すまりんの てくてく ふたり旅

部屋付き温泉のある素敵な宿と美食を求め 夫のすまきと全国飛び回ります!

松田屋ホテル(湯田温泉〜山口県)③

本館宿泊者は お部屋食になるようです

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夕食の開始時刻は 18:00/18:30/19:00/19:30から選択できました

すまりんたちは18:00スタートです

10分くらい前に担当のかたが準備に来られました

 

チェックインからお部屋の紹介まで⤵

ホテルの庭園 および大浴場・家族風呂のご紹介⤵

 

ここまで準備された段階で 椅子に移動しました

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巾着の中が気になります…

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ドリンクメニュー ※客室タブレットの飲み物メニューです


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すまきは 山口地酒 飲み比べセット 

小さく見えますが そこそこの量でした

1000円で有名なお酒を飲み比べできるので お得感がありますね✨

すまきは「貴」がいちばん好き だそうです

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『日本酒度が高い方が好みなのか…』と自分で納得してました

 

すまりんは 夏みかんチューハイ 

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こちらも 480円でなみなみです(*^^*)

山口県萩産の夏みかんが使われているそうです🍊

思っていたより甘さ控えめでした

 

お品書き
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【食前酒】 濁り酒

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アルコールがけっこうきつかったです!

すまりんは これだけで顔がかぁ〜っとなりました(笑)

 

 

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   ⇩ ⇩ ⇩

透明な三段の容器が現れました!

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※各段に前菜・炊き合わせ・酢物替りが入っています

 

【前菜】

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鱧切り落とし 

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夏野菜とジュンサイが入った涼しげな一品✨

 

白ずいき含め煮

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にし貝黄味酢和え

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【炊合せ】伊佐木山椒煮 

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味付けは濃すぎず ほろほろとした口あたりで美味しかったです

 

 

【酢物替り】冷製茶碗蒸し

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具は 煮穴子・銀杏・椎茸で トッピングはクコの実です

さっぱりと美味しかったですが 茶碗蒸しは温かい方が好みかも…

 

 

【造里】

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鯛重ね作り・中トロ・甘海老・文甲烏賊・帆立

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イカの中にきゅうりが射込まれていました✨f:id:aranciarossa:20230929204110j:image

 

 

【吸物】蟹真丈 

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ほっとするやさしいお味でした(*^^*) 
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木の芽とともに添えられているのは金針菜

「忘憂草」とも呼ばれる漢方の食材で ほてりやむくみに効くそうです

 

 

【強肴】(すずき)ずんだ焼

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「ずんだ焼き」とは 枝豆のみじん切りをマヨネーズなどで和えたものを切り身に塗って焼く調理法だそうです

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枝豆の風味がすばらしい一品でした✨

酢取り茗荷と青梅が添えられていますが 青梅は甘く味付けされていました

 

 

【焼物】 和牛ステーキ

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野菜チップ(レンコン&さつま芋)が添えられています

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お肉の焼き加減はミディアムでした
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やわらかくて美味しかったです!

 

新しいおしぼりを下さいました

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【御飯 香の物 止め椀】

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鯛ごはん

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もっそう型で抜いたみたいな こちっとしたご飯でした

お米は山口県産こしひかりです✨

 

こちらは すまきのお膳⤵

鯛ごはんのお椀が すまりんのよりも大きいです!

「勝手に大盛り✨」だそうです(笑)

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すまきの食べっぷりが良かったからか 「男性は大盛り」なのかは不明

量は別として ご飯の感じも違いますね

見た目は こっちのほうが美味しそうですが… 

すまりんのも「鯛むすび」っぽくて美味しかったです(^_-)-☆

 

袱紗(ふくさ) 仕立て 

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※二種類の味噌を使って仕立てた汁を「袱紗仕立て」と言うそうです

 

香の物三種盛

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【果物】 梨・ぶどう

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【甘味】いとこ煮

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『いとこ以上の関係の人が集まる冠婚葬祭に必ず出るから』と言うことですが…

具材を『追々』入れていくから 『甥と甥』で いとこ…(笑)

 など諸説あるようです

いとこ煮は日本各地にありますが 山口県のものは"小豆と白玉"を用いるのが特徴✨

汁気の多いタイプは萩風なのだそう

小豆と白玉のほかに麩やシイタケも入っていました

かつお出汁とお醤油でも味付けされているのであまり甘くはなく 『冷たくあっさりした和風ぜんざい』と言った感じでした

 

あまり食べる機会がない郷土料理も出てきてとても楽しかったです

美味しくて ボリュームもしっかりあり 満腹になりました

ごちそうさまでした(*^^*)

 

庭園がいい感じにライトアップされています✨

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すまりんたちのお部屋は一階です↗

庭園の入り口は夜10時まで開放されているので このあとも散策する人がけっこうおられました

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すまりんたちもお庭を歩きましたが 本館(特に一階)のお部屋は外から丸見えです^^;

戻ったら 障子を半分閉じました

 

食事の片付けのあと お布団を敷いて下さいます

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掛布団は縦半分に折られていました

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行燈が灯され 部屋の照明のスイッチを枕元に持ってきて下さってます

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お布団は寝心地も良く ぐっすり眠れました(*^^*)

 

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翌朝

まだ 庭園に人の気配がありませんでしたので...

浴室の扉をちょっと開けてみました(^_-)-☆

 

朝食開始は 7:30/8:00/8:30 から選択できました

すまりんたちは7:30からでお願いしました

30分前にお布団上げに来られるので 7:00には身支度を整えておく必要があります

 ※夕食時に説明がありました

 

お布団上げのあと一部のお料理が運ばれてきて そのまま15分ほど待ち時間がありました

 

待ち時間…

少しだけ残しておいた鯉の餌をあげました

餌のお代わりは 売店でいただけると思いますが まだ早朝につき…

 

7:20頃 他のお料理も運ばれてきて 朝食開始となりました 

 ちりめん山椒・いわしの煮つけ・明太子

蓮根と茄子の炊き合わせ・かまぼこ・湯葉

 

鶏ハムのサラダ

 

温泉玉子

 

冷ややっこ

 

うどん(冷)

 

湯葉しんじょう

 

フグの一夜干し

白い器には 「シソワカメ」が入っています↗

「ごはんにのせて食べて下さい」とのこと…

前泊の萩のお宿の朝食にも「しそわかめふりかけ」が登場しましたが 山口の定番なのでしょうか

 

シジミの味噌汁

 

香の物盛り合わせ

 

ご飯のお代わりもたっぷりありましたので すまきは3杯食べていました

 

チェックアウトの時 女将さんが 飴をくださいました⤵

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チェックアウトは10時で少し慌ただしかったですが

歴史の偉大な人たちが過ごした時を感じることができ 楽しい経験となりました✨

 

 

 

次回は ちょこっと 須磨🐈🌈の話題です

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松田屋ホテル(湯田温泉〜山口県)②

すまりんたちが宿泊したのは本館の一階にある「沢潟おもだか」というお部屋でした

大正時代に建てられた 木造二階建ての数寄屋風造りです

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前回の記事はこちら⤵

 

今回は 松田屋ホテルの名庭園 および大浴場・家族風呂のご紹介です(^_-)-☆

 

まずは 名庭園✨のご紹介から(^_-)-☆

※すまりんたちのお部屋からは直接庭園に出ることもできました

 (おそらく本館1階の宿泊者はそうなのだと思います)

 

通常の場合 売店裏の入り口から入ることになります

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履物置き場に 庭園の案内図がたくさん置かれていました

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江戸中期に作られたという庭園ですが 当初は枯山水の素朴な庭だったそうです

今の形になったのは大正7年頃だそうです

右のお部屋は103 雪舟  ↗

すまりんたちの隣のお部屋で 司馬遼太郎が逗留されたお部屋だそうです

 

雪舟」からもよく見えるアカマツの木✨

司馬遼太郎街道をゆく」に登場する"アカマツ”だそうです

とっても立派な枝ぶりでした!

 

左手に和風二階建ての建物は 「三条公顕彰棟」

※一階は客室です

 

江戸時代(1792年)に立てられた鳥居

上には 天照大神・地神・神功皇后・厄除地蔵 の祠があります

 

石橋の左手に小さい滝があったようですが …

 

右手(自分たちの部屋)のほうを気にしていたので 気づきませんでした^^;



桂亭 (無料の足湯です)

タオルはたくさん置いて下さっていました

お湯加減もちょうど良かったです(*^^*)

 

小さいお山がありました

階段の中央には五重塔燈籠⤵

 

頂上には 浅層泉源 (地下水) がありました

白ぎつねさんも並んでいました

 

ここから流れる水が…

「大滝」でした!



この辺まで来ると…

沢潟」のお部屋がよく見えるようになりました

ちいさな須磨は 池の鯉が気になる様子(笑)

ちいさな須磨は2022年にお空に行った愛猫の分身です

 

南洲亭(会見所)

西郷隆盛木戸孝允大久保利通が会見した場所なのだそうです👀

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歴史的にも貴重な文化財です✨

 

椅子は後年作られたものかも分かりませんが 歴史のにおいがしました

※前日撮影したものなので 浴衣が違っています

 

七卿落史跡

三条実美の手植えの松 (1864年) と 遺墨碑

 

沢潟」は露天風呂側からも お部屋に戻ることができるのですが…

 

池の飛び石を通って直接 居間に帰りました

餌を期待してか すまりんが通っただけで 鯉が集合しました^^;

 

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続いて 浴室のご紹介です

 

客室のタブレットで 時間帯や混雑状況を知ることができました

 

 

大浴場

 利用可能時間:15:00~9:00(0:00に男女入替)

 

花柏の湯(チェックイン〜0時まで男湯)

 

脱衣所

フェイスタオルは備わっていました

 

ヘアトニック・ヘアリキッド・フェイスケアミルク・シェービングウォッシュ

クレンジング・化粧水・乳液・ヘアゴム&コットン・綿棒・くし・ヘアブラシ

 

温泉分析書

 

浴室入り口

湯田温泉の白狐伝説…

 

内湯

桧の香りがしていました

源泉かけ流しだそうです✨

湯田温泉単純温泉

無色透明 無臭アルカリ性のお湯です

泉温63.1℃ PH9.2

 

※泉温が高いため最初は水でぬるめ その後 温度を保つのに温泉のみを下湯として注いでおられるとのこと…

 

 

露天風呂 白狐の湯 (かけ流し) 

子ぎつねを抱いたきつねさんが見守っておられました

 

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岩の湯 / 蔵の湯(チェックイン〜0時まで女湯)

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街道をゆく」の一節が掲げられていました

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履物の目印にするクリップ (※花柏の湯にもありました)

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➊岩の湯

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※温泉分析書は「花柏の湯」と同じ物です

 

脱衣所

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こちらももちろんフェイスタオルが備わっています

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スキンケアセット

※アメニティーは男女共通でした

 

浴室

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浴槽から洗い場まで全て「岩」でつくられています

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洗い場の椅子も石でした!

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洗い場は反対側にもあり 左右対称になっていました

岩の湯の浴槽は「浅湯」と「深湯」に分かれています

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浅湯は広く…
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深湯はやや狭いめです⤵
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こちらも源泉かけ流しのようです✨

 

一方 突き当りのドアを出ると 新設の 蔵の湯に行くことができます

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外部と遮断されているので 脱衣のままでも移動できます(^_-)-☆

 

❷蔵の湯

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85年前の蔵を移設したのだそうです

 

脱衣所はピカピカでした✨

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※こちらは浴室内の撮影が禁止でしたので 公式ホームページよりお借りします

内風呂:龍馬の湯

蔵の湯蔵の湯

 

露天風呂:おりょうの湯

おりょうの湯

 

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家族湯

 ※家族湯は二か所あります

 ※利用時間:15:00~翌9:00(予約制ではありません)

 

➊曙の湯

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すまりんたちのお部屋「沢潟」からすぐ近くにありました

脱衣所はちょっと狭いめ…

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スキンケア用品は備わっていました

使い切りのアメニティー: ヘアブラシ・くし・綿棒

 

温泉分析書(※大浴場と同じです)

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フェイスタオルも備わっています

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浴室

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小さな家族風呂です

大人二人くらいなら ゆっくり入れそうな浴槽でした

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こちらも 源泉かけ流しだそうですが もう一方の家族風呂が大人気ということで けっこう空いていることが多かったです

客室タブレットにも「曙の湯」の使用状況はありませんでした

 

 

そして おそらくお宿の目玉のひとつ...

❷維新の湯

大人気の家族湯です✨

明治維新の志士らが語り合ったとも言われているお風呂…

タブレットでも空き状況が確認できました

 

中もゆったりとしています

 

裏側に脱衣スペースがありました

明治維新番付表」には錚々たるメンバー✨

 

「維新の湯」の由来が書かれています

なんと

徳川幕府末期につくられたものだそうで 幕末の英雄たちが入浴したと伝わる歴史的文化財です👀✨

もちろん 前回ご紹介した「大村益次郎」の名前もあります↑

すごすぎますね!

www.aranciarossa.work

 

歴史を感じる浴室✨

天井も趣がありました!

 

洗い場は4か所ですが シャワーは2基です

 

浴槽も素敵ですが 床もおしゃれです✨

かけ流しであふれたお湯の排水システムもちゃんと考えられているようです

 

龍馬や西郷さんが浸かった浴槽に浸かる…

 ↑ 龍馬さんでは なぜかしっくりこないので(笑)

 

湯舟に浸かると なんだか 自分もえらくなったみたいな... (笑)

とにかく すごい体験をした気分になりました✨


 ...

 (次回は 夕食と朝食のお話です)

松田屋ホテル(湯田温泉〜山口県)①

すまきとすまりんの本日のお宿...

幕末の歴史好きにはたまらない 超老舗のお宿です!

お宿の裏手に専用の駐車場がありました

いきなり龍馬の登場です✨

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お宿の脇を 正面玄関に向かって歩いて行きます🐾🐾

 

こちらが正面入り口

松田屋ホテル山口県山口市湯田温泉

 チェックイン15:00 チェックアウト10:00

 

門の内側にも駐車できるようです

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340年の歴史があるホテル✨

明治維新の志士たちが語り合った場所としても有名です!

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玄関の脇に「高杉晋作 憂国の楓あと」の碑がありました

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玄関の右手に喫煙所

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広い玄関✨

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向かって左手前にあるフロントで チェックインの手続きを行いました

 

タブレットを渡され 使い方の説明を受けました

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大浴場の利用時間や 貸切風呂の利用状況も分かるようになっていました

 

歴史に関するお話も閲覧できます

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ドリンクメニューもありましたが 夕食時に載せますね(^_-)-☆

 

宿泊予約サイトの会員特典✨施設館内利用券3000円分をいただきました

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食事や売店での買い物に利用できます(*^^*)

 

すぐ向かいのスペースに 立派な扁額が掲げられていました✨

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初代内閣総理大臣 伊藤博文が宿泊した際に贈られたものだそうです👀

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履信居仁(りしんきょじん)とは…

「信(まこと)を日々繰り返しおこない 礼に基づき自分に厳しく他人には優しく 思いやりの気持ちでいなさい」という意味で 旅館業の心得として贈られたのだそうです

 

ロビーにある電子看板でも お風呂の状況が分かるようになっていました

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湯田温泉といえば白狐伝説…

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かわいいきつねのぬいぐるみが置いてありました💛

 

チェックインのあと ラウンジバー「錦旗」に案内されました

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※バーの利用は有料です(営業時間:16:00~22:00) 

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ギャラリースペースは まるで歴史博物館みたい✨

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各テーブルに「維新の三傑」「錦の御旗」など 名前が付いていました

 

すまりんたちは「坂本龍馬」のテーブルでした

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特に「坂本龍馬のファン」と言うわけではないのですが…

龍馬にゆかりのあるお宿には幾度か宿泊しました

www.aranciarossa.work

 

お着き菓子の”山焼きだんご”(山口のお菓子)と お抹茶をいただきました

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客室数は新館21室・本館10室 合わせて31室です

すまりんたちは「本館」の客室に宿泊しました

 

本館案内図

大正時代に建てられた2階建て数寄屋造が3棟 日本庭園を囲むように並んでいます 

※3棟は「萩の間棟」「快活楼」「群巒閣」といい

「快活楼」「群巒閣」はそれぞれ 山縣有朋  伊藤博文命名されたそうです

 

本館客室には全て 天然温泉がついているようです

 

スタッフのかたが お部屋まで案内して下さいました

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売店の横をぐるっと回って行きます

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ホテルの名庭園は ここから散策できます(扉の開放時間は7:00〜22:00)

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※お庭の詳細は次回にさせていただきますね(^_-)-☆

 

24時間自由にいただけるドリンクコーナー

お部屋のすぐ近くだったので 何度もお世話になりました

 

明治維新資料室

維新にまつわる資料などがずらりと並んでいました✨

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吉田松陰 

 

高杉晋作 憂国の楓

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高杉晋作が玄関横にあった楓の幹に所感を刻み込んだものだそうです

玄関に木碑がありましたね⤵

 

すまりんたちのお部屋は この奥にありました⤵

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客室 105 沢潟(おもだか)

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雑誌などでよく紹介される人気の客室です✨

沢潟」は植物の名前

戦国武将や大名が「勝ち草」と呼び 家紋として使用されていたそうです

 

このお部屋を庭園から見ると こんなふうに水辺にせり出しています⤵

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※すまりんたちのお部屋は一階部分です

 

お部屋の入り口

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グラスやお茶のセットがありました

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湯沸かしポットはカラですが 保温ポットに熱いお茶が入っていました

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ドリップコーヒーもあり↑

茶器を覆う布巾にも「履信居仁」がプリントされていました

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冷蔵庫の中の飲み物は無料でした(*^^*)

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クローゼット

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ボディーウォッシュ・ビニール巾着・バスタオル(各自1枚)f:id:aranciarossa:20230929192325j:image

浴衣のセットf:id:aranciarossa:20230929192330j:image

浴衣の下に丹前f:id:aranciarossa:20230929192322j:image

浴衣はデザインが異なる二種で それぞれ「中」「小」が1枚ずつ
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※浴衣は同サイズでも白いほうが大きめです

 

白は シブい浴衣です✨

吉田寅二郎(=吉田松陰

 

 

突き当りが お手洗い

 

居間

 

鴨居が低いので 長身かつ不注意なすまきは頭をぶつけていました(笑)

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背の高い人は いろいろ大変ですよね^^;

 

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部屋の角っこにテレビがありました

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障子は雪見障子なので 半分上げることもできます

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お部屋の鍵は二つ

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純和風な床の間の造りが素敵✨

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手前に見えているのは 加湿機能付き空気清浄機です

 

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毛利元就 教訓図」が掛けられていました

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木目調の電話がかわいいです(*^^*)

木箱の中は 筆記用具が入っていたと思います…

 

延長コードもありコンセントには不自由しませんでした(*^^*)

 

和室の周囲は 畳敷きの廊下に囲まれています

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外は庭園です ※お部屋の専用のお庭ではありません

 

贅沢な眺めのお部屋ですが 多くの人がひっきりなしに散策されていました

鯉の餌やりができるので 飛び石の上まで来られるかたも^^;

 

外から見たら こうなっています⤵

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庭園は22時まで開放されているので カーテンや障子を開けたままだと あまりリラックスできませんでした^^;

でも 閉めきってしまうと せっかくの景観(特等席)が台無しになるので 結局開けたまま お行儀よく過ごしました(笑)

浴衣の大きさに差があるとは知らず 最初すまきはグリーンの「中」を着ていましたが 裾がかなり短かったです^^;


「特大」サイズをお願いしたところ グリーンと白を両方下さいました

 

グリーンの「特大」は ジャストフィット✨

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ところが…

白いほうは 珍しく 裾を引きずっていました!

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帯の両面に部屋番号があるので 迷子にならずに済みます(笑)

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さきほど「鯉の餌やり」と書きましたが…

庭園散策の際 売店にて鯉の餌を無料でいただけます(*^^*)

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すまりんたちのお部屋から 直に庭に出ることもできました(^_-)-☆

あらかじめ履物も置いて下さっていました

庭園入り口が締まっている時でも自由に出られるのは嬉しいですね(*^^*)

 

すまりんが餌を撒くと あっと言う間に鯉が集まってきました!


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お部屋のお風呂はこの右奥になります→→

お風呂に行く前に こちらからも鯉に餌をあげてみます(^_-)-☆

最初は一匹もいなかったけど 前に立っただけで鯉が集まってきました

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20秒の動画です⤵

 

さて 客室風呂へ…

のれんの向こうが洗面所です

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洗面所

手前に大きいめタオル掛けがありました↗

 

洗面台は洋風✨ ダブルシンクなので便利です(*^^*)

 

スキンケア用品は備わっていました

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鏡で倍に見えますが…

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髭剃り・ヘアブラシ・シャワーキャップ・歯ブラシ・くし

 

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綿棒・アクセサリートレイ・フェイスタオル

 


シャワールーム

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天井シャワーもありました

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ロクシタンのバスアメニティ(シャンプー・コンディショナー・ボディソープ)
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※本館客室のみのサービスのようです

 

 

客室風呂(温泉

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樹齢100年のクロガネモチが突き抜けていました👀

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お風呂は源泉掛け流し✨

 

温泉の量と温度を蛇口で自由に調整できるのがありがたかったです

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湯田温泉単純温泉

無色透明 無臭アルカリ性のお湯です

泉温63.1℃ PH9.2

少しぬるいめに調整して 長湯を楽しみました(*^^*)

このままだと眺望はありませんが

すぐ外を人が歩いているので仕方ないですね^^;

 

格子戸になっているので 夜に少しだけ開けてみました(^_-)-☆

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誰もいない早朝はもっと大胆に(^_-)-☆

 

浴室にも 庭園への出入り口があります⤵

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お隣のお部屋からも出られるようで 出口が隣り合っていました

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次回は 庭園の散策と大浴場・貸切風呂など 館内施設のご紹介です

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  ...

国を治した”上医” 大村益次郎(後篇)

すまりんたちにとって

ちょっと気になる存在の大村益次郎...

彼の一生を追いかけながら... 

幕末の歴史の一部分を振り返ってみたいと思い 書き始めたお話...

本日 後編です

 

こちらの前編からお読みいただければ幸いです⤵

www.aranciarossa.work

 

※記事中の写真は全て現地に行き自身で撮影したものです

 

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山口へ山口県萩市山口市

開国へと舵を切った幕府に対し 攘夷の急先鋒となった長州藩は孤立を深めていきます...

文久3年(1863年大村益次郎は江戸を引き払い長州の萩へと戻され 軍備関係の仕事を任されました

 

元治元年(1864年)京都で禁門の変蛤御門の変)がおこると長州と幕府との対立は決定的となり 第一次長州征伐を招きました

 

こちらは京都御苑蛤御門 

門には今も扉に弾痕らしきものがあちこちに残っています

 

このときは幕府に降伏・恭順した長州藩でしたが すぐに「高杉晋作」が挙兵して主戦派が藩内の実権を取り戻しました✨

 

山口県「道の駅 萩往還」にある維新の志士たちの群像

左端が高杉晋作です

真ん中の吉田松陰安政の大獄で刑死し 右端の久坂玄瑞蛤御門の変で亡くなりました

「人材が雲のように出た」といわれた長州藩ですが 維新の間に人が死に過ぎました💧

 

生き残ったなかで 唯一リーダーとして藩を率いることができたのが「桂小五郎」でした

京都に潜伏していた小五郎は 芸妓の幾松(のちの妻)らの助けを借りて 厳戒下の京都から苦難の末に 山口へ脱出しました💨

 

京都烏丸御池  今はホテルオークラになっている長州藩邸跡

長州藩では桂小五郎の指導の下 西洋式兵制を採用した軍制改革に着手し その指導は今回の主人公である大村益次郎にゆだねられます...

 

旧山口藩庁門 (山口県

益次郎は ここにおかれた政事堂に出仕していました

 

山口で益次郎が宿泊していた普門寺には「普門塾」または歩兵・騎兵・砲兵の三兵科について教えていたことから「三兵塾」とも呼ばれた塾が開かれました

益次郎は西洋兵術書を翻訳してわかりやすく書き改めたテキストを作成し 各隊の指揮官を集めて戦術や兵法を叩き込んだと伝えられています

 

益次郎はこの観音堂に宿泊し 兵学を教授したのだそうです

中に入りきらない人は外で講義を受けたそうです

 

ところで...
この時代の銃は 旧式の丸い弾丸の火縄銃から 銃身内にらせん状の溝(ライフリング)を刻み 椎の実型の弾丸に回転を与えて射出することで より長い射程と命中精度を実現した ライフル銃に変わりつつありました✨

 

こちらは北海道の函館奉行所に展示されていた ミニエー銃よりさらに新しい 後装式ライフルのエンフィールド銃と椎の実型弾丸⤵

益次郎はいちはやく 最新のライフル銃であるミニエー銃を手に入れようとしますが それには困難を極めます💦

このとき 土佐の坂本龍馬の活躍で薩長同盟が成立し「亀山社中」により イギリス商人のグラバーから薩摩藩を経由するかたちで ミニエー銃4300挺を購入できました!

 

長崎のグラバー邸にて... 

 

長崎にある坂本龍馬

 

亀山社中記念館では 龍馬とツーショット写真が撮れますよ(^_-)-☆

※他のお部屋の資料は撮影禁止です

 

第二次長州征伐は 大島口・芸州口・石州口・小倉口の四つの藩境から幕府軍が迫る「四境戦争」になりました


幕府軍10万5000に対し 長州勢3500という兵力差でしたが 諸藩寄せ集めの幕府軍の士気は低く 装備も旧式のゲベール銃でした

ゲベール銃の有効射程が100ヤード(約91メートル)なのに対しミニエー銃は300ヤード(約274メートル)に達したといわれています✨

士気と武器は幕府軍に負けていません

 

益次郎は石州口方面の実戦指揮を担当しました

津和野から益田へと進むと 巧妙な用兵で無駄な戦闘を避けて敵を逃げさせ あっという間に浜田を落としてひと月あまりで石見銀山まで占領するに至りました!

長州藩の旧知で蘭学者の青木周弼は 益次郎を評して「その才知 鬼の如し」と語ったといわれます

 

武士の生まれでない益次郎は 馬にも乗れず 刀の抜き方さえ知らなかったということで 💦

…頭には百姓笠をかぶり ユカタを着て 腰に渋団扇を差し ちょうど庄屋の手代が隣り村へ涼みにゆくようなかっこうで…

長州軍の大将とはとても思えない下駄ばきで 部隊のうしろをてくてく歩いて行ったと...

花神」の益次郎は そう描かれています

 

益次郎の進みゆく先で 武士の世の幕は引かれようとしていました

 

浜田藩の藩境にあった益田の扇原関門では 益次郎率いる800名の長州軍が開門を要求...

ところが

わずか数人でここを守っていた浜田藩の「岸静江国治」は譲らなかったそうです!

相手は800人ですよ💧💧💧

岸が無駄死することを哀れに思った長州軍が好意で退却をすすめたそうですが...

彼はそれを受け入れず 部下(寄せ集めの農民)を逃がし ひとり槍一本で立ちはだかり長州軍の銃撃を浴びて 仁王立ちのまま絶命したと伝わります

 

峠道の車道から 少しのぼったところにその扇原関門はあります

「これより北 浜田領」の石標⤵

岸は ここで亡くなったようです

 

彼のお墓は さっきの車道沿いにありました

浜田藩の関門を命を懸けて守ろうとした勇敢な忠義の士として 敵の立場である長州軍も費用を出し手厚く葬られたそうです

 

関門を突破した長州軍は峠を下った机崎神社に集結しました

 

益次郎は写真中央の小高い丘(稲積山)に登り 敵情視察して作戦をたてたと伝わります

幕府・長州両軍はこの益田川をはさんで対峙しました

 

川の南側... 長州軍が本陣を置いた妙義寺

 

こちらは川の北側... 幕府軍の本陣だった萬福寺

幕府軍は七千以上で長州軍の十倍の兵力でしたが 益次郎の用兵で各個撃破され 潰走しました

 

萬福寺本堂は南北朝時代に建てられ 重要文化財に指定されています✨

鎌倉風の屋根がみごとですね!

すまりんたちが訪れた日は 朝からすごい風で 雨戸が閉められていました^^;

 

この萬福寺には雪舟禅師によって作庭された 有名な雪舟庭園があります

 

拝観料を納めて庭園と本堂を見学させていただきました

中央に須弥山石が配された 仏教の宇宙観を表すという庭園

 

本堂の柱には 当時の弾痕が残されていました

 

他の攻め口でも 最新式の銃を装備し 益次郎に叩き込まれた西洋式の戦術を駆使した長州軍は善戦し 高杉晋作が指揮した小倉口では小倉城を落城させています

小倉城天守は1837年に失火のため焼失していて 当時はありませんでした

※昭和にコンクリート造りの復興天守がつくられていますが 本来の姿を再現したものではありません

 

当時 幕政の座からしりぞけられていた「勝海舟」は かつて講武所で同僚であった益次郎のことをよく知っており「長州に村田蔵六がいては とても幕軍に勝ち目がない」と言ったそうです

 

墨田区役所前にある勝海舟像⤵

 

絶体絶命の四境戦争を凌いだ長州藩

 

山口市の郊外に 大村益次郎医学記念碑がたてられています

ここは長州藩の獄舎があったところで 四境戦争のあと 依頼をうけて益次郎が腑分け(人体解剖)を行いました 

医学を志すものにとって 解剖実習は今では必須ですが 当時腑分けを見られる機会は貴重でした

この頃には軍事の才能ばかり目立つ益次郎ですが 彼本来の医師としての本領が発揮されたことでしょう...

 

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新政府軍として江戸へ

時代は倒幕へと移っていきます

戊辰戦争では 西郷隆盛勝海舟の会談により 江戸の無血開城がなされました


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西郷と勝は 標高26mの愛宕山山上から江戸市中を見回しながら会談したと伝わります

けっこう急な階段でした👀

こちらが頂上⤵

 

江戸の無血開城に納得のいかない旧幕臣たちは彰義隊を結成して 上野の山に立てこもりました

 

上野寛永寺台東区

 

戦火が長引けば せっかく無血開城した江戸の町が焼け野原になってしまいます

益次郎は極力被害を少なくするために周到な作戦をたてたそうです

 

正門となる上野公園南側の黒門口に再現された黒門

ここには最精鋭である西郷隆盛薩摩藩が配置され 激戦となりました

 

「実際の黒門」は 現在荒川区三ノ輪の円通寺に移築されています

熾烈な銃撃戦を物語るように 門扉は弾痕で蜂の巣のようになっていました


益次郎は彰義隊がたてこもる寛永寺を取り囲ませましたが「北側にはあえて兵を置かず 退路をつくって逃げられるように」仕向けました

 

寛永寺の北側... 日暮里駅近くにある経王寺

逃れてきた彰義隊士を攻撃した弾痕が 門扉に残されています

あれ? たった今 彰義隊士をここから逃がす作戦だったと書いたばかりですが...

ちょっと矛盾がありますね^^;

 

戦闘中 益次郎自身は現場には行かず 江戸城富士見櫓で指揮をとったそうですが およそ戦の終わる頃合いまで ぴたりと予測していたそうです👀

※富士見櫓は皇居内にあるので 見学には整理券をゲットして皇居参観を申し込む必要があります(^_-)-☆

その後も益次郎は事実上の新政府軍総司令官として江戸で指揮を執り 戊辰戦争は官軍の勝利に終わりました✨

 

戊辰戦争の激戦地  会津若松鶴ヶ城

 

こちらは 鶴ヶ城を眺める白虎隊の像

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鶴ヶ城が燃えていると思い 自決を決意したという場所です

 

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維新後

明治新政府では 武士(藩兵)から軍を編成しようと考える「大久保利通」と 国民皆兵(農兵論)を唱える「益次郎」とで意見が対立しました

しかし 結局軍事に関して益次郎に代わる人材は無く 益次郎は兵部大輔(次官)に任ぜられることになりました

次官ではありますが 兵部卿(大臣)は親王で名目上の存在だったので 事実上 明治政府軍の建軍は益次郎が担ったのです✨

 

益次郎は諸藩の廃止・廃刀令の実施・徴兵令の制定・鎮台の設置・兵学校設置による職業軍人の育成など のちに実施される日本軍建設の青写真を描きました

また 明治維新のために殉難した死者を慰霊するため 靖国神社(招魂社)の創建にも力を尽くしました

 

靖国神社にある大村益次郎銅像

 

西郷隆盛楠木正成と並んで東京三大銅像のひとつになっています

「西郷という人物は 武士階級を残そうとしている」という一点でしか理解しようとしなかった…

司馬遼太郎大村益次郎の西郷観についてこう書いています

 

百姓であり医者であった益次郎は できれば人の命は生かすべきと考えていたのでしょう...

彼の戦い方は敵を包囲殲滅するというやり方を避け 逃げ口を作っておいて敵を逃がし 場合によってはあえて追撃もせず 味方の被害を最小限にして戦略的な勝利を得る というものでした

 

一方 西郷は 固陋な封建の世を一新するために

…日本中が火の海になり 焦土になってしまわねば 旧日本は亡びない …内乱の焼けあとの灰の中からあたらしい日本がうまれる(花神より)…

という考えで 根本的に相容れないものがあったのかもしれません💦

 

益次郎は後の西南戦争を予見していて 西郷らを中心とする薩摩藩の動向を気にかけていました

関東ではなく大阪に造兵廠(大阪砲兵工廠)を建設することにしたのはその備えのためだといわれています

 

こちらは大阪城

 

その北側...

京橋口の一角に 大阪砲兵工廠化学分析場の建物が今も残されています

 

現在大阪城ホールが建っている場所を含め 大阪城の北と東側の広大な敷地に アジア最大規模の軍事工場がありましたが 先の大戦で徹底的に爆撃破壊されました

 

明治2年(1869年)益次郎は関西に置いた軍事施設視察のために京都へ出張しますが その旅宿において 新軍建設に不平を抱く士族たちに襲われ重傷を負いました

高瀬川が流れる木屋町御池を上がったところに 奇しくも5年前にこの地で暗殺された「佐久間象山」と並んで遭難の碑が建てられています

新撰組池田屋坂本龍馬が暗殺された近江屋もここから半径数百m内にありますから 維新前後は超治安悪い場所だったみたいですね💧

すまりんなら絶対泊まりません^^;

 

右ひざの傷が 動脈から骨に達するほどの深手でしたが 医師であった益次郎は自ら処置をして一命をとりとめます

しかし治癒は進まず 大阪市にある大阪府医学校病院に搬送されました

 

医学校病院跡地には 今も国立病院機構大阪医療センターがあります

ここで 横浜から8日もかけて駆けつけてきたイネ (前回で登場したシーボルトの一人娘)や イネの娘 タカ(これもお話しましたが メーテルやスターシャのモデルにもなった...) らの献身的な看護を受けました

蘭医ボードウィンによる診察をうけた時には かなり化膿が進んでいて 即刻右大腿部切断の診断が下されます

けれど 当時は政府高官の大手術には勅許が必要だったそうで 東京への往復には少なくとも10日を要しました💧💧💧

 

手術後 数日は経過良好のようでしたが 傷口から入った菌のため敗血症による高熱を発し容態が悪化して 亡くなったそうです(>_<)

まだ抗生剤の無い時代です…

享年45歳でした

 

国立病院機構大阪医療センターの南東隅に巨大な殉難の碑があります

奇しくも 大阪医療センター(当時国立大阪病院)は1996年に司馬遼太郎先生が亡くなられた病院でもあります

益次郎は臨終の際「西国から敵が来るから四斤砲をたくさんにこしらえよ... その計画はしてあるが 人に知らさぬように」と後事を託し...

「切断した私の足は緒方洪庵先生の墓のかたわらに埋めておけ」と遺言したそうです

 

南森町駅近くにある龍海寺

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ここに緒方洪庵夫妻の墓所があります

※正面のこの門は閉まっていましたが 電話で確認したところ 呼び鈴を押して勝手口から入るように言われました

 

夫妻のお墓に寄り添うように 益次郎の右足が埋葬されていました

大村兵部大輔埋腿骨之地⤵

 

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場所は ふたたび 彼の故郷である山口の鋳銭司に戻ります

 

鋳銭司の郷土館

 

益次郎の死後 鋳銭司村の人々は益次郎のために「大村神社」を創建し 菩提を弔いました

鋳銭司郷土館の隣に 大村神社はあります

 

山の裏手に 益次郎の墓所があるということなので行ってみました🐾🐾

神社から歩くこと10分くらいで到着🚩

 

益次郎のお墓は 妻の琴子のお墓と並んでいました

 

今回の記事を書くにあたり 参考にさせていただいた司馬遼太郎の「花神

花神」とは 野山に花を咲かせ そして人知れず去っていく神のことだそうです

幕末から明治にかけて 百花繚乱の人材が世に出て 日本という国を回天させました

西郷隆盛坂本龍馬高杉晋作… 多くの人に名の知れた維新の偉人にくらべて 大村益次郎の名はあまり有名ではありません

しかし彼がいなければ あのように鮮やかな形で維新は成らなかったでしょう...

繚乱の花も あるいは咲かなかったかもしれません

 2022年 阿蘇にて撮影

 

時代の要請とともに忽然と現れ そして栄光を待つことなく 役目を果たせば静かに消えて行った偉人の足跡を わずかながら振り返ってみました

長い記事をお読み下さりありがとうございました

    

次回は

益次郎はじめ龍馬や桂小五郎など幕末の志士が集った宿「松田屋ホテル」のお話です

国を治した”上医” 大村益次郎 (前篇)

幕末に 推しの偉人はおられますでしょうか?

坂本龍馬西郷隆盛土方歳三

あたりがランキングトップの常連になるかと思います

竜馬がゆく」・「翔ぶが如く」・「燃えよ剣」…
かれらの業績やひととなりを 司馬遼太郎の小説で知られるかたは きっと多いでしょう

 

そんな司馬文学の中で さほど目立たない存在ながら すまりんが最高傑作のひとつ✨と思っているのが花神です

主人公の大村益次郎というひとの名は 耳にされたことはあっても 何をした人かよく知らない というかたが多いかもしれません

 

教科書に載るような とびぬけた偉業があるわけでもなく
弁舌巧みに人を惹きつける魅力があふれているわけでもなく
彼はただ寡黙に科学を学び そしてそれ実践した医師であり 技術者でした

 

花神」の文中に 大村益次郎の師匠 緒方洪庵のことばとして出てきますが...

『小品方』という5世紀の中国の医方書に

「上医は国を治し 中医は民を治し 下医は病を治す」

という格言があります(※現在では関係ありませんが...)

 

はじめ村医を志した大村益次郎(1824~1869)は 幕末維新の世の流れの中で まさに国を治す「上医」となりました✨

身分や旧弊に縛られた封建の世から 文明技術の開化する明治の世へ 時代に先駆けて”近代日本”の礎を築き やがてその花が咲くのを見届けることなく まるで役目を終えたように去っていった…

花神」が描きだすひとりの人物の足跡を実際に訪ねて追いかけてみました

 

※記事中の写真は全て現地に行き自身で撮影したものです

 

靖国神社の参道にそびえ立つ大村益次郎

 

眉毛と広いおでこが特徴的な肖像画

 

新幹線の新山口駅から5kmほどの場所にある鋳銭司(すぜんじ)郷土館

※鋳銭司は本来 「ちゅうせんし」と読み 銭貨鋳造を司る 古代日本に置かれた令外官の一つで 古代の造幣局の跡地です

前回の記事でもご紹介しました(^_-)-☆

 

この鋳銭司は 大村益次郎の故郷でもありました

花神」は 1977年のNHK大河ドラマのタイトルにもなりました

 

 

ーーーーーーー

生誕から幼少期山口市鋳銭司・秋穂)

大村益次郎は文政8年(1825年)5月 ここ鋳銭司村の字大村で百姓のかたわら代々村医をしていた村田家の長男として生まれました

大村益次郎は もとは「村田蔵六」という名前でした

「亀」のことを蔵六とも言うそうですが...

 ∵亀は 頭・四足・尾の6つを甲羅に隠す

 

父の「村田孝益」は婿養子で 鋳銭司から南に5kmあまり南にある秋穂(あいお)村の藤村家のひとです

…もともと藤村家を相続しなければならないところを 祖父良庵が頼みこんで村田家にきてもらったため つねにそれが不満で「わしは早晩 藤村家に帰らなければならない」と 落ち着かず(花神より)…

益次郎(蔵六)の出生で村田家の跡取りができ 役目を果たしたということで 早々に鋳銭司から秋穂に戻ってしまったようです^^;

そのためか 大村益次郎生誕地の碑が二か所にありました

 

➊秋穂の藤村家跡

こちらには産湯に使われたという井戸も残っていますが⤵

婿養子を取った奥さんが わざわざ婿側の実家に行って出産するでしょうか?

 


❷鋳銭司の村田家跡

こちらには 益次郎2歳のとき一家は秋穂にある父の実家に移ったと書かれています

 

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修行時代山口県防府市大分県日田市)

青年期になった益次郎は家業の医者を継ぐための勉強をはじめます

17歳のころ 当時三田尻とよばれた防府の医者「梅田幽斎」の私塾 盥流亭に学びました

梅田幽斎は長崎で種痘を学び この地に広めた人だそうで 光妙寺というお寺にお墓が残っています

この近くに 梅田幽斎の旧宅もあったようです

 

…診療や投薬を見よう見まねでまなぶのもいいが いい医者になるには医書を読まねばならず 医書は漢文がわからねば読めない …まず漢学の先生につくことだ(花神より)…

ということで この梅田幽庵のすすめで豊後国日田に行き 「広瀬淡窓(ひろせたんそう)」の私塾咸宜園(かんぎえん)に入りました

広瀬淡窓のもとには 全国68か国のうち66か国から学生が集まったといわれ 咸宜園は日本最大規模の私塾でした✨

日田の公園内にある 広瀬淡窓の石像⤵

今は風光明媚な大分の小京都 日田ですが...

全国から人を集めた学問の一大中心地だったというのは すべて東京一極集中してしまった現代日本からは想像もつかない話ですね!

 

漢学を修め 鋳銭司に戻った益次郎は 次いで「蘭方医」を志すことになります

蘭方医学を学ぶとすれば「緒方洪庵(おがたこうあん)」の開いた大坂の適塾がベストです

 

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緒方洪庵適塾大阪市

益次郎は大坂に出て 「緒方洪庵」の適塾に入門しました

大阪・北浜のビル街の中に 今も適塾は昔の姿を残しています

緒方洪庵の像⤵

後に大阪大学となる適塾は 当時日本最高峰の学究機関のひとつでした✨

福沢諭吉橋本左内高峰譲吉佐野常民大鳥圭介など 門下生にはそうそうたるメンバーが揃っています

ちなみに手塚治虫の曽祖父 手塚良仙もここの出身です(^_-)-☆

手塚治虫も 漫画家であり医師でありました

 

大村益次郎はここ適塾で第4代の塾頭をつとめるまでに頭角をあらわしました

 

ここ適塾では病死した囚人などの人体解剖も行われました

…土間の一隅に井戸があって 井戸の前にちょうど人体が一体おける程度のほそながい石畳が敷かれている… 洪庵はここで解剖をおしえた …水は 井戸のそれをつかう… 

司馬遼太郎が書いた場所は ここに違いありません⤵

※これ以上は立ち入り禁止でした

 

こちらが 適塾内の「ヅーフ部屋」

塾に一冊しかないこの「ヅーフ・ハルマ」(蘭和辞典)は この部屋から持ち出し禁止なので 皆が争うようにこの辞典を引きながら洋書を解読したそうです

 

二階にある塾生大部屋

一人あたり畳1畳が割り当てられ 寝起きも学習もそのスペースでおこなったそうです👀

(富士山の山小屋みたいです...)

成績上位者から順に好きな場所を選べたということですが…

すまきはきっとここが一番と言っていました⤵

でも 南向きの窓なので 夏は暑いかも?

 

大きな窓からは中庭が見下ろせます(^_-)-☆

益次郎や福沢諭吉もきっと毎日この景色を見ながら勉学に励んだのでしょうか

 

塾頭となって以降に外住まいとなり はじめは江戸堀二丁目の倉敷屋作右衛門という商家の離れ座敷に下宿し…

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のちに谷町四丁目に借家を借りて移りました

「寝ころんでいると 軒のひさしの破れから月がみえた それがひどく気に入って…」

漏月庵(ろうげつあん)と名づけたと伝えられています

 

益次郎は適塾在籍中に長崎の奥山静叔のもとへ1年間遊学したとされていますが 定かな話ではないようです

 

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再び山口へ山口市鋳銭司)

適塾の塾頭ともなれば 蘭学の大家といってもよく 諸藩がこぞって海外の知識を得ようとする幕末の世に 高給での仕官が約束されているようなところだったのですが 村田家を継がせたい父の意向で故郷に呼び戻されてしまいます^^;

 

こちらは山口・鋳銭司の生誕地にある銅像

地球儀を横に置いて講義をしている様子です

 

もったいない話ですが 嘉永3年(1850年)25歳になった益次郎は 鋳銭司の旧宅で開業して村医になり 祖父と同じ村田良庵を名乗りました

今でいえば 「有名大学の医学部教授のポストをなげうって 実家の小さな医院を継ぐ」みたいなものでしょうか...

翌年 隣村の農家 高樹半兵衛の娘の「琴子」と結婚しています

残念ながら (不愛想だったからか人気がなく💧)医業はふるわなかったようです^^;

 

そんななか 嘉永6年(1853年)7月 ペリーの黒船が来航しました

 

ペリーの乗艦 サスケハナ号の模型 (静岡県下田駅前)

そのことが関係して...

なんと同年9月  益次郎は要請を受けて伊予の宇和島藩に出仕することになったのです!

愛媛県宇和島市はすまりんの故郷ですよ (^_-)-☆

 

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宇和島愛媛県宇和島市

 (photo by すまりん父)

らくらくホンで撮ったわりにはなかなかいい写真(*^^*) 

 

すまりんの大好きな宇和島城は現存12天守の一つです✨

4月17日の地震にも耐えてくれたようでほっとしております


幕末の四賢公のひとりである宇和島藩主 「伊達宗城 (だてむねなり) 公」は 開明的な君主でした

蛮社の獄で追われた蘭学者 高野長英を庇護し 洋書の翻訳や台場の建設などの指揮をとらせたこともあり 当時の宇和島蘭学の一大拠点となっていました!

 

宇和島市 伊達博物館前の 伊達宗城像⤵


宇和島に残る 高野長英の潜伏地跡⤵

 

ここでまた一人 益次郎の運命を左右する重要人物が出てきます

宇和島藩内の 今は西予市となっている卯之町という所に「二宮敬作」という蘭医がいました

二宮敬作は もう少し北の 八幡浜市保内町磯崎という小さな漁村の生まれの人でした

磯崎の二宮敬作記念公園に銅像が立てられています

敬作が見下ろす磯崎は ほんとうに小さな漁村です

同地にある出生地跡⤵

 

敬作は幼いころから勉学に励み 長崎へ留学して「シーボルト鳴滝塾」に入門しました

 

東京築地にあるシーボルト

 

長崎にあった鳴滝塾

 

シーボルトが二宮敬作に贈ったと言われる拡大鏡

やがてシーボルトは国外追放となるのですが 当時はまだ赤ん坊だった忘れ形見の娘「イネ」の養育を 敬作は託されることになります

 

敬作はシーボルト事件に連座して 江戸の小伝馬町牢屋敷に入牢していました

東京メトロ小伝馬町駅4番出口の正面に 牢屋敷の碑があります⤴

吉田松陰先生が処刑された場所でもあります💧

小伝馬町に残る牢屋敷の石垣と井戸の跡

 

しかし...

のちに江戸・長崎所払い(立ち入り禁止)となって郷里に戻ることができました

 

愛媛県西予市卯之町にある 二宮敬作邸跡⤵

その後 彼は 伊達宗城に見いだされ 卯之町にて開業し 長崎からイネ(シーボルトの娘)を預かって 彼女に医学を教えました

 

イネは後に産科を学ぶため 岡山の「石井宗謙」のもとへも行っています

益次郎は のちにイネと出会うことになり 彼女と師弟関係を結びます

 

※小説では 益次郎と 石井宗謙のもとで勉強していたイネとの運命的な出会い✨が描かれたりしていますが そのへんは司馬遼太郎文学の真骨頂というところでしょう...

 

二宮敬作は 逃亡中の高野長英をかくまったこともありました

こちらが敬作邸の裏庭に残る潜伏小屋⤵


伊達宗城は二宮敬作を宇和島藩蘭学顧問のような立場に置いて重用しており ペリーショックのなかで藩の近代化に貢献できる人物を彼に諮問したところ...

益次郎に白羽の矢が立ったのです!

そういうわけで 益次郎が宇和島にやってくることになったのでした(^_-)-☆

 

益次郎は山口では百姓の身分でしたが 宇和島藩に上士格の待遇で雇われ 兵書の翻訳・蘭学の教授・砲台築造などにあたりました

 

宇和島市神田川(じんでんがわら)というところに 益次郎の旧宅跡が残っています

 

かつての面影をかすかに残す神田川(じんでんがわ)

 

益次郎が設計した樺崎砲台 (宇和島市


益次郎はさらに 宗城の依頼により「蒸気船の建造」を行うことになります👀

宇和島藩はあらゆる修繕物を器用に引き受けていたちょうちん屋の「嘉蔵」という人物を 裏借家人という「落語で言えば熊公ハチ公の身分」から大抜擢し 蒸気機関の製造を託しました

このことからも 当時の宇和島藩主がとても開明的だったことが分かりますね

 

ちなみに 小説の中には このような文章もありました

余談でした(笑)

小説の中には「余談ながら... 余談の余談...」という言葉がたくさんでくるのですが(笑)すまりんブログも 余談(ちなみに)が多いめですね(笑)

 

さらに余談ですが...

いまだに このようなことを聞かれることがあって すまりんは悲しいです💧

宇和島は 「島」ではありませんので!あしからず...

 

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長崎留学長崎市

益次郎とちょうちん屋の嘉蔵は 宇和島藩の命で長崎に派遣され 停泊しているオランダ蒸気船の構造を密かに学んだといわれています

 

こちらは長崎海軍伝習所跡 

↑左端遠くに見える瓦屋根の連なりは再現された出島です

きっとこのあたりから いろいろと情報を得たのでしょう...

長崎で益次郎は 岡山の石井宗謙のもとを去って産科を開業していたイネに出会います

彼女は恩師である宇和島の二宮敬作のもとへ再び戻り 同時に益次郎の弟子となって オランダ語を学ぶことになりました

「オランダおイネ」とよばれた彼女は 美貌で背が高かったそうです

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また 彼女の一人娘の「タカ」も美しい人で 松本零士銀河鉄道999メーテル宇宙戦艦ヤマトスターシャのモデルにしたといわれています

このことは司馬遼太郎の「花神」にも書かれていましたし すまりんの恩師が贈って下さった歴史本 (令和4年刊行)にも同様の記述がありました

 

卯之町の宇和先哲記念館には 二宮敬作とイネの資料が残されています

 

ここでは「楠本イネ」と紹介されています

シーボルトが日本で名を記すときに「失以勃児杜」といった当て字を使用していたことから 最初は「失」の字を拝借し「失本(しもと)イネ」と名乗っていたとされますが...

宗城が「本を失う」のは良くないとして「楠本」の姓を与えたといわれています

 

おイネさんになろう!コーナー⤵

 

すまりんは 給食のおばちゃんみたい(笑)


イネは 宇和島で益次郎からオランダ語を学び また宗城の依頼を受けて 伊達家のお雇い医師ともなったようです

神田川原の益次郎の旧宅近くに イネの屋敷跡がありました

司馬遼太郎は益次郎とイネのロマンス💗をえがいていますが 果たして真実はどうだったのでしょうか...



さて 長崎から帰った益次郎と嘉蔵は 小さいながらもついに国産蒸気船を製造し 実際に宇和島湾に浮かべて動かすことに成功しました✨

※わずかな差で 薩摩藩の雲行丸が日本初となりましたが^^; 外国人の手を借りずに建造したものとしては宇和島のものが初といわれます(^_-)-☆

 

宇和島城から見た 宇和島湾の入り江

ここで蒸気船の試運転が行われました

眼下に建物が見えるところのほとんどは かつては海だったそうです

ちなみに向かい側の山↑は「九島」という島で プロ野球オリックス・中日で主力投手として活躍した平井正史選手の出身地です✨

 

伊達博物館の玄関ホールに 想像復元された蒸気船の模型が展示してあります

嘉蔵が作った「蒸気機関」も再現されていました⤵

この快挙について司馬遼太郎は小説の中で

「いってみれば こんにちの宇和島市が 市の独力で人工衛星をあげるに匹敵する」

と述べています

 

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江戸へ(東京都千代田区中央区・港区・神奈川県横浜市


安政3年(1856年)藩主宗城の参勤に従い益次郎は江戸にのぼりました

益次郎の評判は高く 江戸では麹町に私塾鳩居堂(きゅうきょどう)を開塾して蘭学兵学・医学を教えました

 

鳩居堂といえば銀座のこちらの茶色のビルが有名ですが 関係無いようです

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ちなみに「鳩居堂前」は 日本一路線価が高い場所でもありますね💦

ハト!!


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銀座のど真ん中でこの写真↗を撮るのは超恥ずかしかったです(笑)

鳩居堂ということばは「詩経」の一節『維鵲有巣 維鳩居之』からきていて 鳩は巣作りが下手でカササギの巣に平気で住んでいる... つまり"借家住まい"という意味だそうです

 

益次郎のつくった鳩居堂は 市ヶ谷の近くにありました

東郷公園内の「三番町の町名由来板」に「幕末の兵学村田蔵六(のちの大村益次郎)もこの地に蘭学鳩居堂を開きました」という解説が記載されているようですが 工事中で入れませんでした^^;

 

江戸での評判が高まると 彼は宇和島藩御雇の身分のまま幕府の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授方手伝となり 洋書の翻訳や講義をおこないました

九段下にある蕃書調所跡⤵

 

翌年には勝海舟らと並んで 築地にあった幕府の講武所教授となっています

築地の講武所はのちに神田に移転して 軍艦操練所となりました

築地の勝鬨橋(かちどきばし)の手前に跡地が残ります

 

移転した神田には 日大法学部前に 講武所跡の説明板がありました

 

出身地の長州藩は この優秀な人材を見逃していたことが今さら残念でたまらず^^; ついに宇和島藩に頼み込んで益次郎を長州藩に移籍させました

 

長州藩で上士に取り立てられたため 村田蔵六から大村益次郎に改名となりました

 

長州藩士となった益次郎は 塾の場所を長州藩の麻布藩邸に変えています

檜がたくさんあったので檜屋敷と呼ばれていたという藩邸は 六本木にある東京ミッドタウン檜町公園にありました

開発に伴う発掘調査をもとに 屋敷のあった部分をビルとし 庭園があったところに公園を設けて 当時と同じ場所に池がつくられているそうです

 

バリケンという鳥に ちいさな須磨が興味津々です(笑)

ちいさな須磨は2022年にお空に行った愛猫の分身です

 

また...

「これからはオランダ語ではなく英語の時代」ということで 益次郎は 横浜にいたヘボンのもとで英語を学びました(※ "ヘボン式"  のヘボンです)

小説には麻布の住まいから 横浜市にある成仏寺まで毎日徒歩で通ったと書かれてありますが 本当でしょうか!?

今でこそ 京浜東北線に揺られて小一時間ですが 正気の沙汰ではありません💦

ちなみに「ヘボン」はHepburn と綴るので 実はオードリー・ヘプバーンと同じ苗字なのです(^_-)-☆

確かに ヘプバーンとカタカナ語で言うより へボーンと言った方が通じる気がします

ヘボンは仮住まいだった東神奈川の成仏寺から のちに元町・中華街駅前の横浜居留地に移って邸宅を構えました

明治学院大学創始者でもありますよね

 

迫りくる幕末の激動の時代...

尊王攘夷の急先鋒となった長州藩は 英仏蘭米四か国との下関戦争 さらには朝敵となって長州征伐を受けることとなります💧

ひたすら洋学を究め 江戸で名を成していた益次郎も 長州藩士として否応なく運命の渦に巻き込まれていくことになっていきます


 ・・・後篇に続く

古代日本の超重要施設✨長登銅山と鋳銭司のお話

山口県秋吉台を訪れているすまりんたち...

www.aranciarossa.work

 

秋吉台の美東展望所へ行く道の途中に長登(ながのぼり)銅山跡があります

ここは古代史ファンの人にとっては知る人ぞ知る場所なのです(^_-)-☆

 

広い駐車場の横に 長登銅山文化交流館があります

入館料は大人300円です

 

こぶっちゃんと一緒に記念撮影📷

 

入るとすぐにシアタールームで銅山についてのビデオを上映して下さいました

誰もいなかったので貸切です(^_-)-☆

※撮影もOKでした

 

752年に完成した 奈良 東大寺の大仏

平氏による南都焼討と戦国時代の戦乱で 大仏は2度焼け落ちていますので 創建当時の大仏はほとんどが失われてしまっています

3年にわたり 8段に分けて鋳造されたとされる奈良時代の大仏には約500トンの銅が使用されたと推定されていますが その銅がどこからもたらされたのか近年に至るまでわかっていませんでした

昭和63年の東大寺の発掘調査により 焼け落ちた最初の大仏の銅の組成から 使われたのはここ長登銅山の銅であることがわかったのです

これを受けて平成元年より10年間におよぶ長登銅山の調査が行われ 精錬跡や木簡など 当時の多数の遺物が発見されました

 

石灰岩盤の中にマグマが湧き上がってくると 石灰岩とマグマの接触面に熱水の作用で鉱物が凝集して沈殿することがあります

こうしてできた鉱脈を「スカルン鉱床」といいますが 長登銅山は 秋吉台石灰岩にマグマが接触した典型的なスカルン鉱床だそうです

 

秩父武甲山石灰岩の採掘で有名ですが そのすぐ近所で日本最初の銅鉱山が発見されました

和銅鉱山もスカルン鉱床です

www.aranciarossa.work

 

熱水の温度の違いで 銅以外にも 鉛・鉄・銀などさまざまな鉱物を含むことがあります

 

奈良の大仏の鋳造に使われた 長登の銅
長登(ながのぼり)の名前は「奈良上り」がなまったものだそうです

長登銅山の銅はヒ素の含有量が高いのが特徴で 大仏鋳造の職人たちに多数の中毒者が出たと伝えられています

こうした奈良平城京の汚染公害が のちの平安京遷都につながったとする説もあります

 

発掘調査の結果 坑道や精錬遺構が発見されました

当時の銅の精錬方法⤵

 

炉壁も発見されています

 

火焔で銅鉱石を溶融させているところ

 

浮いてきた不純物を取り出したものが「からみ」です

「金屎・金糞(かなくそ)」という言葉のほうが有名かも...?

 

体験コーナーで 持ち上げてみましたが 不純物でも すごく重かったです!

 

長登の銅は 大仏鋳造に使われたほか 和同開珎をはじめとした銅銭の製造にも用いられたそうです

初めは下関市長府にあった長門鋳銭司で貨幣の製造が行われましたが 825年に山口市南部に周防鋳銭司が置かれると 以後日本の貨幣はすべて周防鋳銭司で鋳造されました

 

 

銅山の鉱物は 日本画などに使われる顔料としても重宝されました


鉱山から出る孔雀石という石から緑青が作られます

 長登産の「滝ノ下緑青」は有名なブランドで 大変な高値で取引されたのだそうです

 

翌日 すまりんたちは周防の鋳銭司に行ってみました

 

本来 鋳銭司は「ちゅうせんし」と読んで 銭貨鋳造を司る 古代日本に置かれた令外官の一つでした

※今でも新幹線の新山口駅から東に5kmほどのところに 山口市鋳銭司という地名が残っていますが 読み方は「すぜんじ」です

 

周防鋳銭司跡は遺跡発掘後埋め戻されて 現在は何もない原っぱのようなので 近くにある「鋳銭司郷土館」を訪ねました

長沢池という江戸時代からあるため池を見晴らせる場所に郷土館はあります

Google Mapを見ると 池のほとりに「和同開珎 砂絵」というピンが立っていましたが…

ほとんど痕跡になっているようです^^;

 

施設の前に 駐車場がありました

鋳銭司郷土館(すぜんじきょうどかん)

 開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
 休館日:  毎週月曜(祝日の場合はその翌日)・年末年始

入館料は110円 !

 

向かって左側の展示室に 鋳銭司に関する展示がありました

 

周防鋳銭司で発掘された鋳銭工房が再現されています

実際には 長登銅山の銅を用いて和同開珎が作られたのは 下関にあった「長門鋳銭司」です

ここ「周防鋳銭司」では皇朝十二銭とよばれた国産銅銭のなかでも平安時代以降のものが作られました

最後の乾元大宝になると鉛の含有率が75%以上ともいわれるほど品位が低下し 936年をもって日本の公鋳貨幣発行は絶え 700年後の江戸幕府による寛永通宝発行まで 渡来銭や私鋳銭が流通することになりました

銅山も鋳銭司も歴史の彼方へと忘れ去られていったのです...

 

そんな鋳銭司の村は幕末に ひとりの英傑を生みました✨

彼の名は 大村益次郎

 

靖国神社 (千代田区)の境内に銅像がありますね

 

鋳銭司郷土館の向かって右側の展示室には 大村益次郎関連の展示があり 彼の45年の生涯をまとめたビデオを見せていただきました

これで入館料110円は安すぎますよね(*^^*)

司馬遼太郎の小説と言えば 「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」が有名ですが...

大村益次郎は すまりんの故郷 宇和島に縁があることもあり 彼を主人公に描かれた物語「花神(かしん)」は特にお気に入りです(^_-)-☆

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1977年のNHK大河ドラマのタイトルにもなりましたが 覚えておられるかた いらっしゃるでしょうか?

すまりんは...

残念ながら記憶にありません ^^;

 

今回 大村益次郎についてさらに興味がわいたので 25年前に購入した小説を読み返してみました

 

次回は めずらしく「伝記」です!

彼の足跡を追いかけながら 大村益次郎のお話をさせていただきます

 

※先日の四国南西部の地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます

幸い実家は大丈夫でした

ご心配をおかけしました

宇和島城天守も耐えてくれまして ほっとしております

メッセージを下さった皆さまにもお礼申し上げますm(__)m

 

名水百選「別府弁天池」と秋吉台のパノラマ

山口県に美しい池があると聞き すまりんたちは秋吉台の近くを訪れました

目的の池は山口県の中央部 美祢(みね)市の田園地帯にあります

 

駐車場が整備され 観光バスもとまっていました

 

名水百選✨にも選ばれている「別府弁天池」

 

水汲み用の蛇口が設けられていて ポリタンクに水を汲む人がひっきりなしに訪れていました


ちいさな直売所にはB Benten Blue ”と書かれたのぼりが...

 

直売所の横の路地を進みます🐾🐾

池から流れてくる疏水も涼やかです(*^^*)

石碑の向こうに エメラルド色がのぞいていますね⤵

これが別府弁天池です✨

写真ではちょっとお伝えしきれないのですが...

目の覚めるようなエメラルドブルー🩵

 

背景が素晴らしいので すまきも爽やかに撮れました(^_-)-☆

すまりんはちいさな須磨と一緒に(^_-)-☆

ちいさな須磨は2022年にお空に行った愛猫の分身です

 

池の周りには常に人がいましたが 何とか静かな写真も撮れました

浅く見えますが 水深は4mもあるそうです!

カルスト地形に見られるドリーネ(すりばち穴)とよばれる構造で 池底から毎秒186リットルの水が湧きだしています

水温は およそ14℃に保たれているそうです

適度にカルシウムを含んだこの水は飲用に適し「1杯飲めば1年 2杯飲めば2年長生き」と言われているそうです

 

ちょっとの日の当たり加減で表情が変わる気がして何枚も写真を撮りましたが あとで見たらだいたい同じでした(笑)

 

池のほとりに 弁財天を祭る厳島神社があります

当地を開墾していた長者が 水が足りなくて困っていたところ 白髪の翁に導かれてこの泉を得たのだそうです

 

石の鳥居から池の方向を撮影した写真も 神秘的でした✨

 

一方 池から流れ出す川の底は...

青い池とは対照的に赤い石で敷き詰められたようになっています

これはタンスイベニマダラという藻類が石の表面についているために赤くなっているのだそうです

綺麗な水でしか育たない藻だそうで 環境省レッドリストで準絶滅危惧種に指定されている貴重な物なのだとか...

こちらも珍しい光景でした✨

 

水は生活用水として使用され "にじます"の養殖も行われています

 

池のほとりに ます料理の店がありました

※今回すまりんたちは利用していません

 

秋吉台ジオパークの案内看板に「白水の池」が紹介されていました

この近くだし「池」繋がりで 行ってみることにしました(^_-)-☆

 

 

収穫間近ののどかな農道を進みます🚗

 

コスモスの花がいっぱい咲いていました(*^^*)

 

こちらが白水の池

道端の広くなったところに数台駐車できるスペースがありましたが 穴場のようで誰もいませんでした

 

池の中央にはお社がありました⤵

白水の池は農業用のため池ですが 奥の木が茂っている辺りの池の底から水が湧き出しているのだそうです

手前の用水路へどんどん水が放出されていますが 池の水が減っている気配はなさそうでした

 

青い空と緑が映えますね✨

 

お社の島へ橋がかかっています

でも パイプを連ねた橋は心もとなくて 渡るのは危険そうでした^^;

 

ちいさな須磨なら渡れるかな?

秋吉台石灰岩層を通り抜けてきた水は少し白濁していて そのために「白水の池」という名がついたそうです

 

池の端の木陰に座って ぼ~っと眺めていたい景色でした

 

ここから5分ほど車を走らせた場所に 有名「秋吉台秋芳洞」があります

秋芳洞には20年以上前に(笑)行ったことがあります

※「写ルンです」で撮影したと思われる写真で アルバムにはこの2枚+すまきと同じ場所で撮影したすまりんの写真しかありませんでした^^;

実際の鍾乳洞は 広大で素晴らしい景色です✨

 

今回は時間の都合で鍾乳洞はパスして 秋吉台カルスト台地を見に行きました🚗

秋芳洞の入り口から車で3分ほど坂道をのぼると秋吉台展望台があります

砂利の駐車場にとめましたが 調べてみると正面にきれいな駐車場もあったようです

 

秋吉台を縦断するカルストロードの下をくぐりぬけます🐾🐾

 

立派な展望台がありました!

まさにコスモスが花盛り✨

 

青い空に白い雲...

なだらかな緑の丘には"ピナクル”とよばれる羊の群れのような石灰岩の白い石が点在していました

 

Mine秋吉台ジオパークセンター  Karstar(カルスター)

秋吉台を眺めながら寛げる無料休憩スペースで カフェも併設されています

おいしそうなシャーベットも販売されていました

サラダほうれんそう・くり・りんご・秋芳の梨・酒粕(日本酒:天美) etc...

 

景色の見えるカウンターで 秋芳の梨のシャーベットをいただきました



ちいさな須磨がキャリーから出てきました!

須磨も 景色より ジェラートです(笑)

ジェラートはさっぱりとした甘さでとっても美味しかったです(*^^*)

でも ここからの景色だと建物や道路が写り込みやすいので もうちょっと秋吉台の中心部の展望台「美東展望所」に行ってみることにしました🚗

 

地図を一見すると 秋吉台展望台からカルストロードを北に進めば行けるように見えますが 赤丸で囲んだ部分は四つ辻ではなくトンネルの立体交差になっています

カルストロードから行く場合は 少し先の長者ヶ森駐車場から徒歩で...

直接車で行くなら ぐるっと大回りして東側の国道490号線から細い道を進む必要があります

 

すまりんたちは「長登銅山」に寄りたかったので大回りのコースで…

※次回 長登銅山のお話をさせていただきます(^_-)-☆

すすきの繁る丘の間を縫うように進みます🚗

坂をあがると ちょっと寂れた展望所に到着しました

3台分くらいの駐車スペースがありました

※この先は行き止まりです

 

展望台に上がってみました

ずっと向こうまで 草原の丘が続いています

 

丘の間を カルストロードが横切っているのが見えますね

車のCMに良さそうだなと思ったら...

実は 日産・ホンダ・ダイハツとCMのロケに何度も使われていました

それで こういうイメージが浮かんだのでしょうね^^;

 

誰もいない草原...

雲がゆっくりと流れていきます...

上の写真の右のほうに ぽつんとたたずむ森がありますね

 

「長者ヶ森」といいます

昔 贅沢におぼれて物を粗末にした長者が 神様に見放されて落ちぶれたという”長者が森伝説”が残っています

平家の落人が住んでいたという伝説もある不思議な森だそうです

神聖な場所なので そのまま残されているようです

パワースポットと言われ 森の中を抜けることもできるそうですが すまりんたちは遠くから眺めるだけにしておきました(^_-)-☆

 

よく見ると 林立するピナクルで山肌がまだら模様になっています

手前のピナクルとちいさな須磨の耳を同化させてみました(^_-)-☆

ちょっと無理がありますかね(笑)

 

次回は「長登銅山」のお話です