すまきとすまりんは 福島県の霊山(りょうぜん)に登ってきました
登山のお話の前に
歴史的主人公のご紹介を…
彼の名は 北畠顕家(きたばたけ あきいえ)
学問の家に生まれたスーパーエリート✨
十代半ばで国政の中枢に抜擢された 天才美少年貴公子
1991年のNHK大河「太平記」では後藤久美子さんが顕家役を演じられました
政争の余波で東北に左遷されるも
たちまち荒くれの奥州武者を従え
帝の危機に10万の大軍を率いて破竹の進撃!
敵を散々蹴散らしたけれど… 報われず (>_<)
帝に忠誠を尽くしながら 戦いのなかに非業の死を遂げた悲劇のヒーロー
そんな漫画の主人公のような人物が かつて日本に存在していたのですね…
今回は 顕家さま♥にゆかりが深い霊山の地を訪れたというわけです
東北中央自動車道 相馬福島道路の霊山飯館ICで下りると🚗
すぐに霊山の山容が迫ってきます
「りょうぜんこどもの村」の無料駐車場に車をとめて 山を目指すことにしました
開園時間前ですが 駐車場は開いていました
7:20スタートです!
実はすまりん 前日から軽いギックリ腰を患っておりまして^^;
ゆっくり歩くことはできるのですが 腰をかがめると激痛が(>_<)
でも 根性で 登るつもりです(^_-)-☆
登山口まで舗装道路を上って行きます 🐾🐾
ここまで登ってきたところで
『300m先 霊山登山口駐車場』の看板が👀
すまきがもと来た道を走って車をとりに戻りました💨
すまき ごくろうさんです(^_-)-☆
すまりんは ゆっくりのペースで坂道をのぼりましたが 先に駐車場に到着です
登山口駐車場も 整備された広い駐車場です
左手に見える建物はお手洗いです
紅葉の季節にはたくさんの人が訪れるようです
美男子系のアニメ調ののぼり旗の中に 顕家さまのお顔が拝めるかと思ったら…
伊達政宗関連の方々ばかり^^;
いまだに顕家さまは報われませんね (>_<)
天気はまずまずです(^_-)-☆
難攻不落の霊山城は あの断崖の上にあります⤵
そこまで高い山ではありませんので わりと簡単に登れそうです
こちらが登山口⤵
パンフレットも準備されていて ハイキングコースとして整備されていました
すまりんの腰と相談しながら 周遊コースをたどって歩くことにしました
※周遊コースは地図に赤茶色の線で示されていて 所要時間は4時間です
あらためて…
7:38 登山開始です
しばらくはゆるい坂道が続きます…
そして いつものように すまきが語り始めました(笑)
すごい美少年でね!
子供のころに…
山道の写真が続きますので…
すまりんが調べたことも追加しながら 歴史のお話をさせて下さい
鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇のもとで始まった建武の新政ですが
15歳の顕家さまは 当時5歳だった後醍醐天皇の第七皇子 義良(のりよし)親王を奉じて
いまだ不穏な情勢の東国・奥州に下向させられることになりました
政権内の勢力争いによるものだともいわれています…
文系のエリート美少年は ここから「戦う美少年」に変貌します
鎌倉北条氏の残党を津軽まで追い詰め
わずか1年で奥州を平定し その功績で「鎮守府大将軍✨」に任命されました
ところがその頃 鎌倉の足利尊氏が反旗をひるがえします!
大軍が京に迫り 後醍醐天皇は危機一髪の状況に陥りました
その時 顕家さまは 奥州から5万の軍勢を率いて
鎌倉にいた尊氏の弟 直義を蹴散らし
京都まで600㎞の道のりをわずか半月で駆けつけたのです!
今でこそ ささっと日本中移動できますが
当時は徒歩か せいぜい馬くらい…
山を越え 道なき道を行き 橋のない所は川も渡らないといけません
1日平均40㎞という驚異的なスピードは
「本能寺の変」の秀吉の"中国大返し"の倍以上の速さだと言われます👀
楠木正成と合流した顕家さまは
豊島河原(大阪府の箕面川下流)で尊氏を撃破し 九州へと駆逐しました
その後 顕家さまは 奥州に戻りましたが
九州で勢力を盛り返した尊氏は再び都に攻めのぼり
湊川(兵庫県神戸市)の戦いで 盟友 楠木正成が戦死してしまいます(>_<)
奥州にも不穏な空気が流れ
顕家さまは 仙台市の近くにあった「多賀城」から国府をここ霊山に移しました
戦に使う刀や矢じりを作っていたのでしょうか…
鍛冶小屋岩という表示がありました
見上げるような崖に挟まれた 狭隘な道がうねうねと続きます
崖から水が噴き出していました
籠城に大切な水の手も豊富そうです
15分ほど坂を登りつめると「宝寿台」という看板がありました
大きな岩にすごいはしごが掛かっているのが見えます👀
高いはしごで 見上げたらくらくらしました
でも 登らないわけにはいきません…
まずは すまりんが勇気を振り絞って(笑)
ほとんど垂直なんですが 途中で微妙にカーブするんですよ^^;
恐ろしさが伝わるでしょうか^^;
登った甲斐があって 絶景でした(*'▽')
「りょうぜんこどもの村」の建物が見えています
下から見上げた断崖絶壁の頂上に出たようですね
真ん中あたりの一番高いところがここ宝寿台です!
カッコつけてるのではなく 単に腰が痛い すまりん(笑)
すまきが先に はしごを降り始めました
下りの一歩目が怖すぎ(>_<)…だと思いませんか?
怖くてこれ以上先は覗けませんでした
はしごにしがみつきながら 震える片手で撮影した1枚
1歩降り始めると…
後はだんだん地面に近づいていると思うと余裕ができました(^_-)-☆
宝寿台からすぐに もう一つ「見下し岩」という眺めの良い場所があります
こちらです↘
岩壁の向こうは 福島盆地と吾妻連峰です
この方向に スコリア丘の吾妻小富士が見えています
すまりんには 最初 どこか分かりませんでした^^;
🔎望遠したら 分かりました!
以前ブログでご紹介した吾妻小富士↓
実はこの時↑も すまりんは前日からギックリ腰で…
痛いのを無理して登山しました^^;
あ… でも ほんと たまたまで
年中ギックリ腰なわけではないですよ!
もしかして福島と相性がわるいのかな^^;
ここで道が二股に分かれていました
左側に進んで 帰りは右側から帰ってくる予定です
天狗の相撲場 の横← (笑)
そのままスルーしてしまいましたが ^^;
このすぐ近くに怖そうな階段があって 上がると断崖絶壁に出るそうです
そこが「天狗の相撲場」だったようです^^;
登ったかたが投稿されたYouTubeもあるので 気になるかたは検索してみてください(^_-)-☆
そういえば 山中を歩いていると どこからともなく法螺貝の音が聞こえてきました
天狗が出てきそうな雰囲気はあります…
ここから少し下って 巨岩の縁を巻いていきます
このスポットは 親不知子不知(おやしらずこしらず)と言います
「親は子を忘れ 子は親を忘れ」
自分のことで精いっぱいな場所という意味と思いますが…
鎖のガイドもあって そこまで危険ではないです(^_-)-☆
人の手でえぐったのでしょうか? 断崖に沿って道が作られています
岩がトンネルになっています
急に崩れたりしないか ちょっと心配になりますね^^;
上を見上げたら 眩しい光が差し込んできました
トンネルを潜り抜けると…
見晴らしのよい場所に出ました(*'▽')
護摩壇というそうです
岩がいい感じに屋根になっていますね↘
霊山は古来 山岳信仰の場所であり 慈覚大師によって霊山寺が建てられました
この地は「北の比叡山」と称され 奥州南部の宗教・文化の中心地となりました
最盛期には120を超える堂塔伽藍が立ち並んでいたそうです…
再び岩場を登ります
「ポーズをとって」と すまきを振り向かせたら…
すまきが滑って 手を擦りむきました^^;
ごめんなさい…
すまきは怒っているわけではなく マイペースで歩いています
クマザサが生い茂る道…
蛇が出そうで ちょっと怖かったです^^;
一気に視界が開けました!
国司館跡と伝えられている場所です
霊山は断崖に囲まれていますが
頂上には平坦な場所が多くて このあたりにも建物が多く建てられていました
顕家さまがおられた霊山の中心区域にあたります
現在の多賀城市にあった陸奥国府を ここ霊山の山頂に移しました
霊山寺の堂塔を改築して利用したようです
国司館跡のすぐ近くに「霊山城跡」の看板もありました
この辺りを歩いている時 目の前を蛇が横切りました👀
ふたたびすまりんたちは藪の中に突入…
蛇を見てしまったので さらに怖かったです(>_<)
こういう時に限ってポイズンリムーバーを持ってくるのを忘れました^^;
※埼玉県のお宿で 寝てる時にムカデに噛まれてから 持ち歩くようになりました…笑
湊川の戦いで楠木正成が討たれ 後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を開きます
北朝に奪われた京の都を取り戻せと 後醍醐天皇の要請を受けて 顕家さまは今度は10万の大軍を組織します
関東・鎌倉と歯向かう敵を次々に打ち破り 青野原(今の関ケ原付近)の戦いで迎え撃った足利勢を撃破しました!
しかし 時代の趨勢は足利氏の北朝方に傾いていました
武士の心は南朝方を離れ 戦っても戦っても敵が湧いてきます
無敵無敗を誇った顕家さまも ついに石津(大阪府堺市)の戦いで破れ
200騎となった供回りとともに最後まで奮戦しましたが ついに落馬して討ち取られてしまいました
享年21歳でした…
霊山城は顕家さまの弟が守っていましたが
ついに落城し 山上の堂塔伽藍は焼き払われたと伝えられています…
写真はありませんが 行く手に蜘蛛の巣が掛かっていて グロテスクで大きな蜘蛛もいたため 不安になって 地図で道を確認中…
急な下り坂…
ここからさらに向こうの峰にも遺構があるようですが…
生い茂る夏草と 何度目かの大きな蜘蛛にビビッて断念^^;
当初の予定通り ここから「東物見岩」経由で戻って行きます🐾🐾
「東物見岩」の看板がありました
ちょっと険しい崖をのぼります
東物見岩に到着
そして ここが霊山最高峰です!
すまりんは まだ腰が痛いのを我慢しています…
「魔女の瞳」を見に行った時は 突如としてギックリ腰から解放されてビックリしましたが 今回はずっと同じ状態が続いていました
東物見岩を下りてすぐの所に学問岩がありました
霊山寺の僧が修行をした場所と聞きましたが…
詳細は わかりません…
お次は 蟻の戸渡りを行きます
修験道の行場で「蟻の戸渡り」といえば…
たいていは両サイドが切り立った尾根の上を歩かされます
怖そうに見えますが 実際はそこまでではなかったです
足を踏み外したら真っ逆さまなので 慎重に行きましょう…
蟻の戸渡りを終えて50mの所にこの看板が⤵
寄り道になるので スルーしようとしたのですが…
百人一首にも出てきそうな「天の釣り船」という名前に惹かれて…
注)百人一首のは海人(あま)の釣り舟 です
この向こう側に回れるようになっていました
巨大な岩が 浮いているように見えます
「天の釣り船」は空中の釣り船という意味でしょうか…
すごい感動はありませんでしたが 5分ほどの寄り道ですみました
望洋台
名前のとおり 遠くに海が見えるはずですが 草が茂り過ぎて視界が^^;
五百羅漢岩
鍾乳洞などでもよく聞かれる名前ですが ありがたい岩ということですね
五百羅漢岩のすぐ近くに弘法突貫岩がありました
近寄ってみると…
いくつもの深い穴が開いていました
弘法大師が錫杖で貫いたのでしょうか?
岩の向こう側には回れなかったので実際に貫通しているかは確かめられませんでしたが おそらく途中までかと…
寄り道になるので「弁天岩」には行かなかったのですが⤵
正面に岩を望めるスポットがありました
草が茂って見づらかったですが ちょこっと見えていますね
日暮岩入り口(最初の分岐点)に戻ってきました
すまりんは左手首と右の掌に… すまきは小指に…
それぞれすり傷を作りました^^;
軍手持参がよいかもしれません
まもなくゴールという所で小雨が降り始めましたが
なんとか無事に登山口に戻ってきました
頭がもじゃもじゃ!
本日の行程(ピンク色でなぞってみました)
弁天岩の往復はありませんが周遊4時間コースのほとんどを歩ききりました
ただいまの時刻は10:24
ゆっくり歩いても 3時間弱で戻って来れました
じっくり景色を見たり お弁当を食べたりしたら ちょうど4時間程になると思います(^_-)-☆
雨雲に覆われた霊山
このあと 急に雨が激しく降り出しました
すまりんたちは車に乗り込みました🚗
30分ほど車を走らせたところに 霊山神社があります
こちらには顕家さまと お父上の親房卿が祭られています
日本史の教科書にも出てきました
顕家さまの銅像がありました💛
美少年の定義も時代によって変わるんですね…
神社を参拝するのに階段を上ろうとしたら…
なんと 見上げるような階段でした👀
看板を見ると…
車でも神社近くまで行けるそうで…(*^^*)
普段ならはりきってチャレンジするところですが…
すまりんの腰の安静のため(←今さら笑) 断念^^;
車で登らせていただきます🚗
車の参道は狭いうえに かなりの急坂でした^^;
でも歩いて10分登るよりは ましですね
少なくとも 助手席のすまりんは らくちんです(^_-)-☆
車の底を擦りそうな坂を乗り越えたところが 駐車場でした
車をとめて ちょっとだけ徒歩で坂を上がります🐾🐾
さっきの階段参道がここで合流します↘
これは大変そう^^;
ようやく神社にお参りできました(*^^*)
参道に顕家さまの顔出しパネルがありました
普段は顔出しパネルにあまり興味を示さないすまきですが…
「ここは僕だね!」と積極的にパネルから顔を出してみせました
.....
以上 霊山登山と美少年の北畠顕家さまのお話でした
次回は
立ち寄りで利用した「花月ハイランドホテルの貸切湯」のご紹介です(^_-)-☆