すまりんの てくてく ふたり旅

部屋付き温泉のある素敵な宿と美食を求め 夫のすまきと全国飛び回ります!

神田川クルーズのお話(東京都)

日本の道路の起点 「日本橋」✨

 

なんと橋の銘板は 最後の将軍 徳川慶喜によって揮毫されたものだそうです!

 

橋の真ん中には 日本国道路元標が埋められています⤵

 

こちらは 橋のたもとに置かれているレプリカ✨

 

ここから 江戸城の外濠であった日本橋川神田川を巡る「神田川クルーズ」の観光船が出ているということで...

すまきとすまりんも クルーズ体験をしてきました(^_-)-☆

※乗船時間は90分で 事前予約が必要です

( 定員は44人 当日だと空きがないことも... )

※雨天時は雨具の貸し出しがありますが 雨が激しい時は中止になります

大きめのボートのような船ですが 後方に個室トイレも完備されています✨

 

出航の20分前までに 乗船場で受付を...

 

すまりんたちは インターネットのサイトから13時の便を予約していました

自由席ですが 整理券の番号順に乗船できます

※おそらくこの番号は 当日の受付順ではなく 予約順かと...

 

イラスト入りのパンフレットもいただきました(*^^*)

南北が逆になっているので ちょっと見づらいかな💦

 

船内は 飲み物持ち込みOKです(^_-)-☆

暑い時期だったので 飲み物は持っておいたほうが良いとアドバイスをいただきました

 

乗船まで まだ時間があったので コンビニに行ってお茶を購入💨

 

戻ってきたら テントの下はお客さんでいっぱいになっていて こちらで写真を撮りながら待機しました

 

河岸から見る「日本橋」はこんな感じです...

後ろ姿はおなじみのちいさな須磨   ※2022年にお空に行った愛猫の分身です

 

10分前から乗船がはじまりました

すまりんたちは18・19番だったので 端っこの席は余裕で確保できましたが 残念ながら写真の撮りやすい一番前の席に座ることはできませんでした^^;

すまりんたちは 前から4列目の左側に座りました(^_-)-☆

 

まずは「日本橋」の下をくぐり抜けて 日本橋川を上流(西)の方へと進みます

 

すまきが左端で撮影した約30秒の動画もご覧ください (音量にご注意!)

 

江戸城の外濠は 北側の九段下付近からはじまって「」の字を描くように城の周りをぐるりと回り 飯田橋神田川に合流して 隅田川へと続いていたそうです

神田川クルーズ」では 90分かけて この外濠の半分ぐらいを遊覧することになります

 

こちらは常盤橋タワー

いつもどこかしらで建築工事が行われている東京ですが 東京駅の北側にあたるこのあたりも再開発が進んでいて この背後に「トーチタワー」というビルがつくられています

完成すれば高さ385mということで 先ごろ大阪のあべのハルカス(300m)を抜いて日本一になったばかりの麻布台ヒルズ(325m)を超えるものになるそうです✨

地上から見た様子⤵

 

前に見えてきたのは 常盤橋

 

橋のたもとに 新しく一万円札の肖像画になった渋沢栄一銅像が立っています

彼は 関東大震災で被害を受けた常盤橋を私財で整備したのだそうです✨

 

ちょうど反対側にある緑の屋根の建物は 日本銀行本店です

 

常盤橋にあった常盤橋門は 江戸城外郭の門のなかでも大手口とよばれ 奥州道につながる重要な門でした

御門を守る石垣遺構が 今も残されています

 

ここから JR線の下をくぐっていきます

新幹線・山手線・中央線などが通る 新常磐橋

SLの動輪をかたどったエンブレムに (左向きに) 大正七年と書かれています

 

日本橋川神田川から分かれて隅田川に注ぐまでの全流路の9割近くが首都高速都心環状線の高架下となっています💦

 

ふたたび冒頭の写真ですが ...

有名な「日本橋」も上を高架で塞がれ 往時の景色の見る影もありませんね^^;

そこで 河川景観をよみがえらせるための再整備が計画され 現在 神田橋JCTから江戸橋JCTまでの日本橋をまたぐ区間の首都高の地下トンネル化がすすめられています

 

ちょうどこの神田橋料金所のランプウェイを利用して 首都高速が地下にもぐる計画のようです⤵


神田橋をくぐります

このあたりは 江戸城外濠の石垣が残されています

江戸城外濠は天下普請で建設され 濠の掘削は東国大名が  石垣は西国大名が担当しました

石垣の石は3000艘の船で30年の歳月をかけて伊豆や相模から運ばれたそうです

石垣に刻まれた「田」のマークは 加賀前田家が運搬したことを示す印だそうです

100万石だけに 石垣の割当量も多かったようです✨

 

こちらが 一ツ橋

もとは大きな丸木を一本渡しただけの橋だったためにこの名前が付いたそうです

今も一橋御門の石垣遺構が わずかに残されています

このすぐ左側に 御三卿のひとつ 一橋徳川家の屋敷がありました

 

東京に架かる橋は関東大震災で大きな被害を受けましたが 大正12年の震災発生後から8年の間に 帝都復興院復興局の主導で425もの橋が「震災復興橋梁」として再架橋・新架橋されました

 

毎日新聞 東京本社です⤵

東京メトロ東西線 竹橋駅付近のこのあたりは 江戸城の外濠と内濠が最も近接する部分になります

毎日新聞のビルのすぐむこうに内濠があって 平川門から御城内に渡ることができます

 

こちらが平川門と平川橋(※別日に撮影)


皇居に近いせいか このあたりは外濠の石垣がよく残されています

 

ちいさな須磨の視線の先には...

シラサギさん

 

千代田区役所の手前あたりで外濠の石垣は終わり コンクリートに変わります

 

防御のため くねくね屈曲させて見通しを悪くしていた外濠の流路は 九段下を過ぎた所で一変して 真っすぐの運河になります

 

神田川はかつて「平川」とよばれ 飯田橋付近から現在の日本橋川を通って日比谷あたりで江戸湾に注いでいました

しかし 平川下流域の江戸城下がたびたび水害に見舞われたため 二代将軍秀忠が伊達政宗に命じ 神田山の台地を掘削して 隅田川へ東流させる新たな河川をつくらせたそうです

新たな川(地図の水色部分)は「神田川」と名付けられ 三崎橋から堀留橋の間(地図の赤い部分)は埋め立てられました

しかし 明治になって中央線が開通すると 物流のための水運のニーズが高まり 埋め立てられた部分は再掘削され「日本橋川」となりました 

 

こちらが 三崎橋です

中央線・総武線の下をくぐって 神田川に合流

 

T字路にさしかかりました

左側 (写真奥方向) に行けば 飯田橋をへて神田川の上流へ...

いっぽう クルーズ船は右へ曲がり 神田川下流へと向かいます→→

 

すぐに見えてくるのは 後楽橋

東京ドーム・後楽園につながる橋ですが…

橋の下には 空襲で爆弾が通過した跡が残されていました

 

さらに進んで行きます

 

ビルの間から 後楽園遊園地の名残のスカイフラワーのポールがちらりと見えました

 

水道橋 です

 

水道橋を抜けると左側に暗渠へとつながるトンネルが現れました

お茶の水分水路 呑口です

神田川は流域市街化率が97%と全国トップで 雨水の保水・遊水機能が低下していて 平成になるまで周辺地域は豪雨時の水害に悩まされていました

このため東京都は地下の分水路を設けて 溢れた水がプールされるような治水対策を行っています

お茶の水分水路はそのうちのひとつで ここは水を取り入れる入り口にあたります

 

↙このあたりは 両岸がかなり高くなっています↘

二代将軍秀忠に命じられた伊達藩が 舌状台地である神田山を切り通して川を作った名残になります

左側の台地の基部側が 湯島台  そして右側が駿河台となりました

このあたりの神田川は「仙台堀」や「伊達堀」ともよばれています

 

左の護岸の上に 神田上水懸樋(掛樋)跡の石碑がありました

 

別日に上から撮影した石碑がこちら⤵

 

かつてここに 神田川を渡る水道橋があったそうです

こちらは歌川広重が描いた掛樋

この景観は 江戸の名所のひとつでした✨

 

井の頭池を水源とする神田上水水戸徳川家上屋敷(現在の小石川後楽園)に流れ込んだ後 掛樋を通って神田川を越え 江戸城下へ上水を供給していたそうです

 

海辺の埋立地が広がる江戸城下は 飲み水の確保に難があり「江戸の六上水」とよばれる上水道が整備されました

有名な玉川上水も そのひとつになります(^_-)-☆

 

都心にもかかわらず 切り立った川岸が緑濃く迫るこのあたりは お茶の水渓谷ともよばれています

 

お茶の水橋です

橋の向こうに見えるお茶の水駅は 現在バリアフリー化の工事中なのだそうです

 

次の「聖橋」を過ぎて 振り返ったところです

こちらも震災復興橋だそうですが 昭和2年にかけられたとは思えないモダンな橋です✨

この聖橋から見下ろす景色は 総武線・中央線・東京メトロ丸の内線の車両が立体交差する有名な「撮り鉄」スポットなのだそうです!

 

クルーズ船もしばらく留まって 丸ノ内線の赤い車両が通るのを観覧しました

 

すまりんは撮り鉄ではありませんが  別日に聖橋の上から撮影してみました

丸ノ内線 (赤) と 右上に総武線 (黄) の車両が写っていますよ(^_-)-☆

けっこうな頻度で電車が通るので 少し待てば3本同時に写すこともできそうでした

 

すれ違う直前の丸ノ内線 (赤)・中央線 (オレンジ)・停車中の総武線 (黄)

f:id:aranciarossa:20241114114330j:image

見づらいですが 停車中を含め 5本写っている動画です(10秒)⤵

 

右側に見えてきたレンガ造りの遺構は 万世橋駅跡です

大正8年にここから東京駅間の路線が開通するまで 中央線の終着駅はこの万世橋駅でした

東京駅と同じ 辰野金吾の設計による立派な駅舎だったそうですが 貨物駅であったすぐ近くの秋葉原駅が旅客営業を開始したことで廃駅となりました

ちなみにガイドさんの背後に写っている「肉の万世 秋葉原本店」は 今年閉店になってしまいました💦

万かつサンド... たまにお世話になっていたので残念です(>_<)

 

JRの高架をくぐりぬけて 秋葉原付近を下って行きます

 

このあたりの右岸(江戸城方向)には柳原堤が築かれ 洪水時に溢れた水が左岸に流れるようになっていました

今でも 右岸のビルは堤防の上に1階が見えているのに対し 左岸のビルは2階の窓が半分隠れていて 左右の地盤の高さが違うのがわかります

柳原堤には土手を強化するため 水に強い柳の木が植えられました

これにちなんで 神田川の最下流の橋は「柳橋」と名付けられました

隅田川神田川の合流地点にある柳橋の船溜まりには 江戸時代から屋形船や舟宿がたくさんあって 大名や豪商たちが舟遊びを楽しんだのだそうです

 

現在でも このあたりには屋形船がたくさん停泊しています

隅田川の花火大会の時などはフル稼働するのでしょうね

 

この緑色の橋が神田川最後の橋「柳橋」です

 

いよいよ隅田川に合流です!

 

舳先を上流に向けると スカイツリーが目の前に現れました✨

もう少し青空が見えたら最高でしたが これくらいの天気のほうがスカイツリーは見えやすいのだとか...

しばらく写真タイムがありました(*^^*)

 

スカイツリーを写真に撮ったあとは Uターンして隅田川下流へ向かいます

 

大きな橋は 両国橋

武蔵国下総国を繋いでいたこの橋は 千住大橋に続いて隅田川に2番目に架橋された橋です

 

幕府は防御の観点から 隅田川への架橋を千住大橋以外に認めていませんでしたが 江戸を焼き尽くした明暦の大火の際に 橋がないことで多くの江戸市民が焼け死んだことから架橋が決断されました

当初は「大橋」と呼ばれていたそうです

橋の開通によって 本所・深川の町が開かれました

宮部みゆきの時代小説の舞台ですね(^_-)-☆

 

東京湾と浅草を結ぶ水上バスとすれ違いました

隅田川に入ると 船はけっこう揺れました💦

20秒の動画を添付しますね⤵

船の縁を見て下さると揺れの様子が分かりやすいです (音量にご注意!)

 

動画は取り損ねましたが 船のすれ違いの時は 引き波で揺れがさらに大きくなって 遊園地のアトラクションみたいな感じでした!

 

正面に見えてきたのは「新大橋」です

最近できたような名前ですが 5代将軍綱吉の時代に架けられました

両国橋(大橋)に続いてつくられた橋ということで「新大橋」と呼ばれました

当時深川に庵を構えていた松尾芭蕉は 新大橋の完成が嬉しかったようで 句に詠んでいます

 ありがたや いただいて踏む はしの霜

 

新大橋の近くに 芭蕉庵の跡地があります

芭蕉庵史跡展望庭園の芭蕉翁像は 隅田川を見つめています...

この像には都市伝説があり 見る時間を変えると向きが変わるのだそうです👀

 

これが証拠写真

 

→ 実際には17時にライトアップのためにモーターで回転するのだそう(笑)

 

青い橋は「清洲橋

ドイツのケルンにあるヒンデンブルク橋をモデルにしたという震災復興橋です

女性的で美しいと言われる「清洲橋」と スカイツリーを同時におさめることができるフォトスポットで 船を一周して撮影タイムをつくって下さいました

 

ちなみに こちらが清洲橋のモデルとなったというヒンデンブルク橋⤵

※すまきが学生時代にドイツ旅行で購入した絵葉書がアルバムに残っていました

初代ヒンデンブルク橋は吊り橋だったそうですが 架け替えられて形が変わっています

本家はスカイツリーの代わりに 世界遺産ケルン大聖堂がそびえていますね✨

 

墨田川のお話に戻りまして...

川風が吹き抜ける穴が開いた 「門」のような形のDaiwaリバーゲートビル

下層階は賃貸マンションで 上層階はオフィスビルなのだそうで 牛丼の吉野家の本社はここにあるそうです(^_-)-☆

 

首都高速9号深川線の隅田川大橋をくぐると…

 

CMでよく見かけるリバーシティ21のマンション群が見えてきました!

空を三角形に切り取ってそびえる姿がかっこいいですね✨

 

手前にあるのは 永代橋

清洲橋と対比して男性的といわれるこの橋も 震災復興橋です

 

ここでクルーズ船は隅田川を右折し 再び日本橋川へと遡上していきます

 

日本橋川の空がひらけているのは河口からわずか500mほどだけです

すぐに首都高が合流してきて 屋根ができます

 

首都高の地下化が実現すれば こんな感じの親水空間ができるのだとか…

完成予定は2040年!

およそ15年先の話だそうです...


兜町東京証券取引所

 

渋沢栄一邸宅跡地に建つ 日証館

 

かつては この敷地そのままに 辰野金吾(写真右)設計の瀟洒な邸宅があったそうです


こちらは川のゴミを取り除く 東京都の河川水面清掃船

おかげで 私たちは 綺麗な川をクルーズすることができるのですね...

 

再び「日本橋」に戻ってきました



最後にもう一度橋の下をくぐります


行きは 反対側で見えなかったのですが ...

関東大震災の際に燃えた船がぶつかってそのまま燃え続けたため 石が焼けただれているのが見えています

 

無事 船着き場に戻ってきました

90分... 

あっと言う間の とても楽しいクルーズでした(*^^*)

 

いずれ首都高の地下化が完成して 完全に青空のもとでクルーズできようになったら 再び訪れたいと思います(^_-)-☆

 

16年後(2040年)...

「すまりんの よろよろてくてく ふたり旅」で 投稿予定(笑)

 

 

次回は 四国にまいりまして

 現存十二天守丸亀城」のお話です