うどん県とよばれる香川県…
その中でも最もうどん店が集中する場所のひとつが土器川沿いの"丸亀市"です
こちらは 丸亀の名店「純手打ちうどん よしや」の ぶっかけうどん⤵
さすが コシもあって絶品でした✨
さて...
今回 すまりんたちは その丸亀市にある名城「丸亀城」を訪れました
「現存12天守」とよばれる江戸時代の姿そのままの天守が 四国にはなんと4つも残されているのですが そのひとつが丸亀城です(^_-)-☆
町の真ん中にある標高66m の亀山の上に 三重三階の小さな天守が鎮座しています
こちらが大手門
大手枡形の二つの門も現存遺構で 天守を含めて重要文化財に指定されています
大手から見上げる天守は 高い石垣の上にそびえています✨
丸亀城の見どころポイントのひとつは この立派で美しい石垣です
小山の全周を覆って 要塞のようですね
模型で見ると石垣が三段になっているのがわかります
雛壇のような形状は 城の用語で「一二三段(ひふみだん)」と呼ばれます☝
丸亀城では 方形に城を囲む内濠もすべて残されています
かつてはこの外側に武家屋敷があって さらに外濠が囲んでいたそうです
下見板張りの塀には「狭間▲■」が開けられ 左右ともに横矢を掛けるための石垣の突出部もあり 万全の備えです
大手枡形は10間 (18m) ×11間 (19.8m) と このお城のサイズ感にしてはかなり巨大!
桝形奥の石垣にある「幸運のハート石」は 触ると良縁のご利益があるそうです💛
すまりんの手の先で ちいさな須磨が タッチ (=^・^=)
※ちいさな須磨は2022年にお空に行った愛猫の分身です
生まれ変わっても また すまりんたちの所に来てくれますように...
内側から見た二の門⤵
小さな屋根を葺いた両脇塀を持つ格式高い門で 重要文化財に指定されるだけのことはあります
一の門は 白亜の漆喰がまぶしい櫓門です✨
1610年(寛文10年)頃の建築で 太鼓を鳴らして刻を知らせていたことから 太鼓門とも呼ばれるそうです
櫓門をくぐった先は「山下曲輪」とよばれます
山下曲輪には かつて藩政時代の政庁で藩主の居館でもあった山下御殿がありました
御殿は現存しませんが 立派な表門(玄関先御門)と…
番所・御駕籠部屋・長屋が残されています⤵
番所は当時の特徴をよく残していて 丸亀城の現存建造物で最も古いものだそう
山下曲輪から 三の丸に向かうには「見返り坂」とよばれる急坂を登ります
高い石垣を見上げながら 時計回りにぐるりと登っていきます
丸亀城は 本丸を中心に二の丸・三の丸を渦巻き状に配置した「渦郭式」の城になります
こちらは三の丸の高石垣
「扇の勾配」とよばれる隅角の曲線美に 城マニアのすまきは うっとり...
さすがは石垣美で有名なお城です(*^^*)
きつい坂を登り切って 三の丸にたどりつきました
三の丸の広場から 真っ正面に讃岐富士(飯野山)の雄大な姿が望めます
以前 登頂した記事を書きました
お城の案内看板がありましたので 載せておきますね
クランク状に折れ曲がった 虎口(入り口)を抜けて二の丸に入ります
さらに進むと 本丸の虎口の向こうに天守が見えてきました!
小さい天守ですが 近寄るとそれなりに大きく見えました✨
本丸の広場に到着!
讃岐平野を一望するすばらしい景色です(*^^*)
幼少期の弘法大師が身を投げたという我拝師山を望みます⤵
※我拝師山については次回の記事であらためてご紹介します(^_-)-☆
東にも飯野山をはじめ 特徴的な形の讃岐の山々が見えていました
なんだかインドや東南アジアあたりのストゥーパ(仏塔)が立ち並んでいる景色を連想します...
さすが弘法大師を産んだ讃岐の地だと感じました
北には城下町と瀬戸内海... そしてはるかに瀬戸大橋を望みます
先ほど見てきた山下御殿の御門と番屋が見下ろせました
四方に櫓台を設けた本丸石垣も見事ですね✨
天守の高さは15m
小さいながらも千鳥破風と唐破風をあしらい 下見板張りのアクセントで格好よく見せてあります✨
高く見せるために 一階→二階→三階と急激に幅を縮めて逓減率を大きくしてあります
過去の解体修理の際 壁の中から万治3年 (1660年) と記された祈祷札が見つかったことから 天守の築造はその近辺と推定されています
現在の丸亀城を築いたのは 生駒親正という人です
織田信長の家臣でしたが 信長の死後に秀吉に仕え 讃岐を拝領し高松城の支城として丸亀城を築きました
1615年 (元和元年) の「一国一城令」で丸亀城は廃城となりますが 時の藩主 生駒正俊は城を樹木で覆い隠して破却を免れようとしたと伝わります
その後 生駒氏はお家騒動で転封となり 肥後国富岡から山崎家治が丸亀藩5万石として入封しました
富岡といえば 天草四郎の「島原の乱」の最初の舞台となった城です
山崎家治は 島原の乱の責任で領土を召し上げられた寺沢氏の後に天草に入封し 富岡城の改修を行った人でした
一国一城令のため 本来なら丸亀藩に城を持つことは許されないところですが 幕府は丸亀城の再築を命じたのだそうです
←島原の乱の後 瀬戸内の島々にいたキリシタンが外国と結託して蜂起することを危惧し 瀬戸内の要衝である丸亀を重要視したのだといわれています
その山崎氏も3代で無嗣断絶し 京極高知が6万石で入封しました
京極氏は古い家柄で 大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」にも出てきた佐々木四兄弟の末っ子 佐々木氏信が北近江に所領を得て京極氏を称したのがはじまりです
室町時代には六か国の守護を兼ねるほどに権勢をふるいました✨
やがて下剋上の戦国時代になると 家臣だった浅井氏に近江を追われてしまい流遇の身となります💦
その後は 織田・豊臣・徳川と仕える先を上手に変えながら地道に出世して 一時は出雲・隠岐26万石まで回復しました✨
ところが 今度は当主が急死してしまい お家断絶寸前となります💧
けれど 過去の勲功を考慮されて丸亀6万石を許されたのだということ...
※京極氏についてはブロ友のかっくんさん (id:rekikakkun)の記事で紹介されています
かっくんさんも京極高次の功績について言及しておられますが 徳川幕府もそこは恩義を感じていたのでしょうね(^_-)-☆
かっくんさんはいろんなお城を巡られ その歴史について詳しく記事を書かれています
記事を引用させていただくことについてはご快諾いただきました(^_-)-☆
天守内部は大人400円で見学できます
のちほどご紹介しますね(^_-)-☆
ところで...
丸亀城では 毎年秋に「丸亀城キャッスルロード」と題して 夜間のライトアップをしています✨
昼間とはがらりと雰囲気が変わっていますね👀
虹のかかった大手門
一の門
騎馬の武士のライトアップは 馬術で有名となった丸亀藩士の曲垣平九郎のようです
ちなみにこちらは曲垣平九郎にゆかりの「出世の石段」(東京港区)
徳川家光が 愛宕山の山上に梅が咲いているのを見て「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ 曲垣平九郎が見事 馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し 馬術の名人として全国に名を轟かせたという逸話で有名です☝
「梅の花」も映し出されました✨
一の門をくぐります...
家紋入り提灯が並べられていました
左から 京極家の"平四ツ目結" 山崎家の"檜扇に四ツ目結" 生駒家の"波引車"
菊花展も開催中...
木々も幻想的にライトアップされていました✨
高石垣の建設にあたっては 工事が難航したため人柱がたてられたという伝説があるそうです^^;
ある雨の日の夕暮れ...
雨で豆腐が売れずに 普段は通らない城の付近をたまたま通り掛かった豆腐売りが捕えられ 無理矢理に人柱として生き埋めにされてしまったのだそうです
石垣は無事完成しましたが それ以来 雨の夜にはその石垣の辺りで「とーふー とーふー」という声が聞こえるといいます
ちょっと涼しくなったところで...^^;
先に進みましょう🐾🐾
10秒の 光の動画をご覧下さい(*^^*)
ここは結構な急坂ですが 光の演出のおかげで 知らないうちに上まで登りきっていました(^_-)-☆
三の丸櫓台跡が美しくライトアップされていました✨
丸亀の夜景が広がります
丸亀城の美しい石垣は 名人と謳われた羽坂重三郎の指揮で築かれました
城主がこれを褒め「あっぱれな仕事! この石垣を登れるものなど誰もいるまい」と感嘆したところ 重三郎は「尺の鉄棒が一本あれば登ってみせましょう!」言って 短い鉄の棒を使ってするすると高石垣を登ってしまいました...
これを見た城主は 重三郎に井戸の調査を命じ そのまま井戸の中へ埋め殺してしまったといわれています😱
こちらには 重三郎が埋められたという 二の丸の井戸が残っています
遠くから見たら休憩所か展望所に見えますね!
おそるおそる近づいてみると...
伝説を意識してか おどろおどろしい色でライトアップされていました
※ナイトモード撮影のため明るく写っていますが 実際は井戸は真っ暗です
深さ65mと 日本の城で最も深い井戸とも言われています
すまきと協力してライトで底を照らしながらナイトモードで撮影📸
何枚か撮りましたが うまく撮れたのはこの一枚だけでした
思い出すと こわい...^^;
背筋が寒くなったので 賑やかな天守へ急ぎます💨
ライトアップされた天守✨
キャッスルロード期間中の土・日・祝に 夜間特別開館されていました
以前 昼間に入場したことがありますが もちろん今回も入場します(^_-)-☆
柱が建ち並ぶ一階
これらは各階ごとの柱で 上まで続く通し柱はありません
石落とし(蓋がしてあります)と 狭間▲■
外からみると こんな感じに石垣から張り出しています⤵
こちらは 大砲狭間(おおづつさま)
漆喰で塗り固められて蓋がされていて 外から見たらどこにあるのかわからない「隠し狭間」となっています
非常時には漆喰を打ち抜いて 大筒とよばれる大きな鉄砲を撃つために用います
二階へ上ります
お城の階段はだいたいにおいて急傾斜ですよね💦
二階です
さらに三階へ...
狭いめです^^;
見上げると むき出しの天井が...
よく見ると 梁に墨書されていました
こちらの壁の中に 先ほど触れた"年号入りの祈祷札"が塗りこめられていたそうです
天守の壁は 二重の壁の間に小石や瓦などを詰めた「太鼓壁」で 通常の壁よりかなり厚くなっており 大砲の弾も防ぐとされています
連子(れんじ)窓から 丸亀の夜景が望めました!
本丸隅櫓の櫓台が 舞台のようにライトアップされています✨
さっそくこの櫓台(姫櫓跡)に行って 天守をパチリ📸
帰りは あまり人けのない二の丸の搦手(からめて)から降りて天守を見上げてみました
まるで黄金の天守のようです✨
この角度もなかなかいいですよね(^_-)-☆
街の灯りの向こうには ライトアップされた瀬戸大橋が見えました
🔍
長い夏も終わり ようやく秋らしい気候の中 素敵な夜の散策となりました(*^^*)
丸亀城のお話は以上です
次回は 四国八十八か所 第73番札所 出釈迦寺のお話です(^_-)-☆