豊臣秀吉のお墓はどこにあるかご存知でしょうか…
すまりんたちは
京都にある豊臣秀吉のお墓 豊国廟にお参りしました
その前に腹ごしらえを(^_-)-☆
お茶問屋さんが営まれているカフェサロンでパフェをいただきました
茶匠 清水一芳園 京都本店(東山区)
セルフサービスのコーナー(ほうじ茶・おしぼり・練乳)
かき氷も美味しいという噂です…
カウンターとテーブル席があり すまりんたちはカウンター席に案内されました
今回はパフェ目当てに来たので ブレずにパフェを注文しました
注文するものを決めたら 店内の券売機にて食券を購入
待つこと5分ほど…
パフェが運ばれてきました(*^^*)
実際は少し時間差があり 先に到着したほうは崩れかけています^^;
すまりんの清水ほうじパフェ
すまきの清水パフェ
上の部分をひと口味見させてもらいましたが 濃厚で美味しかったです✨
すまりんは次回食べるとしたらこちらの清水パフェにすると思います(^_-)-☆
清水一芳園から 東山のほうに坂を登っていきます🐾🐾
「豊国廟参道」
しばらく行くと明治時代に再建された豊国廟の一の鳥居が見えてきました
豊臣秀吉が祀られていた豊国廟と豊国神社は徳川時代に破却され お参りする人も途絶えていました
一の鳥居のすぐ右手に新日吉神宮(いまひえじんぐう)があります
かつてこの神社は豊国廟の参道をふさぐように道の真上に建てられていましたが 明治時代に豊国廟が再整備された時 脇へ移転されたそうです
楼門
秀吉の幼名は「日吉丸」… 秀吉ゆかりの神社のようですね
日吉神のお使いはお猿さん!
阿吽の狛犬も"狛猿"になっていました👀
拝殿の前には 大黒様 と 神猿(まさる)さん
→→「魔が去る」「勝る」ということで縁起のよいお猿なのだそう
本殿の欄間にもお猿さんがいます
お猿さんは大神の使者で 災厄を退け幸福を授けてくれるのだそうです
正面からは見ることはできませんが本殿脇に説明書きと双眼鏡が置かれていました
このように見えるそうですが…
さて…
🔍
🔍🔍 すまりんのスマホにて撮影
最初に説明書きと写真を見たので かろうじて判別できるといった感じでした
新日吉神宮の境内の片隅に樹下社(このもとしゃ)というお社がありました
豊国廟が廃されていた江戸時代… ひそかに秀吉をお祀りした社だと伝えられています
秀吉の旧姓 木下藤吉郎を「樹下」に通じさせているのだそうです
まだ色々奥の深そうな神社でしたが すまりんたちはこのへんで失礼して…
豊国廟の参道に戻ってきました
これからいよいよ豊国廟へと参ります🐾🐾
京都女子大のキャンパスを通り抜けると有料駐車場がありました
正面に豊国廟の二の鳥居が見えています
階段をのぼり …
二の鳥居をくぐると…
太閤坦という平地に出ます
だんだん山が迫ってきています
正面が拝殿で左手が社務所です
社務所にて登拝料100円を納めました
「上まで行って下りてくるだけで20分はかかりますよ!大丈夫ですか?」
「覚悟してきました!頑張ります!」
拝殿
登拝料は この先の階段下でも納められるようになっていました
豊国廟は標高196mの阿弥陀ヶ峰山頂にあります
ずうっと続く長い階段は 489段もあるのだそうです
手摺りがないこと・夜間灯がないことの注意書きがありました
社務所で登拝料を支払えなかった時はこちらの志納金箱に納めます
往復20分かかると言われると闘争心が湧いてくる すまりんたち…
ちょっと急ぎ足で登り始めました💨
前半は階段の奥行きが交互に長かったり短かったりで歩きにくかったです
途中でペースダウン^^;
318段のぼったところに 息をつける平地がありました
唐門
門扉には豊臣家の家紋「五七の桐」(花の数が5-7-5)
門の向こうの景色を見ると げんなりしました(笑)
頂上まで171段の一直線!
階段の奥行きは揃っていましたが 今度は角度が急になります!
手摺りがないので立ち眩みしないように気をつけないといけません!
ゴールの光✨
五輪塔が見えてきました…
拝殿からは489段ですが 麓からはトータル563段!
けっこう足にきました^^;
すまりんたちは なんとか10分で登り切りました(^_-)-☆
明治30年 豊太閤三百年祭の際に建てられたもので日本最大の五輪塔だそうです
その高さは10m!
「御廟の脇から清水寺が見える穴場スポットがあるのでぜひ見てきて下さい」と社務所のかたが教えて下さったので 御廟の脇に回って見下ろしてみました
左手の木の向こう(北側)に 絶景が広がっていました✨
🔍清水寺と三重塔が見えています(*^^*)
🔍🔍清水の舞台にはたくさんの観光客が見えました
見たことのない角度からの眺めにテンションが上がりました(*^^*)
清水寺はちっちゃくなるけど… せっかくなので記念撮影📷
下り…
前半は急なので慎重に降りました
後半の階段は緩やかですが 足場の奥行きが交互に変わるので リズムが狂い歩きにくかったです^^;
下りは5分ほどでしたので純粋に往復の時間だと15分とちょっと…
20分は余裕で切りましたが 下りた後は膝が激しく笑っていました^^;
京都女子大のキャンパスがあるこの坂は 通称女坂というそうです
キャンパスの後方に 京都タワーが見えています
いつか京都タワーに行ってみたいのですが 今回も時間の関係でパス^^;
女坂を下りきり 京都国立博物館の裏手の方の小道を入ると大仏殿跡緑地がありました
方広寺の大仏殿の跡地です
公園の中心の小さな土盛りあたりに大仏が安置されていたそうです
豊臣秀吉の発願によって作られた大仏は 6丈3尺(約19m)あったとされ 東大寺大仏の高さ(14.7m)を上回って日本一の高さを誇っていたそうです!
けれど 建てられてわずか1年後…
1596年の慶長伏見地震により壊れてしまいました(>_<)
後に再建されましたが 1798年 落雷による火事で焼け落ち 悲劇の大仏と言われました
徳川家康(狸おやじ笑)に難癖をつけられたこともあって
地震・雷・火事・おやじ(笑)の災害をすべて経験した大仏だそうです!
大仏殿跡の路地から 釣鐘が見えています
有名な方広寺の釣鐘です
こちらが現在の方広寺ですが 豊臣家全盛の頃はもっと広大な敷地を有していました
重要文化財✨に指定されています
高さ4.2m・外周2.8m・重さ82.7トンの大きな鐘です!
歴史の教科書でもお目にかかりました…
🔍「国家安康」「君臣豊楽」の文字が囲んであります
🔍🔍
国家安康…
『徳川家康の"家"と"康"を分断し 豊臣を君主として楽しむという呪詛』だと家康が難癖をつけ 豊臣方の弁明に耳を貸さなかったというのは有名なお話
豊臣家滅亡後は呪いの鐘として地面に野ざらしにされ 鳴らないようにされていました
鐘楼ができたのは明治以降です
鐘楼のすぐ横は 豊国(とよくに)神社の境内になっています
神社の正面からの写真⤵
手水には瓢箪があしらわれています
秀吉の馬印が「千成瓢箪」でしたね…
立派な唐門は国宝✨です
今は失われた伏見城の遺構といわれています…
これより中に立ち入ることはできませんので…
唐門の前から参拝しました
陶器の秀吉像は 太平洋戦争中に作られたそうですが 阪神大震災で台座が壊れて以来 収蔵されて非公開となっていました
令和元年5月1日(令和の初日)に再び公開されたということです
秀吉さまは西の方角を向いておられます
次回は「大阪城…」ではなくて 笑
京都の中心街にある温泉宿「別邸 鴨川」のお話です(^_-)-☆