今日は「道南のお城めぐり」が中心のお話です
①松前城
②北海道 最南端
③志苔館跡
前回の記事⤵
江差から 国道228号線 「日本海追分ソーランライン」を南へと走ります🚗
風力発電の風車が並ぶ海沿いの道を60km...
こちらは搦手(からめて)門です
※大まかに言えば 大手門=表門 搦手門=裏門
緑色凝灰岩を使用した隙間の無い「切り込みはぎ」の石垣✨
現在ではお米の収穫量が日本トップレベルの北海道ですが 江戸時代には稲作ができませんでした...
松前藩は1万石格の大名なのですが 米がとれないため アイヌとの交易独占権で収益を得るという特殊な形態の藩でした
小大名の松前氏は城が持てる家格ではなかったので 陣屋と呼ばれる小規模な城(福山館)をこの地に構えていました...
しかし江戸末期になり外国船が来航するようになると 江戸幕府は海防を強化する必要に迫られました...
松前藩は幕府から新たに築城を命じられ 1854年に現在の松前城(福山城)が完成しました!
最大の特徴は...
海に面した三ノ丸に 外国船打ち払いのための7基の台場を備えていることです!
本丸のすぐ南に津軽海峡が広がります...
戊辰戦争では松前湾に侵入した旧幕府軍の軍艦(蟠竜丸)と砲撃戦が行われました!
松前藩は抵抗しましたが 土方歳三指揮の旧幕府軍の猛攻であえなく落城しました
その後新政府軍の艦砲射撃を受けて奪還されるなど 松前城は戦乱にさらされます…
激しい戦いにもかかわらず 三重櫓(天守)は 第二次大戦後まで残っており国宝に指定されていましたが 惜しいことに昭和24年の役場火災の飛び火により焼失してしまいました(>_<)
天守の中は松前城資料館になっていて 受付からこちらの地下トンネルをくぐって中に入ります
本丸御門は火災をまぬかれ 重要文化財に指定されています
小学校の正面玄関として使用されていた本丸表御殿の玄関は移築され保存されています...
現在 2035年の完成をめざした木造による天守の復元計画が進んでいるそうです!
楽しみですね(^_-)-☆
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松前城のすぐ近く...
北海道最南端の白神岬にやってきました!
お決まりの記念撮影📷✨
青森県 竜飛岬はこんなところです⇓
ちなみに...
北海道 最北端は 宗谷岬
最東端は 納沙布岬
最西端は 尾花岬 です
すまりんたちは最東端は17年前に制覇済みです(^_-)-☆
すまりん↗ ちょっと まねき猫っぽいです...
この年 須磨が生まれました...💛
17歳の誕生日を迎えた今も元気でいてくれて嬉しいかぎりです
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志苔館(しのりだて)跡
函館空港の滑走路のすぐ近くに志苔館跡があります
鎌倉末期から室町中期にかけて...
津軽安東氏をはじめとした和人が道南へ進出しました!
彼らは道南十二館とよばれる拠点を築いて この地を支配しました
志苔館はそのうち最も東にある館です!
青い空にきれいな土塁...
つるんとしていて転がりたくなります(*'▽')♡
郭内には井戸や建物の跡がありました...
製鉄技術を持たなかったアイヌは交易で鉄製品を入手していました!
そのルートは...明からのものと日本からのものがありました...
15世紀に明からの流通が途絶えてしまい...
アイヌは鉄製品を和人に依存せざるをえなくなりました
そんな中...
この志苔の鍛冶屋とアイヌの男の間で「小刀の価格と品質」について口論となり 怒った鍛冶屋がアイヌの男を刺殺する事件が起こりました(;''∀'')
それ以前からアイヌ側には不満が溜まっていたのでしょう...
渡島東部の首領コシャマインを中心に広範囲のアイヌが一斉に蜂起して 道南十二館はそのうちの十までが陥落してしまいます...
事件の発端となった『志苔館』は真っ先に攻め落とされてしまいました💧
しかし『花沢館』にいた武田信広が苦戦の末 コシャマイン父子を射殺すると アイヌ軍は総崩れとなります
これを機に武田信広は諸館主を従えるようになり 彼の5代目の子孫の慶広が 家康から「松前」の姓を許され 松前藩の初代藩主となったのです☝
記事の最初に出てきた松前城です(^_-)-☆
志苔館は 続日本100名城に入っています(^_-)-☆
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今回のお話の最後のスポットになります
函館といえば何といっても五稜郭✨
箱館が開港されたことに伴い 幕府はこの地に箱館奉行所を設置しました!
伊予大洲出身で緒方洪庵の 適塾(大阪大学の前身)に学んだ武田斐三郎の設計により 近代的な防御施設として五稜郭が建設されました
お城にさほど興味のないすまりんですが…
五稜郭は別格です♡
なぜかというと...
まずこのきれいなフォルム☆
星型要塞は世界ではたくさんありますが 日本にはひとつだけです(^_-)-☆
※四稜郭というのもあります... 昔行きました!
もう一つ...
すまりんが五稜郭を愛する理由は...
土方歳三LOVEだった頃の若い幼い すまりん...
独特の形を空から俯瞰できる 五稜郭タワーが建てられています!
今回はタワーには昇りませんでしたので昔撮った写真をご覧ください⇩
美しいですねー(*'▽')☆
桜の季節にも行ってみたいものです(*^^*)♡
まだ幼い⁈ すまき(笑)
これから橋を渡ってお城の内部に入ります🐾🐾
これは半月堡の先端です↗
当初は五角形の全部の辺に計5カ所つくられる予定でしたが 予算上1か所となったそうです
郭内に箱館奉行所の建物があります
箱館奉行所は新政府軍の艦砲射撃が命中し 戦後に解体されていましたが 2010年に復元工事が完成し 往時の姿を取り戻しています
本来はもっと大きな建物でしたが オレンジ色の部分だけ復元されています
地面に引かれている線は復元されなかった部分です
当初函館市は建物全体の復元を計画していたそうですが...
建築基準法の関係で『1000㎡より広くなると防火壁を設置しなければならず』見苦しいので断念したそうです
…こういうの どうにかならないでしょうかね^^;
さて 奉行所の内部に入ります...
開館時間:4月〜10月 9:00~18:00(17:45受付終了)
11月〜3月 9:00~17:00(16:45 受付終了)
休館日: 年末年始(12月31日〜1月3日)
入館料:大人500円/学生・生徒・児童 250円未就学児 無料
西洋風の星形要塞なのに 建物は純和風…
ふすまを開け放つと72畳の広さになるそうです!
太鼓やぐら
中央に高さ16.5メートルの太鼓櫓が設けられていましたが...
実は 近代要塞に天守閣のような高い建物はご法度!!
当たり前ですが 艦砲射撃のよい的になってしまい 戦の途中で慌てて切り倒すことになりました(>_<)
こういうのは 海外の城や教会ならのぼれることが多いのですが…
太鼓櫓はコロナと関係なくのぼれないようです
※外から見たらこんな感じです⤵
新型のエンフィールド銃✨
この頃は銃の技術革新が日進月歩で 新式の銃を揃えた側が圧倒的に有利でした!
旧幕府軍は 新政府軍に劣らぬ銃を装備していました...
けれど 開陽丸を失った旧幕府軍は圧倒的劣勢に立たされました...
さすがの土方歳三✨もついに銃弾に斃れます(>_<)
知る人ぞ知る 隠れスポットの土饅頭
従士に持ち帰られた歳三の遺体は...
多数の戦死者とともにこの土饅頭の中に葬られたのだとされています...
。。。合掌
以上 道南のお城めぐりのお話でした
次回は湯の川温泉のお宿のお話です