後半は 百舌鳥(もず)古墳群23基を回ります(^_-)-☆
古市古墳群については前編をご覧ください⤵
古市古墳群を制覇したすまりんたちは藤井寺駅まで戻ってきました🐾🐾
ここから電車で百舌鳥古墳群へと向かいます🚃
一旦 最初の阿部野橋駅まで戻り…
大阪メトロに乗り換え...
御堂筋線終点のなかもず駅へ🚃
時刻は14時すぎ
後半戦スタートです(^_-)-☆
前編で書きましたが 古墳の多くは敷地内に立ち入ることができないので
すまりんたちの訪問認定のルールとして
「できるだけ古墳の名前が分かる案内板を撮影すること」
「天皇陵は拝所から見学すること」
の2点にしました
こちらは ニサンザイ古墳 [27/49]
※ニサンザイも 陵(ミササギ)の転訛したものだろうと言われます
今の墳丘長は290mですが元々は300m以上で 全国第7位の規模だそうです✨
被葬者は不明ですが 大王墓とみられる立派な古墳なので「東百舌鳥陵墓参考地」として宮内庁の管理下にあります
第18代反正天皇の陵は別の古墳とされていますが 実はこちらなのではという説もあるそうです
住宅街を通り抜けて…
現れたのは 御廟山古墳 [28/49]
墳丘長203mで 百舌鳥古墳群の中で4番目の規模の前方後円墳です✨
応神天皇陵は前編にも出てきましたが 実はこちらの御廟山古墳にも応神天皇が祀られていると伝えられています
古市古墳群のほうの応神天皇陵の考古学的名称も 「誉田御廟山古墳」でしたね
御陵ではなく御廟というところに 複数の応神天皇陵があるヒントが隠されているのかもしれません…
いろんな鳥がいますよ…
もはや 後ろ姿の写真しか撮られたくない すまりん(笑)
夕暮れの日差しになってきました
まだ21基も残っています!
次の古墳へ向かいます🐾🐾
堺市の百舌鳥古墳群は 古墳巡りのルートがとてもよく整備されています
道路も赤く舗装されていて 多分迷うことはありません
大きな市なので お金持ちなのでしょうか…
善右ヱ門山(ぜんえもんやま)古墳 [29/49]
次にご紹介する「いたすけ古墳」の陪塚(ばいづか・ばいちょう)と考えられています
※陪塚は前編でも登場しました
近しい人や家臣を埋葬した墓と考えられていますが 武器や宝物のみを納めたものもあったようです
いたすけ古墳 [30/49]
濠に囲まれた 墳丘長146mの前方後円墳です
私有地であったためにかつて宅地造成が計画されました
橋をかけて重機を入れ 樹木が伐採されたところで市民による保存運動がおこり堺市が買い上げて国史跡に指定されたのだそうです
堀には朽ち落ちた橋が残されています
今は水鳥たちの休憩所になっているようです…
もうすぐ15時…
冬の太陽が傾いてきました
お次は巨大古墳✨ 履中天皇陵です
濠を廻って拝所へ向かいました💨
下の図から分かるように墳丘は台地の西端に かつての海岸線と平行に築かれています
大阪湾に浮かぶ船からその偉容がよく見えるように作られたと考えられています
到着した船は百舌鳥古墳群の巨大な墳墓群に目を奪われたことでしょう…
さらに大和の都へ向かう人々は かつての大和川水系の流路をさかのぼり
今度は古市古墳群を目の当たりにすることになります!
履中天皇陵の拝所入り口に到着
履中天皇陵古墳 [31/49]
百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)として 第17代履中天皇陵に治定されています
考古学的には上石津ミサンザイ古墳の名称があり 墳丘長365mの全国第3位の巨大な前方後円墳です✨
いよいよラストスパートです!
履中天皇陵の西側をぐるっと回って北へ向かいました💨
ここまで歩いた距離は約22km
大仙公園に円墳が復元されていました
お隣にある 七観音古墳の復元だそうです
こちらが本物の 七観音古墳 [32/49]
ツツジの植え込みにしか見えませんが…
世界遺産構成要素ってどういう基準で選択されているのでしょう
お向かいにある 寺山南山古墳 [33/49]
どちらも履中天皇陵の陪塚だそうです
公園を進むと 次々と古墳が現れました
旗塚古墳 [34/49]
銭塚古墳 [35/49]
大阪府立堺支援学校の敷地内で フェンス越しに眺めるしかできません…
説明板もありませんでした
ここにも古墳カレーのお店が!
古墳カレーが気になるかたは前回の記事をご覧ください(^_-)-☆
長塚古墳 [36/49]
仁徳天皇御陵参拝道という碑がありますが 元は別の場所にあったものだそうです
ここから仁徳天皇陵の陪塚ラッシュです
収塚古墳 [37/49]
孫太夫山古墳 [38/49]
小さいけれど濠のある 可愛らしい前方後円墳です
"孫太夫"は江戸時代に所有していた庄屋の名前だそうです
竜佐山古墳 [39/49]
狐山古墳
仁徳陵の濠端に並ぶ一連の古墳で説明板もありますが構成遺産ではないようです
仁徳陵の南西隅にやってきました
見えているのは三重になっている一番外の濠で向こう端まで650mもあります
銅亀山古墳 [40/49]
地元では "どんがめやま" と呼ばれるそうです
ここから引き返し 巨大な仁徳陵を反時計回りに進みます
いよいよ 仁徳天皇陵古墳 [41/49] の拝所に到着
三重の濠に囲まれているので 空から見ないと墳丘の様子をうかがうことすらできません
こちらが一番外の濠⤵
こちらが二番目の濠⤵
皇居外苑✨を思わせる広い拝所で 一番内側の濠は鳥居の向こうにあります
考古学的には大仙古墳と呼ばれていますが
百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)として第16代 仁徳天皇陵に治定されています
墳丘長525m!
日本最大の前方後円墳で エジプトのピラミッドや秦の始皇帝陵に比肩する世界最大級の墳墓とされています✨
仁徳天皇は「民のかまど」のエピソードに代表される善政を敷いた聖帝として知られています
茨田堤(まむたのつつみ)を築き 難波の堀江を開削して淀川の開発を行い 墨江(すみのえ)の津を設け それまで大和にあった皇居を 外交貿易を意識した難波高津宮に移しました
せっかくなので 二人それぞれ記念撮影📷


ここまでの歩行距離は 25.3km です
最後の力を振り絞ります
仁徳陵の南東コーナーに差し掛かりました
おや?またまた可愛い猫さんがいました♡
やむなく休憩(笑)
人懐っこくて可愛かったです(*^^*)♡
塚廻古墳 [42/49]
私有地に挟まれてスペースがないためか 縮小した説明板が苦肉の策のように掲示してありました
源右衛門山古墳 [43/49]
大きな仁徳陵だけあって 陪塚がたくさんあります
仁徳陵の陪塚は 失われた分も含めると15基もあったそうです…
大安寺山古墳 [44/49]
仁徳陵の1周は約2850mだそうで ウォーキングやランニングをされている方がたくさんおられました
茶山古墳 [45/49]
もう日が暮れます…💨
丸保山古墳 [46/49]
菰山塚古墳 [47/49]
永山古墳 [48/49]
こちらは仁徳陵の陪塚という説と 独立した古墳という説があるようです
さあ 大トリ✨まで ひとふんばり🐾🐾
そして...
反正天皇陵古墳 [49/49]
考古学的には田出井山古墳(たでいやまこふん)と呼ばれる墳丘長148mの前方後円墳です
第18代 反正天皇陵の百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)とされていますが 父の仁徳・兄の履中陵と比べて規模が小さすぎることから 先にご紹介した ニサンザイ古墳 [27/49] こそが反正陵であるとする説もあります
「反正」の諡号は「正しい状態に返す」という意味だそうです
生まれながらにして(←?) 綺麗な歯並びだったので 存命中は瑞歯別(みずはわけ)命とよばれました
仁徳天皇の第三皇子で 前編の一番最初に訪れた古墳の主 允恭(いんぎょう)天皇の一つ上のお兄さんにあたります
奇しくもご兄弟でトップとラストを飾っていただきました✨
※ご紹介した順番は公式の順番ではなく すまりんたちが回った順番です
世界遺産 百舌鳥・古市古墳群を 一日で全制覇!コンプリートです✨
すまりんのお遍路さん万歩計によれば本日の歩行は52000歩🐾🐾
歩行距離は 34kmと表示されていますが
Google Mapからの推計では約30kmです(^_-)-☆
余分な4kmについては 出発点までの歩数や 駅やレストランでの移動 また看板を探して同じ場所をぐるぐると行ったり来たりした分など... 諸々のことが含まれているので 歩数としてはかなり正確なのでは と思います(^_-)-☆
日は暮れて 夕闇が迫ろうとしています
なんとか明るいうちに間に合ってよかった(*^^*)
こちらは前編で紹介した古市古墳群(photo byすまき ※別日に撮影)
大阪湾へと流れる大和川と支流の石川に囲まれた一帯に前方後円墳が散在しています
そして今回の百舌鳥古墳群 ⤵
大阪湾に沿った堺の街並みの中に 巨大古墳が並んでいるのがわかりますね
次回も てくてくシリーズ🐾🐾
東京都「玉川上水を歩く」の巻です(^_-)-☆