すまりんの てくてく ふたり旅

部屋付き温泉のある素敵な宿と美食を求め 夫のすまきと全国飛び回ります!

平城京の北の果て...佐紀盾列古墳群を歩く (後編)

奈良の平城京の北の果てをてくてく🐾🐾

すまりんたちは 古墳を巡りながら歴史散策をしています

 

本日 「後編」です(^_-)-☆

 

平城宮跡歴史公園の北辺を西へ歩いていくと 見えてきたのは復原された大極殿

他の建物の復原事業も行われているようです

 

平城宮跡の航空写真(photo byすまき)

 

佐紀神社を過ぎて…

池のほとりをめぐり…

 

旧い街並みを抜けて行くと…

 

再び古墳が現れました!

ここから 佐紀盾列古墳群の西側部分のかたまりに入ります

 

佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)宮内庁により 第11代垂仁天皇皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の「狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)」に治定されています

※かつては神功皇后陵とも考えられていました

全長207mで全国32位の大きさです

日本書紀」によると…

垂仁天皇の叔父の倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなったとき 近習の者を集めて全員を生きたまま 陵のまわりに埋めたそうです

いわゆる殉死ですね...

彼らは日が経ってもなかなか亡くならず昼夜泣き呻んだのだそう(>_<)

そして死後は 犬や鳥が集まり 死体を食べたといいます

 

天皇は この泣き呻く声を聞いて心をいため

「生きている時に愛し使われた人々を 亡者に殉死させるのは痛々しいこと

古の風であるといっても良くないことは従わなくてもよい

これから後は合議して殉死を止めるように」

と 皆にみことのりしました!

 

そののち 皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が亡くなります

天皇「殉死が良くないことは前にわかった... 今度の葬はどうしようか」と諮問したところ...

野見宿禰(のみのすくね)出雲国の土部(はじべ)を呼んで 埴土(はにつち)で人や馬や いろいろの物の形を作らせて献上し

「これから後 この土物を以て生きた人に替え 陵墓に立て後世の決まりとしましょう」と言いました

天皇は喜んで採用したそうです✨

 

この土物を名づけて埴輪(はにわ)あるいは立物(たてもの)と呼び  野見宿禰は土部臣(はじのおみ)の姓を賜りました

以後は 土部連(はじのむらじ)天皇の喪葬を司るようになります

 

※この記述が正しく そして佐紀陵山古墳が真に日葉酢媛命の陵墓だったとすれば ...

この古墳は はじめて殉死のかわりに埴輪が用いられた古墳ということになります

 


佐紀陵山古墳に接するように もう一つ前方後円墳があります

 

第13代成務天皇の「狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)」に治定されている佐紀石塚山古墳(さきいしづかやまこふん)です

※こちらもかつて神功皇后陵と考えられていた時期がありました💦

全長218m  全国26位の前方後円墳です

墳丘は三段に築成され 葺石が多用されているために石塚山古墳の名があります

前方部の拝所付近以外の周濠の幅は全体に狭いですが 特に東側は佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)に食い込むように造られています

地理院地図の航空写真より

左:佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)右:佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)

ふたつの古墳の築造時期にはそれほど差がないようですので これほど密着させているのは両古墳の被葬者に何か特別な関係があったのでしょうか?

(※ちなみに 成務天皇と日葉酢媛命の関係ならば 孫と祖母です)

 

密着する二つの古墳の間を道が通っています

陵墓とその濠に挟まれた一本道です

 

すぐに線路に出ました(奈良と京都を結ぶ 近鉄京都線

踏切を渡って 佐紀盾列古墳群最大の神功皇后に向かいます

 

神功皇后八幡神 応神天皇の母になるので やはり八幡神社が近くにあるのですね

山陵八幡神社というそうです

 

神社の脇をめぐっていくと 拝所に向かう階段がありました

考古学的には五社神古墳(ごさしこふん)といい 第14代仲哀天皇皇后である神功皇后の「狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)」に治定されています

五社神の名は かつて後円部墳頂に祠があったためだそうです

墳丘長は275m 全国第12位の規模になります

近代以前に日本が行った大きな外征といえば 秀吉の朝鮮出兵白村江の戦い・そして神功皇后三韓征伐になるでしょうか

このうち上手くいったとされているのは 神功皇后だけです

ただし 古代の伝説が入り混じった時代の話ですので 神功皇后の存在自体も疑問視する向きもあるようです

神話を神聖視する戦前の皇国史観もどうかとは思いますが 戦後の唯物史観に走り過ぎるのも 歴史を見る目を歪めてしまうように思います^^;

瀬戸内から九州を旅していると 本当にたくさんの神功皇后にまつわる遺跡や伝承にめぐり合いますが でもこれを全部虚構だと切り捨ててしまうのは無理があるような気がしますし なんだか味気ないです...

 

いずれにせよ 昔の日本では神功皇后の事績はよほど大きなインパクトをもって語り継がれてきたようで 外敵からの守護神として貞観の入寇(870年)や元寇の際にも この陵に山陵使が派遣されています

 

先にも触れましたが...

このあたりは大きな前方後円墳がたてこんでいるので 昔から古墳の取り違えがあるようです💦

続日本後紀』には 図録調査により成務天皇陵と神功皇后陵との取り違えが判明したため 北側の山陵を神功皇后陵 南側の山陵を成務天皇陵と改めているほか...

元禄時代には佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)が神功皇后陵にあてられ 五社神古墳は称徳天皇陵にあてられていところ 文久3年(1863年)の修陵に際し古文献の記述に基づき五社神古墳が改めて神功皇后陵に治定されています

 

拝所を通り過ぎると 向こう側にも出入り口がありました

ここから少し南に戻って 次は称徳天皇です

佐紀高塚古墳(さきたかつかこふん)は第48代称徳天皇第46代孝謙天皇 重祚)の「高野陵(たかののみささぎ)」とされています

称徳天皇といえば 聖武天皇光明皇后のひとり娘...

前編では”孝謙天皇”の名で登場しました

※46代孝謙天皇は譲位後に再び天皇の座に着き 48代称徳天皇となりました

道鏡弓削道鏡)を寵愛した女帝としても 知られています

天武天皇から続いてきた系統は彼女で途絶え 次代の光仁天皇からは天智天皇の家系に戻りました

ところで この古墳は 墳丘長127mの前方後円墳

隣り合う佐紀陵山・佐紀石塚山・五社神古墳の各古墳に比べて小さく かつ方向も違うことから 少しランクの低い被葬者が埋葬されている可能性があります

 

そして何より 大化2年に発布された「薄葬令」以降...

天皇陵といえども前方後円墳は造られず 火葬されて八角墳に葬られたり 自然丘陵を利用した陵になっているはずです

 

これらの点から 佐紀高塚古墳を称徳天皇陵とするのは無理があると思われます

真の称徳天皇陵は もしかすると開発によって失われてしまったのかもしれません

 

 

ここから西大寺駅近くを経由して 秋篠川を南下🐾🐾


人気のピザ屋さんで腹ごしらえをしてから 最後の古墳に向かいました

※次回 お店のご紹介をさせていただきますね(^_-)-☆



こちらが秋篠川

 

そして近鉄橿原線のむこう側に見えているのが 垂仁天皇です

垂仁天皇は先に紹介した 佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の夫です

古事記日本書紀によれば...

垂仁天皇はその治世のさいごに 田道間守(たじまもり)に命じて 「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を探しに遣わせました

「非時香菓」というのは "時を定めずいつも黄金色に輝いて芳香を放つ木の実" という意味だそうで 不老不死の霊薬だとされています✨

 

田道間守は苦労して常世の国まで行き ようやくその実をみつけて持ち帰ってきましたが 天皇はすでに崩御しておられ 悲しみのあまり自ら命を絶ってしまいました💧

古事記の本文では 非時香菓を「是今橘也」(これ今の橘なり)と記していて 御陵の近くでは ゆかりとされるヤマトタチバナが栽培されていました

 

ちょっと見晴らしは悪いですが 休憩所から御陵の端っこが見えます

御所の紫宸殿の左右に「右近橘・左近桜」として橘が植えられているのも この故事に由来するともいわれています

 

先ほどの殉死のお話では(日本書紀によれば)

皇后の日葉酢媛命は垂仁天皇より先に亡くなったということでしたが...

古事記」には 『田道間守が戻った時 日葉酢媛命は存命で 非時香菓の半分は皇后に献上され 半分は垂仁天皇の陵に供えられた』とも記されています

 

ところで ”日葉酢媛”ってなんとなく柑橘系っぽい名前ですね🍊

(愛媛の"媛"も付いているし 笑)

 

こちらが垂仁天皇

全長227m  全国20位の前方後円墳です

 

亡くなった田道間守のなきがらは 陵のかたわらに葬られました

濠の中に浮かぶ小さな小島が 田道間守の墓と伝えられています

アオサギさんの休憩所になっていました

 

偶然にも 先日 飛行機から垂仁天皇陵をとらえることができました!

空を映すお濠のなかに 田道間守の小島が浮かんでいます

 

田道間守は 現在ではお菓子の神様 またみかんの神様となっているそうです

すまりんのための神様でしょうか...!!

田道間守命が祀られていると言われる「中嶋神社」へ いつか参拝したいと思います

 

 

これにて 今回の散策は終了(^_-)-☆

歩数は東大寺を参拝した分と合わせて26000歩くらいでした

「てくてくシリーズ」の中ではちょっと少ないですかね(笑)

 

ちなみに 電車だと ここは 近鉄 尼ヶ辻駅のすぐ近くになります(^_-)-☆



次回は

お昼に立ち寄った美味しいピザ屋さんのお話です(^_-)-☆