すまきとすまりんは 早朝のJR羽村駅にやって来ました
多摩の山々が迫る東京都羽村市
水不足に苦しむ江戸の町に貴重な飲料水をもたらしました
工事の総奉行には知恵伊豆で知られる松平伊豆守信綱が就きました
実際の施工は玉川庄右衛門・清右衛門 兄弟が行いました
途中 工事は困難を極め 幕府の資金だけでは足りず 兄弟は私財を投げうって工事を進めたそうです👀
驚異的な技術と熱意によって着工からわずか『8カ月』で上水は完成し 以後兄弟は玉川姓を名乗ることを許されました
羽村取水堰で多摩川から取水された水は 武蔵野台地を貫いて江戸の四谷大木戸までの42.74kmを流れ 江戸市中に分配されました
※ 当初は全て露天掘りの水路でしたが 現在は浅間橋より先 (上の地図のオレンジ色の部分)は ほぼ暗渠になっています
今日は羽村から浅間橋まで玉川上水を『徒歩で』たどってみます(^_-)-☆
まだ人通りも少ない道
多摩川沿いに出てきました! 取水堰が見えていますね
玉川上水のはじまりです
水門の近くで記念撮影📸
すぐ近くに玉川兄弟の像がありました
当時の測量器具である間縄を持って立っているのが兄の庄右衛門さん
間竿を持って片膝をついているのが弟の清右衛門さんだそうです
お二人の視線の先には 取水堰がありました
多摩川の水を第一水門へと導く投渡堰(なげわたしぜき)
堰(せき)の部分が丸太の木組みなのがわかるでしょうか
大雨などにより多摩川の水位が一定の水位を超えると木組みごと川に流して堰を開く江戸期からのしくみが現在でも使われているそうです
それで投渡堰と呼ばれるのですね(^_-)-☆
右側の小吐水門(こはきすいもん)から余剰な水や土砂を多摩川に戻しています
下に見えるのは第二水門です⤵
まもなく7時…
朝焼けの中 玉川上水ウォーク スタートです!
まずは拝島駅まで およそ6㎞の道のりです🐾🐾
少し歩くと「第三水門」がありました
ここから取水された水は埋設鉄管によって山口貯水池(狭山湖)・村山貯水池(多摩湖)へ送水され 最終的には東村山浄水場に送られます
現在でも東京の上水源の1/3を占めるそうです☝
上を見ると「たま川」の標識が見えました
正面に「たま?」
台地の上をゆく玉川上水
澄んだ水の流れ…
緩やかに流れ下る玉川上水の出発点と約43km先のゴールの標高差は92m
『10mの距離の高低差がわずか2cm』という緻密な工事が行われたのですね
夜に提灯を持った人が並んで高さや方向を計ったという話が伝えられています
富士山が見えました!
上水に沿って「散策コース」が整備されています
宮本橋で上水を越えて 陸橋を渡ると…
清厳院橋で再び上水を渡ります
富士山の左下方向に多摩川にかかる橋が見えています
多摩川とはかなり高低差がついてきました
青梅橋(別名:ほたる橋)
水喰土(みずくらいど)公園
ここに玉川上水開削工事跡の碑がありました
玉川上水工事は2度失敗して計画流路の変更を余儀なくされました
試験通水すると 水が土にしみ込んで消えてしまう場所があったのです
浸透性の高い関東ローム層の土は「水喰土」とよばれました
この水喰土堀跡は 失敗した工事の名残りだそうです…
公園の中を横切って 拝島駅へ向かおうとしましたがちょっと道に迷いました
公園の入り口付近に戻ると表示がありました⤵
秘密の抜け道のような細い道を行きます🐾🐾
JR線の下をくぐり…
広場に出てきました
このベンチは災害時用の「かまどベンチ」です
8:15ごろ 拝島駅前を通過🐾🐾
昭島市に入りました
上水沿いの道を ひたすらまっすぐ歩きます
公園には梅がちらほら咲いていました
昭島市グッジョブ👍
立川飛行場に近いこの付近は 戦前 航空産業の集積地でした
日本の航空機製造技術は零戦に代表されるように世界トップレベルでしたが 輸送機の開発は立ち遅れていました
これを克服すべく 昭和飛行機工業株式会社が設立され この地に滑走路を有する工場が建設されました
オーバーラン対策のためか滑走路の北端にあったこの玉川上水にも「コンクリート覆蓋」が設けられました ↓
ここから300mあまり暗渠になり 覆蓋部分は今は公園として整備されています
日差しがきつくなってきたので すまりんは日傘をさしました(^_-)-☆
ふたたび水路が顔を出しました
暗渠をすぎると立川市に入ります
ところどころに玉川上水を紹介する看板が設置されていました
玉川上水から分水された砂川用水の説明板がありました
こちらが砂川用水(砂川分水)⤵
「うど」の農園
東京は「うど」の名産地です✨
玉川上水を左に見ながら進んで行くと…
面白いスポットに出てきました!
...
すまきの視線の先にあるのが玉川上水
手前の川(残堀川)と玉川上水の立体交差です!
地図で見るとこんなふうです ↓
逆サイフォン(伏せ越し)という構造だそう…
水質を守るため江戸時代から水浴びやごみの投棄が厳重に取り締まられてきた玉川上水
今も水路の両サイドには柵があり 東京都水道局の管理下に置かれています
明治初期 物資の流通に使用されたことがあったようです
でも 飲み水ですから やっぱり舟はすぐ禁止になりました
けれど 明治以降 玉川上水の水質は悪化の一途をたどりました
また 太宰治の入水自殺でも有名なように 自殺の名所となって水死体が流れるなど そのまま飲める水ではなくなっていたのです(>_<)
このため政府は明治31年(1898年)新宿に「淀橋浄水場」を建設し 東京に近代水道が誕生しました✨
淀橋浄水場址(※別日に撮影)
今はビルが建ち並びます
早咲きの桜でしょうか…
土方歳三ファンにはおなじみ⁉ 多摩都市モノレールが見えてきました
まだ熱烈ファンだったころ すまりんはこれに乗って歳三さまのお墓参りに行きました
10:00 玉川上水駅通過🐾🐾
すぐに見えてくるのが「小平監視所」
たくさんの落ち葉がすくい上げられています↑
ここからも取水され 東村山浄水場に導水されています
この道を下ると もう小平市です
戦後 焼け野原となった東京復興の一環として 新宿副都心計画が策定されました
西新宿にあった淀橋浄水場は東村山に移転され 空いた敷地には先程の写真のように高層ビル群が建設されました
1965年 淀橋浄水場が廃止されると小平監視所より下流への放水が停止され 玉川上水は水を失い ありとあらゆるゴミが投げ込まれる荒れ果てた状態となってしまいました
このため もとの景観を取り戻そうと市民運動が展開され 1986年 高度二次処理を施して再生した下水を送水してかつての水流を復活させる「清流復活事業」が開始されることになりました
羽村から流れてきた多摩川の水は小平監視所で途絶えてしまいますが 下流に下水処理水を放流させることで玉川上水に水が戻りました!
水が置換された玉川上水は ここで渓流のようにきれいになっています✨
玉川上水の水辺に下りられるようになっていました⤵
土の土手が続く 水辺の生き物の楽園です(*^^*)
水路沿いに土の歩道が続きます
土の道は足に優しいですが 後で見たら靴とズボンが土埃まみれでした^^;
ごみ焼却場に隣接して無料の足湯施設があり何人か使用されていました
小平監視所のある場所は かつて「新堀用水」と「野火止用水」の分水点でした
「新堀用水」には旧来通り羽村から流れてきた多摩川の水がそのまま流されています
「野火止用水」は今は玉川上水と切り離され 清流復活事業による下水処理水が放流されています
新堀用水は一部が暗渠になっていて胎内堀とよばれています
暗渠には掘削時の竪穴がいくつも連続して掘られています
中東の地下用水路であるカナートに似ていますね(^_-)-☆
穴の底を水が流れています…
新堀用水のトンネルの出口
しばらく 玉川上水と新堀用水に挟まれた道を進んでいきます
きつねっぱら公園
穴にもきつねさん🦊
梅の花が満開…
そろそろきつくなってきました^^;
次の目標は小金井橋まで およそ5kmです🐾🐾
踏切を渡って 小平市立中央公園へ…
玉川上水立坑というのは 地下を通るJR武蔵野線のトンネルの立坑のようです
人のいないタイミングの写真ですが 玉川上水沿いの道には ジョギングや散歩をされている方がたくさんおられました
西武多摩線の踏切を越えます
延々と続く単調な道に 疲労がたまります^^;
ここはもう小金井市
小金井橋を中心に東西6kmの区間の桜並木は国の名勝に指定されています
名勝 小金井桜🌸の看板がありました
8代将軍吉宗の時 奈良県の吉野山と茨城県の桜川から取り寄せたヤマザクラが玉川上水の両岸に植樹されたそうです
玉川上水の通水が途絶えた1965年以降 雑木が繁殖し桜並木は荒廃してしまったそうで…
上水の復活とともに並木の整備が行われましたが 樹木の老齢化や交通量の増大により 樹勢が衰え 現在 保存活動が行われているそうです!
この時は残念ながら まだ開花前…
※花の盛りにほぼ同じ場所で撮影した写真↓
こちらは橋のたもとの桜↓
桜… 頑張ってほしいですね🌸
次の目標 三鷹駅まであと4km…
正午を過ぎましたが 空腹をこらえて頑張ります!
玉川上水の碑
分水口の管理や塵芥の除去など 江戸時代に水番人がしていた仕事を受け継ぐ形で 明治以降に8か所の「水衛所」が設けられました
こちらが境水衛所跡で ここから千川上水が分水されていました
上水通水の停止とともに 小平監視所より下流の水衛所は閉鎖されましたが 芥留めの鉄柵が今も残されています
ここはもう武蔵野市
境浄水場です
玉川上水の隣にある浄水場ですが 山口貯水池(狭山湖)・村山貯水池(多摩湖)から引水しています
両貯水池の水は 羽村取水堰の第三水門から取水した多摩川の水でもあるので 間接的には玉川上水を使っていることになりますね(^_-)-☆
左手には境浄水場の広大な敷地が続きます
大橋から北に1kmの場所に「隼」戦闘機で有名な中島飛行機武蔵製作所の工場がありました
そこに向かう線路の橋台の跡が残っています
早咲きの桜が咲いていました🌸
三鷹駅前は おしゃれな水辺の遊歩道になっています
木立の中を流れる上水は そのまま三鷹駅の下をくぐって行きます
三鷹駅(北口)
⇩ ⇩ ⇩
すまりんたちは階段を上って南口に出ました
時刻は13:10
ゴールはすぐそこまで近づいていましたが 歩き始めて6時間以上…
ヘロヘロでした^^;
筋力アップのため お昼はタンパク質を重点的に補強することに!
ケンタッキー三鷹駅前店にてフライドチキン✨の昼食
30分休憩後 ウォーキング再開
一度座ると 立った時に膝が震えていました(笑)
最終目的地までは あと5kmほどです!
再び上水沿いの道を歩きます🐾🐾
このあたりに三鷹の森ジブリ美術館があります
たくさん橋を見てきましたが あと10個ほど見たらゴール(左上)です!
ここから杉並区…
玉川上水緑道に出ました!
もう ホームストレート✨
すぐそこに今回のゴール 浅間橋(せんげんばし)があります
そして…
右側から中央道の高架が合流してきて あっけなくゴール🚩
玉川上水は暗渠となり中央道から首都高4号新宿線の下を流れていきます👋
最後に玉川上水を写真におさめるすまき
柵で見づらかったので せいいっぱい背伸びしての1枚⤵
ゴミが溜まって汚いですね^^;
浅間橋で二人で記念撮影📸
羽村駅を出発して約8時間30分
万歩計によれば この時点で54033歩 35.12㎞の歩行だそうです👀
※朝の駅の移動なども含みます
「玉川上水を歩く」のお話は以上ですが…
その後の玉川上水の行方はどうなるのでしょうか…
浅間橋より先 暗渠となった玉川上水は 京王線の代田橋駅と笹塚駅のあたりでちょこっと顔を出します!
こちらは笹塚駅南口からすぐの写真です(※別日に撮影)
玉川上水は上の写真の右 (地下)を南に向かって流れています↑
正面に見える橋の向こうから玉川上水が顔を出します
駅の方(北側)を見るとこうなっています⤵
川に沿って歩いて行くと…
2分ほどで上水の柵が見えてきました
玉川上水は ここから再び暗渠となります
その後ゴールの「四谷大木戸」まで地上に現れることはありません
四谷大木戸は 新宿御苑 大木戸門のすぐ近くにあります
北側の新宿御苑散策路に流路の名残りがありました
余水の一部は 信濃高遠藩内藤家の下屋敷の庭園の池として利用されていましたが 新宿御苑内の玉藻池がその池にあたります
※現在の池の水は玉川上水の水ではありません
そしてこちらが玉川上水の終点🚩🚩
四谷四丁目の交差点に四谷大木戸跡の碑と水道碑記が建っています
四谷大木戸から先…
上水は埋設された石樋・木樋を通して江戸市中へと導かれました
※江戸水道の基礎的研究 その1 神吉和夫 他 日本土木史研究発表会論文集 1988 より
紀尾井町の清水谷公園には麹町で発見されたという上水の石桝が残されています
樋の一部は四谷門から外堀を渡り 半蔵濠付近に流れ込んで 江戸城の濠の浄化にも役立っていたのだそうです
桜と菜の花が咲き乱れる半蔵濠
正面に国会議事堂の屋根がちょこっと見えていますね🔍
長い記事をお読み下さりありがとうございました
次回も てくてくシリーズ🐾🐾
信長?と共に清洲城から桶狭間古戦場まで歩いたお話です(^_-)-☆