育し この名が付いたそうです✨

 

浜辺には 壱岐神社の「一の鳥居」がありました

壱岐(いき)神社があるから「生(いき)の松原」と名付けられたという説のほうが自然かもしれませんね...

神功皇后が刺したとされる松は大きくなり「逆松」と言われましたが 残念ながら今は枯れてしまい壱岐神社に 幹が奉納されているそうです


今ある松は 防風林として江戸末期以降に植えられたものが多いそうです

 

到達記念に パシャリ📷

 

この辺りは整備されて 歩きやすい道でした(*^^*)

 

「生の松原」には 元寇防塁が復元されていました

長垂海岸から小戸海岸にかけての約2kmの防塁は肥後国が築造を担当...

当時と同じ高さに修復展示されています

防塁の前に 蒙古襲来絵詞が展示されていました⤵

前編でも書きましたが 蒙古襲来絵詞は 肥後の御家人 竹崎季長(たけざきすえなが)が自分の戦いぶりを描かせたとされる絵巻物で 国宝として宮内庁が管理しています

このシーンは「弘安の役」の際 防塁で守備を固めている様子で 中央の騎馬武者が季長です

肥後勢が集うこの防塁は まさに「生の松原」の防塁です!

季長の馬の上に すまにゃが が...👀

 

・・・・・・

前編では「文永の役」について 書きましたが

後編では1281年の「弘安の役」について調べたこと 思ったことを書きますね(^_-)-☆

 

弘安の役」では 元軍の総計およそ15万人 軍船4400艘 という世界史上例をみない恐るべき規模の艦隊が編成されました⚓

文永の役」が3万人 900艘でしたから その5倍の兵力ということになります

 

軍は元・高麗兵を主力とした東路軍5万人 900艘と 旧南宋兵を主力とした江南軍10万人 3500艘に分かれて日本を目指しました

(いかり)の代わりに レンガや石臼 そして鍬や鋤まで 生活用品を満載していたと言われ 日本を占領し定住する気だったようです...

 

5月3日

朝鮮半島の合浦を出航した東路軍は 前回同様 対馬壱岐に侵攻⚓

対馬壱岐には「弘安の役」に関する史料はほとんど無いようですが これほどの軍の侵攻を事前に察知できないはずはなく 少数の兵で玉砕するような前回と同じ轍を踏んだとは思えません...

早々に本土へ逃れるか 深い森に隠れてゲリラ戦を展開したのではないでしょうか...

 

東路軍は壱岐で江南軍と合流し 一気に太宰府を陥れる計画でしたが 江南軍の到着が遅れたことと 日本軍が陣を移動させて隙ができたという情報を得たことで 江南軍を待たずに博多湾上陸作戦を敢行しました

 

志賀島から望む博多湾

ところが

日本側は博多湾岸に約20kmにも及ぶ元寇防塁を築き上げ すでに堅固な防衛体制を敷いていたのです✨

高さ3mもある石築地の上に 長弓を構えた騎馬武者が並び 浜辺には乱杭や逆茂木(さかもぎ)など 元の上陸を妨害する物も設置されていました

 

約2.2mという世界でもまれに見る長弓である日本の弓は 元軍の使う約1.5ⅿの短弓に比べて威力も射程距離も勝っていたといわれています

元軍を迎え撃つ武士たちのなかには 伊予の御家人 河野通有など 武勇を示すために石築地を背に陣を張った者もおり「河野の後築地(うしろついじ)」と呼ばれ 称賛されたと伝わります

せっかく頑丈な盾があるのに 自分が盾になるなんて💦

命が惜しいすまりんには とうていできないことです^^;

 

鉄壁の構えに 東路軍は博多湾岸からの上陸を断念せざるを得ず 元軍は「志賀島」を占拠して軍船を停泊させました

日本軍は 志賀島の元軍に対し「海の中道」から陸路 そして船団を組んで 昼夜を問わぬ波状攻撃を仕掛けたと言われます✨

 

船団には 竹崎季長も乗り込みました

 

飛行機からの写真ですが 翼の先と重なっているのが志賀島です

手前から伸びる半島が「海の中道」 で その向こうが先ほどの能古島です

 

・・・・・・

"てくてく🐾🐾”から ちょっと外れますが...

参考までに志賀島の写真を補足で載せておきますね(^_-)-☆

志賀島は橋を渡って車で行くことができる島です

 

志賀海神社

 

蒙古襲来絵詞志賀海神社の鳥居と社殿が描かれています

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ここに元軍の陣地が置かれたのでしょうか ...

 

「前編」でも記事を引用させていただいたぴーちゃんさん (id:gracedusoleil2525が 先日 志賀海神社についての投稿をされていました!

神社の詳細については ぴーちゃんさんのこちらの記事をご覧くださればと思います

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

志賀島の元軍に対しての日本軍の猛攻はすさまじく...

東路軍の司令官で東征都元帥の洪茶丘が危うく討ち取られる寸前となるほどでした

このため東路軍は志賀島を放棄し 壱岐へと撤退して 江南軍との合流を待つこととなりました

 

志賀島の金印公園の近くに「蒙古塚」が残されています

古くは「首切塚」と呼ばれたこの場所には元軍の兵士を弔う供養塔がありました

 

志賀島中心部の山中に「火焔塚」という史跡があるそうです

とりあえず 近くまで行ってみました🚗

 

入り口にある説明板⤵

 

車をとめ 誰も通りそうにない山道を歩いていきます🐾🐾

しばらく行くと 火焔塚登り口の小さな碑がありました⤵

 

「火焔塚」は下からも見えているあの祠かと思ったけれど...

祠の横から 塚の上に登るルートがありました^^;

 

大した距離ではないのですが 足場が悪かったです

おどろおどろしい雰囲気でしたが

 つつじの花の絨毯に心が和みます(*^^*)

 

あっと言う間に到着🚩

頂上には お社がありました

弘安の役」では 高野山の僧侶がここに籠って護摩を焚き勝利の祈祷を行ったのだそうです

 

余談ですが。。。ちょこっと美味しいお話を(^_-)-☆

ご当地グルメをいただきました(*^^*)

志賀島名物「金印ドッグ✨」

イカフリットと牛ステーキがゴロゴロ入っていました!

注文を受けてから作って下さるので アツアツで すごく美味しかったです✨

 

・・・・・・

”てくてく”に戻ります🐾🐾

 

「生の松原」の防塁をあとにして進んで行くと...

ニャ~ンと💛可愛い声で 呼び止められました

おなかすいたにゃん...

さくらねこ🌸でした!

※去勢・不妊手術を受けた印に耳の先端を小さくV字型にカットされた野良猫で マナーを守って餌をあげるには問題のない猫のことです

 

地元のかたから可愛がられているのか人懐っこく とても可愛い猫さんでしたが...

残念ながら すまりんたちは食料になるものを全く持っていませんでした💧

隣で すまきのおなかがグーグーなっているのを聞きながら歩いている最中でした^^;

すまきがひもじいのは放っておいたらよいのですけど(笑)空腹の猫に見つめられながら立ち去るのは断腸の思いでした(>_<)

 

すぐ正面に注意書きがありました!

 

さんの場所は...?

ちゃんとラインより右側で待機するお利口さんでした💛

今日は何もあげられなくて 本当にごめんね (>_<)

 

これまでも何度か猫におねだりされたことがあるので クリスピーキッスの小袋くらいはポケットに忍ばせておかないといけないかなぁと反省...

 

十郎川を渡るため 河口から橋のある上流まで 少し遡らないといけません

もう足が棒になって ちょっとでも遠回りするのは辛かったです💦

 

橋を渡り…

再び海沿いを歩いて行きます🐾🐾

「小戸公園」を通過...

公園内に 向浜の元寇防塁跡があるそうです

 

石碑はありましたが…

今は ただの松林のようです^^;

※昭和30年の台風で浸食され 崩壊したと言われています

 

いちおう 到達記念に写真を撮りました📷

 

姪浜」辺りから 現在と当時の海岸線が大きく違い始めます

何度見ても逆さのカメレオンに見える当時の海岸線(笑)

 

コーナン めいのはま店」を通り過ぎ…

 

しばらく進むと 脇地区の防塁跡に着きました

発掘調査で基底部が残っていることが確認されたのちに埋め戻されたそうです

ここは肥前国が築造を担当したと伝わります

さっき遠くに見えていた観覧車(マリノアシティ福岡のスカイホイール)が すぐ近くに見えました

 

いよいよラストスパート!


姪浜付近のかつての海岸線は ほぼこの「マリナ通り」の道と一致しています

 

名柄川を渡ります🐾🐾

遠くに福岡タワーの尖頭が見えてきました!

あの辺りが ゴールのはずです

 

鷲尾愛宕神社の建つ 愛宕山

元寇の後 幕府は鎮西探題を設置し 玄界灘を見渡せるこの山に城砦(探題城)を築城したと伝わります

 

幅広い室見川の河口を渡ります🐾🐾

 

振り返って愛宕山を見たら マンションのほうが背が高く見えました

 

疲れた足をひきずり歩きます…

 

百道(ももち)地区の防塁跡

住宅地の中に かつての海岸線を思わせる松並木が続いています

 

 

さらに進むと 西新地区の防塁跡がありました

ここは一部掘り出して 防塁が復元されていました


お隣の「西南学院大学1号館」の中庭にも元寇防塁が残っているとのことで 見学させていただきました

※平日の事務局が開いている時にしか見学できないようです

 

小さな中庭に 防塁の一部が復元されていました✨

 

これで 今に伝わる元寇防塁の遺構はすべて見学したはずです(^_-)-☆

ご褒美に ちょこっとスイーツを食べてから「西新駅」まで戻ります

道のむこうに見えるのは 福岡市博物館

金印✨が展示されていることで有名ですね(^_-)-☆

※展示品の中には撮影不可のものもありましたが金印は撮影OKでした(*^^*)

 

今日のすまりんのお目当ては そこからすぐ近くにあるお店💛

フルーツクローゼットカフェ 百道本店

りんご飴のお店です🍎

 

ココナッツ・ココア・シナモン・バターミルクなどのフレーバー

子どもの頃 夜店でりんご飴を買うのが楽しみだったすまりんですが...

ある時 飴の袋をはずしたら りんごに大きなハエがとまったまま飴で固まっているのを発見😱

それ以来 夜店のりんご飴は買わなくなりました^^;

 

こういうお店だと 多分(笑) 安心ですね(*^^*)

すまりんはハエを発見しやす無難なプレーンを選びました⤵

 

カットまたはホール(同料金)... テイクアウトも可能(^_-)-☆



りんご飴に全く興味のないすまきは 隣のコーナーでサンドイッチを買ってきました

すまりんは カット(食べやすさ💛)もホール(見た目💛)も捨てがたく 両方購入(笑)

 

ホールは冷蔵で3日保存できるので 後でゆっくり食べることにします

 

カットのは変色するので こちらでいただきました

美味しかったからか すまきも けっこう食べました(笑)

 

やっとおなかが満たされ 西新駅まで あとちょっと!!

 

12:49   西新駅到着🚩 

みんなで記念撮影📷

「今宿運動公園前」でバスを降りてから「西新駅」までの歩数は26827歩で 移動距離は18778mでした

 

前半の「香椎宮」→「西新駅」のデータと合わせると...

"元寇石塁を歩く" 総歩数は 50639歩 移動距離は 35443m でした

 

長い記事をお読み下さりありがとうございました

 

次回は「国民宿舎 いろは島」のお話です(*^^*)

元寇防塁を歩く (前編)

すまきとすまりんのてくてくシリーズ🐾🐾

今回は元寇防塁」の跡を端から端まで歩きます!

 

鎌倉時代  二度にわたって日本を攻めた蒙古軍...

元寇と言えば

1274年の「文永の役」 と 1281年の「弘安の役

小学生の時「いになよ!」「いにやい!」と覚えさせられました

※帰れ!という意味ですが すまりんは そんな言葉は使いません^^;

 

初回の「文永の役 」で 敵軍の上陸を許してしまった鎌倉幕府は 次の侵攻に備えて博多湾岸に長大な防塁を築きました✨

おかげで 「弘安の役 」では蒙古軍の九州本土上陸を一切許さなかったと言われます!

 

防塁のほとんどは時代と共に砂に埋もれ失われていますが 当時は福岡市西区の「今津浜」から 東区の「香椎」まで 石積みの防塁が約20kmに及んでいたそうです

歴史群像シリーズ 北条時宗:学研より

 

すまりんたちは点々と残る元寇防塁の遺構をたどりながら 下図のルートを2日に分けて歩きました

スタート地点をどちらにするか ということについて...

香椎宮」:近くに駅があり博多へのアクセス良好✨

「今津浜」:バスが1時間に1本...交通の便はイマイチ💦

帰りのことを考えて「今津浜」→「香椎宮」へ歩く計画を立てました

 

前日に福岡入りしてホテルに泊まり 翌朝から歩き始める計画だったのですが...

なんと翌日は大雨の予報😱

急きょ 翌日の歩きを中止し "到着日の午後&翌々日"で 歩く計画に変更しました

 

計画したルートはひっくり返り💦

博多に近い 西鉄香椎宮」から 荷物を背負ってのスタートとなりました^^;

 

まずは 駅から1kmの香椎宮に参拝し旅の安全を祈願...

ご祭神は 仲哀天皇神功皇后ご夫妻で "夫婦の宮"とされています

 

仲哀天皇の御陵は大阪の「古市古墳群」にあります

一方 神功皇后陵は奈良の「佐紀盾列古墳群」にあります

www.aranciarossa.work

 

724年に建立後 1801年に再建された本殿は "香椎造"という日本唯一の建築様式で 重要文化財に指定されています✨

 

12:21 「香椎宮前駅」に戻ってきました

にゃんと!万歩計が電池切れ💧

 

 

急きょ スマホのアプリをダウンロードしました

※今回のテーマ「元寇防塁を歩く」は ここからのスタートなので  この歩数と距離は集計時に差し引きました

 

まずは地蔵松原地区にある元寇防塁跡まで 3.8kmを歩きます

 

線路沿いを行きます🐾🐾

この辺りは昭和に埋め立てされた場所で かつて線路は海岸を走っていました

香椎付近の元寇防塁は確認されていませんが 実際に築かれていたとすればこの付近にあったものと思われます

左は大正15年測図の地図 右は現在(今昔マップ on the web 埼玉大学教育学部 谷 謙二先生)

 

すまき撮影の航空写真⤵ 

ほぼ西鉄の線路に沿う位置に防塁があったと推定されます

埋め立てで新しくできた町並みは広い歩道が完備されて歩きやすかったです!

 

千早駅」を過ぎ…

 

名島駅」を越え...


多々良川を渡ります🐾🐾

ちょっと見づらいですが 西鉄線(水色)に比べ その下にちらっと見えているJR線の橋はかなり低いですね...

増水時には浸かってしまいそうです💦

 

橋を渡ってすぐ 西鉄の線路を横断し…

 

西鉄の横を並走するJR線に沿って進みます

全行程の中で この区間だけが歩道が無く歩きにくかったです💦

 

地下鉄 箱崎線の終点でもある 西鉄貝塚駅

 

JRの線路を越えて 住宅街の中を進むと…

 

目指す公園が見えてきました!

元寇防塁の碑がある地蔵松原公園です

遊具の横にぽつんと石碑が立っていました⤵

石碑の下の石畳は 防塁の方向を示すものでしょうか...

防塁の築盛は部分ごとに担当が分けられ この辺りは薩摩国の担当だったようです

担当が違うと 防塁の作り方も違ったみたいです

 

当時の名残は 無造作に置かれた石だけでした^^;

 

次は「筥崎宮(はこざきぐう)」を経て「元寇史料館」まで 2.7kmの道のりです

 

九大の箱崎キャンパスが西区へ移転し 跡地の再開発が行われていました

キャンパス内にも元寇防塁の遺構があったようですが工事中で見学することはできませんでした

新しい街並みができた暁には ぜひ遺構を整備して見学できるようにして欲しいです(*^^*)

 

筥崎宮に近づき 街が賑やかになってきました


筥崎宮は多くの人で賑わっていました✨

筥崎宮主祭神八幡神となられた応神天皇です

応神天皇は先に紹介した仲哀天皇神功皇后の皇子で 皇后は身ごもったまま朝鮮半島へ出征し 月延石で出産を遅らせ 筑紫に戻った後 皇子を出産したと言われています

 

1594年に小早川隆景により建立されたという楼門前には 参拝の行列が...

ひときわ目を引くのが 楼門に掲げられた「敵國降伏」の扁額です

楼門を造営した際 亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したものだそうです

 

元寇当時に院政をしいていた亀山上皇は「身を以って国難に代える祈願」を伊勢神宮に奉ったというかたです

祈願したのは皇位にあった 実子の後宇多天皇という説もあります

亀山上皇の「敵國降伏」ご宸筆の ”敵国” とは明らかに ”元” のことですが 筥崎宮への「敵國降伏」ご宸筆の奉納は 実はもっと昔の菅原道真の時代 ... 醍醐天皇が最初だそうで この時の敵国が具体的に誰なのかはよくわかっていません

 

明治時代に 東公園に亀山上皇銅像が建てられましたが その原型の木像が境内に安置されていました

 

境内にあった蒙古軍の碇石(いかりいし)

この細長い石は 下の模型のように"重り"として碇にはめ込んで使われます

※これは鷹島松浦市埋蔵文化財センターの展示物です

 

ちなみに博多の真ん中にある櫛田神社の大銀杏の横にも碇石が置かれていました

 

文永の役では 総大将 少弐景資のもと「筥崎宮」に日本の本陣が置かれ 宮は焼け落ちたと伝わります

鷹島にある少弐景資の像⤵


元寇に関する第一級史料として長年にわたり引用されてきた書物に「八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)」というものがあります

八幡神の霊験・神徳を説いた寺社縁起ですが これによれば...

御家人たちは戦いのしきたり通り 敵に向かって名乗りを上げながら一騎打ちをしようとし 蒙古兵に打ち負かされて水城まで敗走したのだそうです

←すまりんたちもそんなふうに習った記憶があります

武運も尽き果て 日本側はもう終わりかと思われた時 筥崎八幡宮から現れた30人ばかりの白衣の者が蒙古軍に向けて矢を放ちました🏹

大混乱に陥った蒙古軍は 我先に逃げ出したといいます💨

 

ところがこの「八幡愚童訓」...

八幡神の霊験を強調したいあまりに武士たちのヘタレっぷり(笑)を誇張しすぎて あることないこと書いているようなのです^^;

そもそも著者は博多に来たこともなかったようで...💦

現在では 御家人たちの戦いぶりが再評価されてきています✨

 

蒙古軍も筥崎宮までは攻め込めなかったと考えられていて もしかすると戦いに際して日本側が自焼させた可能性もあるようです^^;

宮は焼けた翌年には再建され その際 亀山上皇の「敵國降伏」のご宸筆を賜りました

 

すまりんたちは時間に追われていたので 筥崎宮の参拝もそこそこに^^; 次の目的地へ向かって進みました

 

※ブロ友のぴーちゃんさん (id:gracedusoleil2525) が 筥崎宮の詳細について書かれていますので ぜひこちらをご参照ください(^_-)-☆

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

地下鉄「馬出九大病院前駅」から左へ折れ…

福岡県庁の裏へと進みます🐾🐾


元寇史料館」が見えてきました!

敷地内に建つ日蓮上人の銅像

日蓮上人は「立正安国論」を著して元寇を予言したそうですが それで銅像が建てられているのでしょうか...

 

元寇史料館は 閉まっていました

こちらは民間施設で見学には予約が必要だそうです

もしかしたらと思って来てみましたが やはりダメでした^^;

 

ここから博多の中心街を抜け 福岡城の方へ向かいます

 

東公園の横をてくてく🐾🐾

ここに鎮座する亀山上皇銅像筥崎宮の木像を原型としているのだそう...

 

かなり疲れてきました💧

 

御笠川を渡り...

 

呉服町にある 博多小学校に到着

ガラス戸に歴史上の人物名が並んでいましたが 元寇についても書かれていました

この辺りは当時「息(おき)の浜」と呼ばれ 博多の町の外浜でした

文永の役では重要な拠点となり 総大将 少弐景資はここに軍を集結させたようです

小学校の地下に元寇防塁が保存されていて 日曜のみ見学が可能とのこと

どこにあるのか 迷いましたが...

実は 小学校の校舎の隣の「奈良屋公民館」に入り口がありました

石塁遺構展示室へは ここから階段を下ります

地下では受付の守衛さんが座ったまま寝ておられました

あまり人が来ないのでしょうね…

 

内部は想像していたより立派な展示がされていました✨

入場無料なのはありがたいです(*^^*)

 

平成10年 博多小学校建設時の発掘調査で発見された石塁

石の積み方や規模などが元寇防塁と類似しており 鎌倉時代には海岸部の砂丘だった場所に位置するため"防塁"と推測されていますが 断定するに至っていないため「石塁遺構」と称しているそうです

ようやく防塁らしい防塁に出会えて 感激✨

 

蒙古襲来絵詞

肥後の御家人だった竹崎季長(たけざき すえなが)元寇における自分の戦いを描かせたとされる絵巻物ですが 作者は不詳...

季長は 文永・弘安の役の両方に出陣しました

上図は 防塁で守備を固める絵で 弘安の役の様子です

 

御家にゃん すまにゃが も 参陣!

ちいさな須磨にぴったりのグッズは すまきの手作りです

 弓: 庭の黒竹をまげて糸とシールで装飾

 矢:ピンチョスの棒と100均の羽

    えびら:紙箱とワイヤーで作成し スプレー仕上げ✨

 

※兜は 以前ののぶにゃがのを再利用(^_-)-☆

注)須磨は本当は女の子です...

 

だいぶ暑くなってきました

 

コンビニで購入したガリガリ君を見つめるすまにゃが

ふたつは同時に食べれぬにゃ...

 

中洲を越え 那珂川を渡ります🐾🐾

博多付近の地形は 当時と今とでは大きく異なっていました

 

地理院地図の色別標高図・絵図・発掘調査記録を元に海岸線を推定してみました

 カメレオンが逆さまを向いて踊ってるようにも見え

博多湾沿岸では砂州が発達しやすく 砂州が河口を閉じて湖となり いくつもの潟湖をつくっていました

大濠公園草香江という潟湖の名残で そもそも博多湾自体が志賀島海の中道に囲まれた潟湖ともいえます

博多の町は 長浜と息の浜という砂州で閉じられた"冷泉津"という潟湖に面していて 今の中洲や天神はもとは湖の底でした

 

・・・・・・

長くなりますが^^;

ここで少し「文永の役」の経過をまとめてみようと思います

 

1274年 モンゴル人のクドゥン忽敦)を総司令官とし 漢人劉復亨と 高麗人の洪茶丘を副将とする 元(および高麗連合)軍 総計3万以上の軍勢が900艘もの軍船に乗って朝鮮半島の合浦(がっぽ)を出航しました⚓

 

10月5日

対馬の小茂田浜に襲来した元軍を 対馬守護代 宗助国はたった80余騎で迎え撃ったそうです

宗助国ら対馬勢は小太郎・兵衛次郎の二人を急使として博多へ逃すと 全員敵中に突撃して討死したと伝わります(>_<)

 

10月14日

元軍は壱岐に襲来⚓

守護代平景隆が100余騎で応戦しますが 圧倒的兵力差になす術もありません💧 逃げ場の少ない壱岐では生き延びた人が65名しかいなかったともいわれています(>_<)

 

10月16~17日

伊万里湾鷹島を蹂躙⚓

全島で殺戮を繰り広げました(>_<)

山林に8人家族が隠れていましたが 鶏が鳴いたため見つかってしまい 7人が殺され 灰溜めにひそんでいた老婆だけが生き残ったという伝説の「開田の七人塚」が鷹島に残されています

以来 この集落では鶏を飼わないそうです


そして 10月20日

元の大軍はついに博多湾に到来しました⚓

 

志賀島から望む博多湾全景⤵

🔍

光るPayPayドームから 先の尖った福岡タワーにかけての"百道浜"に元軍の主力が上陸しました

一方 日本軍は 対馬の小太郎・兵衛次郎の急報をうけた総大将 少弐景資のもとに九州の御家人たちが駆けつけ 筥崎から息の浜付近に約5000騎が集結したと言われています

 

元軍は今津浜から筥崎浜にかけて上陸を試みたとされますが 博多の海は遠浅の砂浜で 大きな軍船は汀線から100m以上沖に停泊しなければならず そこから小型のボート抜都魯 バートルをピストンし 兵卒を少数ずつ移動させることになりました

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  学研 歴史群像シリーズ 北条時宗より

 

近代戦であれば 艦砲射撃や空挺部隊で上陸阻止勢力を駆逐した後 上陸作戦を行うところですが この時代はそうはいきませんね...

記録には無いようですが 日本側もこのタイミングで何らかの攻撃を加えたに違いありません!

結局上陸に成功したのは 百道浜からの主力軍だけだったようです

百道浜に上陸した元軍は東に向かい 博多の町をめざして侵攻を試みました

 

蒙古襲来絵詞」には 少弐景資率いる日本軍主力は「馬にとって足場が悪い赤坂を避け 博多に陣を敷いて迎撃」しようとしたと書かれています

しかし 平安時代まで鴻臚館(迎賓館兼外務省兼貿易センター)や警固所(守備隊施設)が置かれ のちに福岡城まで築かれた"赤坂"ですから 足場が悪かったとは思えません...

足場が悪いのは多分 百道浜から草香江を廻ってくる鳥飼潟の辺りのことで 本陣を博多に置いたとしても 高台である赤坂にも陣を構えて迎撃したと考えるのが自然ですよね

 

赤坂にある福岡城天守台から 大濠公園草香江)を望んだ景色⤵

 

事実「蒙古襲来絵詞」でも 先駆けを許され博多から西へと向かう季長が ”赤坂”での戦闘後に敵の首級をあげて本陣へと戻る肥後の御家人 菊池武房以下100余騎と住吉神社付近で遭遇しています

 

季長は わずか主従5騎で 菊池勢らの攻勢によって退く元軍を追い 最前線へと到着しました✨

 

鳥飼潟を横断して逃げようとする元軍の小勢に矢を射かける季長の家来

しかし 馬が干潟に足をとられて転倒し取り逃がしてしまいました💦

 

元軍は小高い麁原山(そはらやま)に集結し 追撃する日本軍を迎え撃とうとしていました

標高33mのこの丘は 祖原公園となっています 

ビルが建ち並んでいますが 当時は一面が見渡せたと思われます

左端の福岡タワーの方向に百道浜...

右側には草香江・鳥飼潟の干潟が広がっていました


季長は郎党の制止も聞かず麁原山にひしめく元軍に突進しました💨

所領争いの裁判に負けて領地を失っていたので 何としても功を立て領地を得る必要があったのです

案の定 敵の矢を受けて負傷し危機に陥りますが 味方の軍が追いついて助かりました

「てつはう」が炸裂する有名なシーンは この瞬間を描いたものです

 

前進してきた日本軍主力の総攻撃をうけ 元軍は麁原山から百道浜へと敗退...

限られたボートで沖の軍船へ逃れようとする元の将兵たちは 大混乱に陥ったに違いありません

総大将の少弐景資が射た矢が 元軍の副将 劉復亨を射抜いて負傷させたという記録が 日本側と元側の双方の史料に残されています

一部はおそらく船に乗り切れず 姪浜方面にも逃れましたが 「姪ノ浜 百路原両処二於テ 異賊ヲ斬ル事夥(おびただ)シ」と日本側史料に記されています

 

元と高麗の軍船は 折しも波高い中 日没後に慌てて船を出したため次々と座礁し 大惨敗を喫しました

10月末なので 冬の季節風玄界灘が荒れたのでしょうか

台風の神風という話もありますが 「文永の役」では台風は無かったものと思われます

 

元寇当時 日本各地の社寺では敵国調伏の祈禱が行われました

祈祷の効果を強調して恩賞を得るべく「八幡愚童訓」のような神の力で敵を退けたのだという社寺の宣伝が広く流布してしまい 神国思想・神風神話とも相まって 近年まで九州の御家人たちの実力が過小評価されてきました💦

しかし 実際には鎌倉武士の実力は侮れないものであり 渡海しての敵前上陸作戦というものがいかに困難であるか ということにつきるのでしょうね

 

・・・・・・

 

天神の人混みは 疲れた体にこたえました^^;

 

チェックイン可能時刻の15時ちょうどに ホテルに到着!

超 誤差の範囲ですが ホテルの中の移動の歩数は集計時にはずしました

 

実は 明後日の天気もあまり良さそうではありません^^;

荷物を置き 今日のうちにあと少しばかり距離を稼いでおきます💨

 

かなり長くなりましたが もう少しだけお付き合いいただければ💦

 

福岡城を通過...

関ヶ原の功により筑前52万石を拝領した黒田長政が築城した城です

黒田家ゆかりの岡山県にある福岡という地名にちなみ福岡城の名がつけられました

築城に際して この近辺の元寇防塁の石垣が崩されて使用されたということです

 

(伝)潮見櫓 が見えています

※本当の潮見櫓は別の建物であることが判明したため 「伝」が付いているそうです

 

外濠の縁を巡り...


もうひとふんばりして「西新」まで歩きます


大濠公園を過ぎ 黒門川通りを北へ...

 

こちらは大圓寺

平成7年に建てられた五重塔は福岡初の木造五重塔

塀際の石積みは元寇防塁の"残石"なのだそうです⤵

 

住宅街の中をさらに進むと…

フェンスに囲まれた空き地がありました⤵

ここが 地行地区の防塁跡なのだそうですが 面影はありません

 

ラストスパート!

 

16:43 地下鉄「西新駅」到着

さて... 何歩かにゃ~?

 

ここから余分な歩数をはずすと...

元寇防塁に関わる歩数」は23812歩  同様に 距離は16665mでした

 

冒頭に書いた理由で「今津浜」をゴールにしたくなかったため 翌々日は「今津浜」から ここ「西新」まで歩くことにしました

「西新」を左右から攻める形で一本に繋げたいと思います(^_-)-☆

 

 ...

 

素材にこだわったグルテンフリー部門NO.1のピザ屋さん PIZZERIA ICARO (ピッツェリア イーカロ)

今回は 古墳巡りの際に立ち寄った美味しいピザ屋さんのご紹介です(^_-)-☆

 

 PIZZERIA ICARO ピッツェリア イーカロ奈良市二条大路南 )

平城宮跡歴史公園」からほど近くにあるお店...

グルテンフリー部門 世界第1位受賞✨の のぼりが目立ちます

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小麦アレルギーのかたも安心ですね(*^^*)

 

ナポリで修業をつまれたオーナーの中西さんが営業されるお店で 小麦たんぱくを摂取できない人も本格ピザやパスタを楽しめるようにとの思いでオープンされたそうです

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営業時間
 Lunch    11:30〜15:00(L.O.14:00)
       ※土日祝は15:30まで (L.O14:30)
 Dinner    17:30〜21:00(L.O.20:00)


定休日    火曜日+不定

 

木のぬくもりのある店内✨

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奈良県十津川産の杉と桧を使用し化学物質ゼロにこだわって建築されているそうです

 

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グルテンフリーのパスタやうどんも販売されています

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持ち帰り用の冷凍ピザも販売されていました

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厨房にあるお洒落な焼き窯✨

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広々としたテーブル席です(*^^*)

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お水はグラスのほかに水差しも置いて下さいました

 

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パスタとドルチェ (デザート)は全てグルテンフリーですが

ピザはグルテンフリーではありません

※オプション (追加料金)でピザもグルテンフリーに変更できます

 

 

メニュー  公式ホームページのメニューに全て記載されています

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ドリンクメニューが続きます。。。

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ビールやワインもいろいろ⤵

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左側はソフトドリンクです⤵

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PIZZA SET /  PASTA SET

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PASTA PLAN

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PIZZA PLAN

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すまりんたちは基本の (※グルテンフリーではない)PIZZA PLANにしました

一人3150円です

 

季節の菜園風サラダ(二人盛り)

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オーナーシェフが厳選した素材のサラダ✨

地元の有機・無農薬野菜や契約農家さんから仕入れたものを使用されているそうです

 

お水のボトルの手前にあるのは サラダの調味料です

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フランス産岩塩・こしょう

イタリア産エキストラバージンオリーブオイル(右のは唐辛子入りです)

 

野菜はどれも新鮮で 甘みがあって そのままでも美味しかったです

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ドリンクは もちろんブラッドオレンジジュースです(^_-)-☆

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自家製ジンジャエール(追加料金200円)も魅力的だったのですけど...

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美しい赤色と適度な酸味で すごく満足でした(*^^*)

 

すまりんとブラッドオレンジの関係が気になるかたはこちらをどうぞ(笑)

www.aranciarossa.work

 

選べるピッツァはこちらのページから選択できますが⤵

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330円の追加料金で 黒板メニューのピザ(単品2250円)にも変更できました↓

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結局一人3500円位の出費にはなりますが^^;  せっかくなのでおすすめの物を…

 

すまきとすまりんで1枚ずつ選べるので 二種類注文しました

 

①水牛モッツアレラチーズの黄金マルゲリータ

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黄金色のソースは甘みの強い黄色のトマトが使用されているそうです

ピザの直径は約27㎝なので 充分食べ応えがあります

 

6つにカットされていました 

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水牛のモッツアレラは最高✨

生地もモチモチしていて とっても美味しかったです(*^^*)

 

1枚目を食べ終わってから 2枚目がアツアツで提供されました

 

②無農薬レモンとリコッタとハチミツのピッツァ

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ちなみにリコッタはイタリア語で ricotta ( ri=再度 cotta=加熱調理した)という意味で チーズの生成時に生じる"ホエー"を加熱して作ったものです

※リコッタチーズは 厳密には(法令上は)チーズではないのだそうです

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たっぷりのリコッタに薄切りのレモンが散りばめられていて さっぱりと美味しくいただきました(*^^*)


お好みで蜂蜜をたっぷりかけて...💛

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※なみなみと綺麗に盛られていたのですが すまきが使った後なので容器から垂れてしまっています^^;

 

こちらも なんじゃこりゃ?の写真になってしまいました^^;

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ピザを食べた時点で 満腹大満足でしたが ... 

 美味しいドルチェの登場です✨

 

グルテンフリー ドルチェ ミスト 

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ミストmistoはイタリア語で”ミックスされた”の意味

フルーツ・くるみとベリーのケーキ・赤葡萄のシャーベット・ティラミス

 

フルーツは全て甘く 💛

ケーキはグルテンフリーでもすごく美味しかったです!

赤葡萄のシャーベットは甘酸っぱくて濃厚で あと味さっぱり✨

ティラミスはちょっと苦みがあって 大人の味でした

どれも全部美味しかったです(*^^*)

 

オーナーシェフも気さくな感じの素敵なかたでした(*^^*)

ごちそうさまでした

 

※通販でも 冷凍ピザ(グルテンフリーのもあり)を購入できます!

すまりんたちは 以前 こちらの「グルテンフリーピザ」を試してみましたが とても美味しかったですよ(^_-)-☆

 

以上 小麦にアレルギーのあるかたでも安心してイタリアンが楽しめる 美味しいお店のご紹介でした✨

 

 

”てくてく”のお話はこちら⤵

www.aranciarossa.work

 

 

次回も てくてくシリーズ🐾🐾

「元寇防塁を歩く」の巻!

 

平城京の北の果て...佐紀盾列古墳群を歩く (後編)

奈良の平城京の北の果てをてくてく🐾🐾

すまりんたちは 古墳を巡りながら歴史散策をしています

 

本日 「後編」です(^_-)-☆

 

平城宮跡歴史公園の北辺を西へ歩いていくと 見えてきたのは復原された大極殿

他の建物の復原事業も行われているようです

 

平城宮跡の航空写真(photo byすまき)

 

佐紀神社を過ぎて…

池のほとりをめぐり…

 

旧い街並みを抜けて行くと…

 

再び古墳が現れました!

ここから 佐紀盾列古墳群の西側部分のかたまりに入ります

 

佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)宮内庁により 第11代垂仁天皇皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の「狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)」に治定されています

※かつては神功皇后陵とも考えられていました

全長207mで全国32位の大きさです

日本書紀」によると…

垂仁天皇の叔父の倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなったとき 近習の者を集めて全員を生きたまま 陵のまわりに埋めたそうです

いわゆる殉死ですね...

彼らは日が経ってもなかなか亡くならず昼夜泣き呻んだのだそう(>_<)

そして死後は 犬や鳥が集まり 死体を食べたといいます

 

天皇は この泣き呻く声を聞いて心をいため

「生きている時に愛し使われた人々を 亡者に殉死させるのは痛々しいこと

古の風であるといっても良くないことは従わなくてもよい

これから後は合議して殉死を止めるように」

と 皆にみことのりしました!

 

そののち 皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が亡くなります

天皇「殉死が良くないことは前にわかった... 今度の葬はどうしようか」と諮問したところ...

野見宿禰(のみのすくね)出雲国の土部(はじべ)を呼んで 埴土(はにつち)で人や馬や いろいろの物の形を作らせて献上し

「これから後 この土物を以て生きた人に替え 陵墓に立て後世の決まりとしましょう」と言いました

天皇は喜んで採用したそうです✨

 

この土物を名づけて埴輪(はにわ)あるいは立物(たてもの)と呼び  野見宿禰は土部臣(はじのおみ)の姓を賜りました

以後は 土部連(はじのむらじ)天皇の喪葬を司るようになります

 

※この記述が正しく そして佐紀陵山古墳が真に日葉酢媛命の陵墓だったとすれば ...

この古墳は はじめて殉死のかわりに埴輪が用いられた古墳ということになります

 


佐紀陵山古墳に接するように もう一つ前方後円墳があります

 

第13代成務天皇の「狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)」に治定されている佐紀石塚山古墳(さきいしづかやまこふん)です

※こちらもかつて神功皇后陵と考えられていた時期がありました💦

全長218m  全国26位の前方後円墳です

墳丘は三段に築成され 葺石が多用されているために石塚山古墳の名があります

前方部の拝所付近以外の周濠の幅は全体に狭いですが 特に東側は佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)に食い込むように造られています

地理院地図の航空写真より

左:佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)右:佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)

ふたつの古墳の築造時期にはそれほど差がないようですので これほど密着させているのは両古墳の被葬者に何か特別な関係があったのでしょうか?

(※ちなみに 成務天皇と日葉酢媛命の関係ならば 孫と祖母です)

 

密着する二つの古墳の間を道が通っています

陵墓とその濠に挟まれた一本道です

 

すぐに線路に出ました(奈良と京都を結ぶ 近鉄京都線

踏切を渡って 佐紀盾列古墳群最大の神功皇后に向かいます

 

神功皇后八幡神 応神天皇の母になるので やはり八幡神社が近くにあるのですね

山陵八幡神社というそうです

 

神社の脇をめぐっていくと 拝所に向かう階段がありました

考古学的には五社神古墳(ごさしこふん)といい 第14代仲哀天皇皇后である神功皇后の「狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)」に治定されています

五社神の名は かつて後円部墳頂に祠があったためだそうです

墳丘長は275m 全国第12位の規模になります

近代以前に日本が行った大きな外征といえば 秀吉の朝鮮出兵白村江の戦い・そして神功皇后三韓征伐になるでしょうか

このうち上手くいったとされているのは 神功皇后だけです

ただし 古代の伝説が入り混じった時代の話ですので 神功皇后の存在自体も疑問視する向きもあるようです

神話を神聖視する戦前の皇国史観もどうかとは思いますが 戦後の唯物史観に走り過ぎるのも 歴史を見る目を歪めてしまうように思います^^;

瀬戸内から九州を旅していると 本当にたくさんの神功皇后にまつわる遺跡や伝承にめぐり合いますが でもこれを全部虚構だと切り捨ててしまうのは無理があるような気がしますし なんだか味気ないです...

 

いずれにせよ 昔の日本では神功皇后の事績はよほど大きなインパクトをもって語り継がれてきたようで 外敵からの守護神として貞観の入寇(870年)や元寇の際にも この陵に山陵使が派遣されています

 

先にも触れましたが...

このあたりは大きな前方後円墳がたてこんでいるので 昔から古墳の取り違えがあるようです💦

続日本後紀』には 図録調査により成務天皇陵と神功皇后陵との取り違えが判明したため 北側の山陵を神功皇后陵 南側の山陵を成務天皇陵と改めているほか...

元禄時代には佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)が神功皇后陵にあてられ 五社神古墳は称徳天皇陵にあてられていところ 文久3年(1863年)の修陵に際し古文献の記述に基づき五社神古墳が改めて神功皇后陵に治定されています

 

拝所を通り過ぎると 向こう側にも出入り口がありました

ここから少し南に戻って 次は称徳天皇です

佐紀高塚古墳(さきたかつかこふん)は第48代称徳天皇第46代孝謙天皇 重祚)の「高野陵(たかののみささぎ)」とされています

称徳天皇といえば 聖武天皇光明皇后のひとり娘...

前編では”孝謙天皇”の名で登場しました

※46代孝謙天皇は譲位後に再び天皇の座に着き 48代称徳天皇となりました

道鏡弓削道鏡)を寵愛した女帝としても 知られています

天武天皇から続いてきた系統は彼女で途絶え 次代の光仁天皇からは天智天皇の家系に戻りました

ところで この古墳は 墳丘長127mの前方後円墳

隣り合う佐紀陵山・佐紀石塚山・五社神古墳の各古墳に比べて小さく かつ方向も違うことから 少しランクの低い被葬者が埋葬されている可能性があります

 

そして何より 大化2年に発布された「薄葬令」以降...

天皇陵といえども前方後円墳は造られず 火葬されて八角墳に葬られたり 自然丘陵を利用した陵になっているはずです

 

これらの点から 佐紀高塚古墳を称徳天皇陵とするのは無理があると思われます

真の称徳天皇陵は もしかすると開発によって失われてしまったのかもしれません

 

 

ここから西大寺駅近くを経由して 秋篠川を南下🐾🐾


人気のピザ屋さんで腹ごしらえをしてから 最後の古墳に向かいました

※次回 お店のご紹介をさせていただきますね(^_-)-☆



こちらが秋篠川

 

そして近鉄橿原線のむこう側に見えているのが 垂仁天皇です

垂仁天皇は先に紹介した 佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の夫です

古事記日本書紀によれば...

垂仁天皇はその治世のさいごに 田道間守(たじまもり)に命じて 「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を探しに遣わせました

「非時香菓」というのは "時を定めずいつも黄金色に輝いて芳香を放つ木の実" という意味だそうで 不老不死の霊薬だとされています✨

 

田道間守は苦労して常世の国まで行き ようやくその実をみつけて持ち帰ってきましたが 天皇はすでに崩御しておられ 悲しみのあまり自ら命を絶ってしまいました💧

古事記の本文では 非時香菓を「是今橘也」(これ今の橘なり)と記していて 御陵の近くでは ゆかりとされるヤマトタチバナが栽培されていました

 

ちょっと見晴らしは悪いですが 休憩所から御陵の端っこが見えます

御所の紫宸殿の左右に「右近橘・左近桜」として橘が植えられているのも この故事に由来するともいわれています

 

先ほどの殉死のお話では(日本書紀によれば)

皇后の日葉酢媛命は垂仁天皇より先に亡くなったということでしたが...

古事記」には 『田道間守が戻った時 日葉酢媛命は存命で 非時香菓の半分は皇后に献上され 半分は垂仁天皇の陵に供えられた』とも記されています

 

ところで ”日葉酢媛”ってなんとなく柑橘系っぽい名前ですね🍊

(愛媛の"媛"も付いているし 笑)

 

こちらが垂仁天皇

全長227m  全国20位の前方後円墳です

 

亡くなった田道間守のなきがらは 陵のかたわらに葬られました

濠の中に浮かぶ小さな小島が 田道間守の墓と伝えられています

アオサギさんの休憩所になっていました

 

偶然にも 先日 飛行機から垂仁天皇陵をとらえることができました!

空を映すお濠のなかに 田道間守の小島が浮かんでいます

 

田道間守は 現在ではお菓子の神様 またみかんの神様となっているそうです

すまりんのための神様でしょうか...!!

田道間守命が祀られていると言われる「中嶋神社」へ いつか参拝したいと思います

 

 

これにて 今回の散策は終了(^_-)-☆

歩数は東大寺を参拝した分と合わせて26000歩くらいでした

「てくてくシリーズ」の中ではちょっと少ないですかね(笑)

 

ちなみに 電車だと ここは 近鉄 尼ヶ辻駅のすぐ近くになります(^_-)-☆



次回は

お昼に立ち寄った美味しいピザ屋さんのお話です(^_-)-☆

平城京の北の果て...佐紀盾列古墳群を歩く (前編)

あいにくの曇天ですが 

すまきとすまりんは奈良の東大寺にやってきました

奈良公園の鹿さんが一緒に写真を撮ってくれました💛

 

圧倒される大きさの大仏殿✨

まだ朝早いので人も少なめです(^_-)-☆


すごく久しぶりに東大寺の大仏殿に入場し 大きな大仏様を拝見しました✨

自由に撮影もできるので ありがたいです(*^^*)

 

大仏様と すまき

大仏様の高さは15m!迫力があります✨

正式名は「廬舎那仏」

聖武天皇の命で造られ 752年に完成したと言われています

 

大仏鋳造のための銅が 山口県の長登銅山から運ばれていたお話を以前させていただきました

www.aranciarossa.work

 

これは建設当時の伽藍の50分の1の模型です

創建当時の大仏殿は現在よりも大きく1.5倍の幅がありました

しかも 両側の塔は70mの高さがあったということ👀

クレーンもない昔 どうやって建立したのでしょうね

 

穴くぐり...

建物を支える柱の下に四角形の小さな穴が開いていて 穴をくぐりぬけると厄除けのご利益があるそうです✨

幅30cm  高さ37cm

『無理でしょ』と思うくらい小さく見えました 

子どもなら多分するっと抜けられる穴ですが 大人だと躊躇してしまう人が多いかもしれません^^;

 

実は大仏様のお鼻の穴と同じ大きさなのだそうです

 

昔 チャレンジしたような記憶もありますが...

だいぶ体型も変わっていますし(笑)

ちょっと緊張しながらトライしてみました(^_-)-☆

 

まずは すまき

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断念(笑)

 

ちいさな須磨は余裕です(^_-)-☆

ちいさな須磨は2022年にお空に行った愛猫の分身です

 

須磨を追いかけて すまりんもチャレンジ (5秒ほどの動画です)

 

無事 通過しました(^_-)-☆

最近 ちょっとダイエットしたので...(笑)

 

 

さて これから奈良の古墳巡りにまいります🐾🐾

 

以前 堺市の古墳を一日で制覇した時は 35kmほど歩きましたが...

 

今回は 全コース15kmほどなので 数時間のウォーキングですみそうです(^_-)-☆

天気は回復傾向のようですが まだ曇天💦

時折 雨がちらついていました

梅の花メジロも映えませんね^^;

 

寒いからか 鹿さんもおとなしいです

 

9時すぎ 東大寺の大仏池からスタートしました

 

ところで 千年の都「京都平安京」は左右対称に整った形をしていますが…

(右京八条九条四坊あたりは湿地帯で造営されなかった説もあります)

京都市歴史資料館HPより

 

奈良平城京」は左京に外京が張り出したりして かなり左右非対称です

そのうえ 都の中に前方後円墳がとりこまれていて面白いです

平城京の図

国土交通省近畿地方整備局国営飛鳥歴史公園事務所のHPより

 

実は平城京の北辺には 佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群といって 全長200m超級の前方後円墳8基を含む 日本でも有数の古墳群があるのです

平城京の東の端から西の端までずらりと並ぶ古墳を歩いてみます

 

こちらは東大寺転害門

平重衡の南都焼討と 戦国時代の三好・松永の戦乱で創建当時の主要伽藍のほとんどを失ってしまった東大寺ですが 唯一焼け残った建造物がこの転害門です

脇からくぐりぬけます

 

正面から見た転害門

天平の香り高き ゆるやかな曲線を描く大棟が美しい門です✨

 

ここから左京一条大路(佐保路通り)が伸びていて佐保路門の別名があります

 

万葉集にも数多く詠まれた佐保川を渡ります

佐保川は昔から 白く柔らかな春霞の衣をまとう春の女神に例えられてきました

幕末 当時奈良奉行だった川路聖謨としあきら)が整備した美しい桜並木がもう少し下流にあります

冬の寒さが解ければ 春の女神の川にふさわしい姿を見せてくれることでしょう

佐保川を渡るとすぐ 最初の古墳が見えてきました

東大寺を建立した 聖武天皇の御陵です

聖武天皇の実名は首皇子(おびとのみこ)

文武天皇と藤原宮子の第一皇子でした

 

天武天皇の皇后だった鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)は 数多の皇子のなかから最愛の息子 草壁皇子(くさかべのみこ)皇位につけるため ライバル大津皇子(おおつのみこ)を謀反の罪で自害に追い込むまでしましたが 草壁皇子皇位につかぬまま亡くなってしまいます

そのため草壁皇子の忘れ形見 まだ3歳だった孫の軽皇子(かるのみこ)が成人するまで 彼女自身が持統天皇として即位します

14歳になった軽皇子文武天皇として即位させてようやく念願は叶いますが なんと彼もまた24歳で早世してしまいました

草壁の血統を保つため 文武天皇のまだ6歳の息子 首皇子が成人するまで こんどは持統天皇の妹の阿閇皇女(あへのひめみこ)元明天皇として さらに文武天皇の姉の氷高皇女(ひだかのひめみこ)元正天皇として中を継いだのです

www.aranciarossa.work

 

こうして大事に大事に育てられた首皇子は 24歳で即位し聖武天皇となりました

聖武天皇は生い立ちから あまり幸せではなかったかもしれません

早くに父を亡くしたばかりか 母 藤原宮子は彼の出産後に重度の鬱病に苦しみ彼が36歳になるまで会うことはありませんでした

さらにようやく生まれた跡継ぎ息子は 1歳にも満たないまま夭折してしまいます

皇子を呪ったとされた長屋王に死を命じた聖武天皇ですが 長屋王は無実の罪だったといわれています💧

そして その祟りであるかのように天然痘パンデミックが日本を襲いました😱

当時の日本の総人口の三分の一が死に 藤原四兄弟を始め 政府高官のほとんどが病死してしまうという未曽有の事態は 恐怖のどん底だったに違いありません

 

救いを求めた聖武天皇が仏教に傾倒し やがては国家事業として巨大な大仏を建立するに至ったのも理解できるような気がします...

 

聖武天皇陵の参道には分かれ道があります

左が聖武天皇陵ですが 右へ行くと光明皇后の陵になります

 

こちらが光明皇后

聖武天皇陵の東側に寄り添うように造られていますが 拝所の正面に行くことはできません

このすぐ背後に戦国時代 松永久秀の多聞山城が築かれ 郭の一部となったため 聖武陵とともに一部破壊されているようです 

幼名を安宿媛(あすかべひめ)といわれた藤原光明子(のちの光明皇后)は 藤原不比等県犬養橘三千代(あがたいぬかいのたちばなのみちよ)との間に生まれました

生まれたのは藤原京の時代 大宝元年(701年)で 聖武天皇首皇子)と同い年でした

そればかりではなく 先に書いた状況により首皇子は 母 宮子の父である藤原不比等のもとで育てられた可能性が高く 二人は同じ屋敷に住まう幼馴染だったと考えられます

子どもの頃から心を通わせ 多くの近しい人々の死を共に悲しんだであろう光明子聖武天皇の最大の理解者でした

 

わが背子と 二人見ませば いくばくか この降る雪の 嬉しからまし

(この降る雪を ひとりではなく夫と二人で見れたら どんなに嬉しかったことでしょう)

光明皇后の詠んだ万葉集の歌を見れば 二人の仲睦まじさがよくわかります

 

聖武の没後 皇太后となってからは 女帝となった娘 孝謙天皇の行く末に心を砕き また聖武天皇の遺愛の品々を 今に残る正倉院御物として大仏に奉納しました

 

一条通りをさらに西へと向かいます🐾🐾

車通りが多くて歩道が狭いので ちょっと歩きにくい道です

 

京都へ向かう国道24号(奈良バイパス)を越えます

一条高校の向こうに これから目指すウワナベ古墳が見えています

 

一条通りを折れて北へ向かうと次第にのどかな田園風景となります

 

ウワナベ古墳の濠に突き当たりました

全長は255mで日本国内で第13位の巨大な前方後円墳です

ウワナベ古墳は江戸時代ごろまで元明天皇陵と考えられていた経緯で宮内庁が管理しています

※現在は 仁徳天皇の皇后である八田皇女(やたのひめみこ)の宇和奈辺陵墓参考地と訂正されています

応神天皇崩御後...

仁徳天皇は 異母弟の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と互いに皇位を譲り合いました✨

しかし 異母弟は自ら命を絶ち 仁徳に皇位を譲ったとされています

その時 遺言で『同母妹の八田皇女を後宮に入れてほしい』と仁徳に頼んだそうです

 

しかし...

仁徳天皇の皇后 磐之媛(いわのひめのみこと)は嫉妬深く 仁徳天皇が八田皇女を妃とすることを許しませんでした

のちに仁徳天皇が 皇后の留守中に八田皇女を宮中へ入れると^^; 怒った皇后は 仁徳天皇の元を去り 別居したまま亡くなりました💦

その後 仁徳天皇は八田皇女を皇后に立てたといわれています

 

ウワナベ古墳の西隣に並んでいるコナベ古墳

 

航空写真でも 二つ並びの前方後円墳がよく見えます(photo byすまき)

左がウワナベ古墳  右がコナベ古墳です

 

コナベ古墳は 江戸時代には元正天皇の陵墓とみなされていました

仲良く並んでいる姿が 文武天皇崩御聖武天皇即位までの中継ぎとして立った 元明・元正の2人の女帝の陵墓としてふさわしいように見えたのでしょうか

 

ところで 古語では 夫が新たに別の妻を持つ場合 元の妻を「こなみ」後の妻を「うはなり」と言うそうで ウワナベ・コナベは「うわなり・こなみ」からきているという説もあります!

 

宮内庁

コナベ古墳仁徳天皇皇后 磐之媛命の小奈辺陵墓参考地 

ウワナベ古墳を八田皇女の宇和奈辺陵墓参考地 としています

磐之媛命と八田皇女の関係にぴったりだということなのかもしれません

でも 仲の悪いお二方が横並びの古墳に埋葬されたとするとお互いに嫌でしょうね^^;

コナベ古墳 (※この写真では左)の墳丘の長さは204m

全国34位の前方後円墳で5世紀中頃に作られたと推定されています

 

不思議と乳白色をしているコナベ古墳の濠に 水鳥が群れていました

 

仁徳天皇陵をはじめ5世紀の大王陵は 世界遺産に登録された 百舌鳥・古市古墳群につくられました

それと同時期にここ奈良市の北部に相次いで築造された 大王陵に次ぐ規模の前方後円墳にはいったい誰が埋葬されているのでしょう...

 

お次は考古学的にはヒシアゲ古墳とよばれる前方後円墳です

ちょっと分かりにくいですが さきほどの航空写真のココに隠れています

全長219mで 全国24位の古墳です

出土品や埴輪の形式から コナベ ⇒ ヒシアゲ ⇒ ウワナベ の順で建造されたようです

宮内庁はこの古墳も第16代仁徳天皇皇后の磐之媛命の「平城坂上(ならさかのえのみささぎ)」と治定していますが さきほどのコナベ古墳とダブっていますね^^;

 

前方部に二重の濠がありますが外側の濠(道の左側)はほぼ干上がっていました

夫である仁徳天皇は偉大な大王でしたが 恋も多い人でした^^;

皇后の磐之媛命は嫉妬深いなどと言われて たまったものではありませんよね💧

 

恋多き仁徳天皇と吉備の黒媛のお話も 以前ご紹介しました⤵

吉備の豪族の娘だった黒媛は 容姿端麗であったために都に召され 仁徳天皇の寵愛を受けましたが 皇后の嫉妬にあって故郷に帰されます

仁徳天皇が(皇后には淡路島を見てくるなどと嘘をついて)わざわざ吉備まで追いかけて会いに行ったという話が 古事記に記されています^^;

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ところで 万葉集の第二巻の巻頭を飾る一首に 皇后 磐之媛命が仁徳天皇を想って作られた歌が残っています

君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ

(あなたが旅立ってからずいぶん長い日が経ってしまいました

 あの山道をたずねて迎えに行こうかな?やっぱり待っていようかな?)

すまりんだったら まよわず探偵を雇います

 

 

ヒシアゲ古墳の向かいに 大きな池がありました

水上(みずかみ)池です

ここまで来ると 遠くに平城宮大極殿が見えました

大きさは14ha 周囲は1.5kmもあり 奈良市最大のため池です

池の南辺が平城宮の北面築地大垣と一致することから平城宮と同時につくられたと考えられていて 平城宮の庭園の一部でした

池には出島や中島が10か所もあったといい奈良時代には「楯波池(たたなみ)」と呼ばれていたそうです

 

水鳥の浮かぶ池の縁をぐるりとまわって 向こうの小さな丘に向かいます

 

水上池の対岸に見えていた丘は 平城天皇でした

考古学的には市庭古墳という名前で 平城(へいぜい)天皇 「楊梅陵(やまもものみささぎ)」に治定されています

第51代平城天皇桓武天皇の第一皇子で 平安京に遷都されて以降の天皇です

この古墳は当初は平城宮の北端に接する巨大な円墳と思われていましたが 実は全長250mにおよぶ前方後円墳平城宮建設の際に前方部が破壊削平されていることがわかりました⤵

平城宮北辺地域発掘調査報告書(奈文研)より


本来の形が残っていれば 全国14位の巨大古墳となりますが…

平城京ができた後に即位した天皇の陵が 平城京建設の際に破壊されているなんて 時空が歪みすぎですね^^;

平城天皇は皇太子時代 自身の妃の母である藤原薬子と不倫関係にありました💦

父の桓武天皇はこれに怒り 薬子を追い出します

桓武天皇崩御平城天皇が即位すると 薬子は再び後宮に招き入れられました

ところが平城天皇は病気のため わずか3年で弟の嵯峨天皇に譲位して上皇となり 旧都である平城京に移り住みました

半年後 平城上皇の病状は回復し 逆に嵯峨天皇が病気になります💧

もともと譲位に反対していた薬子と兄の仲成は平城上皇重祚天皇に戻ること)を画策して 平城京への遷都の詔を出し クーデターを起こしました

しかし嵯峨天皇は 機先を制し 坂上田村麻呂らを派遣して反乱を抑えたので 平城上皇は剃髪して仏門に入り 薬子は服毒自殺します薬子の変

平城上皇への処遇は穏便で その後も亡くなるまで 平城宮に滞在したと伝わります

 

追号平城天皇は 深い愛着を持った平城京に因むものですが 本当の御陵はどこにあるのでしょうかね...

(一説では削られた前方後円墳を円墳として再度流用したとも?)

 

 

 すまりんたちは平城宮跡歴史公園の北辺をさらに西へとすすみます🐾🐾

 

...

 

富士山型の食パン〜FUJISAN SHOKUPAN と 富士山ぷりん

今回は 富士山をテーマにしたかわいいパンとプリンのご紹介です(^_-)-☆

食パン専門店 FUJISAN SHOKUPAN 

富士山ぷりん

 (山梨県南都留郡富士河口湖町

 

以前はパン専門のお店でしたが 2023年にプリンのお店もオープンされたようです

※店内はつながっています

 

メディアでも多数紹介されているようです✨

 

向かって左手の店内には お目当てのパンが並んでいました(*^^*)

 

こちらはプリン専門店のショーウインドー✨

店内で外国人のお客さんを見かけましたが 英語での案内もありました⤵

 

富士山ぷりんと パン屋さんの看板商品FUJISAN SHOKUPANを購入!

 

富士山ぷりん ソーダ

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パンナコッタとラムネ味のプリンの二層になっています

すごくなめらかで とろける美味しさでした(*^^*)

季節のプリンや抹茶プリンも食べてみたいです…

 

 

FUJISAN SHOKUPANはお洒落な箱に入っています

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さっそくカットしてみました(^_-)-☆

富士山の天然水・山形県産小麦 (かいほのか)・山形県産巨峰ジュースが使われています 

※ただし ブルーは着色料

 

断面が少しずつ変化して 楽しい… (*^^*)

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甘味のあるパンで 賞味期限も5日ほどあります

 

富士「お中道」の名産の"こけももジャム"を添えてみました(^_-)-☆

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トーストしても美味しかったです💛

 

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※現在は パンのみ お取り寄せ可能のようです

fuji3shokupan-2han.com

 

 

富士「お中道」🐾🐾の記事はこちらです⤵

www.aranciarossa.work

 

次回も てくてくシリーズ🐾🐾

 「古墳を巡って 奈良歩き」の巻!