すまりんの てくてく ふたり旅

部屋付き温泉のある素敵な宿と美食を求め 夫のすまきと全国飛び回ります!

元寇防塁を歩く (後編)

すまきとすまりんのてくてくシリーズ「元寇防塁を歩く」

本日 「後編」です

 

 

天候の関係で 福岡到着日に「香椎宮」から「西新」まで歩いたすまりんたち...

本日は「今津浜」から「西新」に向かって歩きます🐾🐾

 

霧雨の降るなか...

ホテルをチェックアウトしたすまきとすまりんは 荷物を背負って駅に移動中

天気予報では天気は回復傾向のようなので 傘は買わず早足で歩いています

これから電車とバスを乗り継ぎ 「今津浜」へ行きます (^_-)-☆

 

すまりんたちは JR「今宿駅」で電車を降りました

バス乗り場は駅の正面にあります

雨がやや強まってきたので向かいのコンビニで傘を1本購入しました^^;

 

バスが到着!

最初は混雑していましたが 

 途中から閑散としてきました...

 

最後の一組になったすまりんたちは 「今津運動公園前」で下車

雨は微妙な状態^^;

やっぱり傘をさしたほうが良いかな...

 

現在 8:22  ここからカウントスタートします

 

まずは 5.8km先 長垂地区の防塁まで進みます🐾🐾

 

雨粒が気になって 傘をさしました

バスに乗る直前まで傘代をケチって様子を見ていたので 今 雨がやんでも気分的には微妙...(笑)

でも 荷物がある上に 傘もさすのは やはり面倒💧

傘は1本なので 背の高いすまきが傘を持つことになるのが気の毒でした

 

今津浜の元寇防塁へは案内板が整備されていて分かりやすいです(*^^*)

 

ここから浜の方に入れるようです

 

昨日からの雨で 足場が悪かったです^^;

 

入り口付近に 防塁の句碑がありました

 

そのすぐ近くに「史跡ひろば 」という休憩所がありました

元寇防塁についての解説が掲示されていました✨

 

ボタンを押すと元寇防塁に関する映像が見られるようなのですが...

反応しませんでした^^;

休憩所の横の石積みは 多分 防塁と思われます

ここで 雨が上がりました!

 

発掘展示された防塁がこの先にあるようなので 行ってみます(^_-)-☆

雨がやんでも傘を持たされ持ってくれる優しいすまき💛

 

元寇防塁について書かれた看板がありました

200m先に防塁跡が見られるようです←←

 

この辺りの海岸線は昔から変わっていないのか 博多湾が迫っていました

 

100歩ほどで 海に出ました

この海を「元」の軍船が埋め尽くしたかと思うと恐ろしいことです💧

 

蒙古襲来絵詞の主人公✨ 御家人竹崎季長(たけざき すえなが)

前編に続き 季長を演じる我らがすまにゃが💗

すまきの手作りグッズで身を固めています(^_-)-☆

 

松林に戻り先へ進むと 防塁遺構が現れました✨

前半で歩いたコースにはここまでしっかりと残っている防塁がなかったので感動しました(*^^*)

この地の防塁建設は 日向国大隅国が担当したと伝わります

 

柵の中に入ることはできませんが...

約200mの区間が掘り込まれ 石塁の上部が見られるようになっていました

 

今津浜の東西にある「毘沙門山」と「柑子岳」の間の約3kmにわたり 一直線に防塁が伸びているそうです

柵がもう少しだけ続いているようなので 進んでみます🐾🐾

 

防塁の上や道端に マツバウンランという小さな花が咲いていました

かわいらしかったので 立ち止まって接写✨

 

後で気づきましたが 自宅の近くの草むらでも沢山咲いていました^^;

 

防塁自体はさらに西へと伸びていると思われますが 復元遺構はここまでです

すまりんたちはここでUターン...

最初のポイントまで戻ってきました🐾🐾

※往復10分かからないくらいです(^_-)-☆

 

ここからは 防塁の延長線上を歩いて行きます🐾🐾

整備された場所を過ぎても よく見れば防塁の痕跡が続いていました

 

これは すごく分かりやすいですね(^_-)-☆

この石積みの上に 御家にゃん 御家人たちが並んで元軍を待ち構えたのでしょう

再び すまにゃがの降臨✨(笑)

 

歩きやすい道が続きます...

 

元寇防塁」の石碑がありました

ここで道は終わりますが 防塁は向こうの毘沙門山のふもとまで続いていたそうです

 

アスファルトの道に出ました

少し歩くと...

階段を上がった丘の上に「元寇殲滅の処」という碑があるのが見えました

階段はのぼらず 望遠🔍で撮影^^; ⤵

これは大正時代に建てられたものだそうで「殲滅」という言葉に当時の世相が窺えます

 

「第一野の花学園」という障碍者支援施設の駐車場にやってきました

駐車場の片隅に「蒙古塚」があります

元寇の時の戦死者や死罪になった捕虜を火葬にした場所と言われています

 

東を目指し 進みます🐾🐾

"今津干潟"とよばれる瑞梅寺 (ずいばいじ)川の河口にできた潟湖の岸を巡っていきます

河口にかかる橋が見えてきました

 

海中に残る台座に 鳥がとまっています

カワウでしょうか...

 

橋(今津橋)までたどり着きました !

左手には 博多湾が広がっています

 

この細道から 海岸沿いに出ることができました

 

晴れていたら 気持ちよい散歩道にちがいありません

サーフボードを軒先に置いた家がたくさんありました

家の前に遠浅の砂浜...サーファーにとっては理想郷✨ですね

 

これは昔の常夜灯でしょうか...

 

松林が迫ってきました

そろそろ最初の目的地に到着しそうです

 

長垂地区の「元寇防塁」の説明板

現在の長垂海浜公園の区域を含む長垂山山麓から今山山麓にかけての約2kmの防塁は豊前国が築造を担当しました

長垂海浜公園内にある石塁は松林内の土中に埋まっていて 表面がごくわずかに露出しているだけです

松林の中にある土塁のような高まりが 防塁遺構と思われます

 

 

次の目的地は 5.5km先の姪浜(めいのはま)

カンカン照りよりはマシですが 湿って重い空気の中 疲労が溜まってきました

 

振り返ると 歩いてきた今津湾がずいぶん遠くに見えました

 

こちらが行く先です⤵

右にある岩は カエルの大岩というそうです↗

目を凝らせば 遠くにマリノアシティの観覧車🎡が見えました

 

これからすまりんたちは 黒々とした帯のように見える「生(いき)の松原」を通り マリノアシティの方へと向かいます🐾🐾

岩の上で 鳥が ポーズをとっていました(*^^*)

 

「生の松原」を左に見ながらアスファルトの道を歩いていたら 海辺に出られる道がありました

 

埋もれていてよくわかりませんが この下にもずっと防塁が続いているようです

 

左の島は 能古島(のこのしま)

季節の花が咲き乱れている写真を目にしますが 今日は渡ったとしても景色は期待できませんね^^;

 

「生(いき)の松原」の名の由来ですが...

三韓征伐の前 神功皇后がこの地に松の枝を逆に刺し「もし功なれば この枝生きん」と祈願したところ その枝がみごと生育し この名が付いたそうです✨

 

浜辺には 壱岐神社の「一の鳥居」がありました

壱岐(いき)神社があるから「生(いき)の松原」と名付けられたという説のほうが自然かもしれませんね...

神功皇后が刺したとされる松は大きくなり「逆松」と言われましたが 残念ながら今は枯れてしまい壱岐神社に 幹が奉納されているそうです


今ある松は 防風林として江戸末期以降に植えられたものが多いそうです

 

到達記念に パシャリ📷

 

この辺りは整備されて 歩きやすい道でした(*^^*)

 

「生の松原」には 元寇防塁が復元されていました

長垂海岸から小戸海岸にかけての約2kmの防塁は肥後国が築造を担当...

当時と同じ高さに修復展示されています

防塁の前に 蒙古襲来絵詞が展示されていました⤵

前編でも書きましたが 蒙古襲来絵詞は 肥後の御家人 竹崎季長(たけざきすえなが)が自分の戦いぶりを描かせたとされる絵巻物で 国宝として宮内庁が管理しています

このシーンは「弘安の役」の際 防塁で守備を固めている様子で 中央の騎馬武者が季長です

肥後勢が集うこの防塁は まさに「生の松原」の防塁です!

季長の馬の上に すまにゃが が...👀

 

・・・・・・

前編では「文永の役」について 書きましたが

後編では1281年の「弘安の役」について調べたこと 思ったことを書きますね(^_-)-☆

 

弘安の役」では 元軍の総計およそ15万人 軍船4400艘 という世界史上例をみない恐るべき規模の艦隊が編成されました⚓

文永の役」が3万人 900艘でしたから その5倍の兵力ということになります

 

軍は元・高麗兵を主力とした東路軍5万人 900艘と 旧南宋兵を主力とした江南軍10万人 3500艘に分かれて日本を目指しました

(いかり)の代わりに レンガや石臼 そして鍬や鋤まで 生活用品を満載していたと言われ 日本を占領し定住する気だったようです...

 

5月3日

朝鮮半島の合浦を出航した東路軍は 前回同様 対馬壱岐に侵攻⚓

対馬壱岐には「弘安の役」に関する史料はほとんど無いようですが これほどの軍の侵攻を事前に察知できないはずはなく 少数の兵で玉砕するような前回と同じ轍を踏んだとは思えません...

早々に本土へ逃れるか 深い森に隠れてゲリラ戦を展開したのではないでしょうか...

 

東路軍は壱岐で江南軍と合流し 一気に太宰府を陥れる計画でしたが 江南軍の到着が遅れたことと 日本軍が陣を移動させて隙ができたという情報を得たことで 江南軍を待たずに博多湾上陸作戦を敢行しました

 

志賀島から望む博多湾

ところが

日本側は博多湾岸に約20kmにも及ぶ元寇防塁を築き上げ すでに堅固な防衛体制を敷いていたのです✨

高さ3mもある石築地の上に 長弓を構えた騎馬武者が並び 浜辺には乱杭や逆茂木(さかもぎ)など 元の上陸を妨害する物も設置されていました

 

約2.2mという世界でもまれに見る長弓である日本の弓は 元軍の使う約1.5ⅿの短弓に比べて威力も射程距離も勝っていたといわれています

元軍を迎え撃つ武士たちのなかには 伊予の御家人 河野通有など 武勇を示すために石築地を背に陣を張った者もおり「河野の後築地(うしろついじ)」と呼ばれ 称賛されたと伝わります

せっかく頑丈な盾があるのに 自分が盾になるなんて💦

命が惜しいすまりんには とうていできないことです^^;

 

鉄壁の構えに 東路軍は博多湾岸からの上陸を断念せざるを得ず 元軍は「志賀島」を占拠して軍船を停泊させました

日本軍は 志賀島の元軍に対し「海の中道」から陸路 そして船団を組んで 昼夜を問わぬ波状攻撃を仕掛けたと言われます✨

 

船団には 竹崎季長も乗り込みました

 

飛行機からの写真ですが 翼の先と重なっているのが志賀島です

手前から伸びる半島が「海の中道」 で その向こうが先ほどの能古島です

 

・・・・・・

"てくてく🐾🐾”から ちょっと外れますが...

参考までに志賀島の写真を補足で載せておきますね(^_-)-☆

志賀島は橋を渡って車で行くことができる島です

 

志賀海神社

 

蒙古襲来絵詞志賀海神社の鳥居と社殿が描かれています

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ここに元軍の陣地が置かれたのでしょうか ...

 

「前編」でも記事を引用させていただいたぴーちゃんさん (id:gracedusoleil2525が 先日 志賀海神社についての投稿をされていました!

神社の詳細については ぴーちゃんさんのこちらの記事をご覧くださればと思います

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

志賀島の元軍に対しての日本軍の猛攻はすさまじく...

東路軍の司令官で東征都元帥の洪茶丘が危うく討ち取られる寸前となるほどでした

このため東路軍は志賀島を放棄し 壱岐へと撤退して 江南軍との合流を待つこととなりました

 

志賀島の金印公園の近くに「蒙古塚」が残されています

古くは「首切塚」と呼ばれたこの場所には元軍の兵士を弔う供養塔がありました

 

志賀島中心部の山中に「火焔塚」という史跡があるそうです

とりあえず 近くまで行ってみました🚗

 

入り口にある説明板⤵

 

車をとめ 誰も通りそうにない山道を歩いていきます🐾🐾

しばらく行くと 火焔塚登り口の小さな碑がありました⤵

 

「火焔塚」は下からも見えているあの祠かと思ったけれど...

祠の横から 塚の上に登るルートがありました^^;

 

大した距離ではないのですが 足場が悪かったです

おどろおどろしい雰囲気でしたが

 つつじの花の絨毯に心が和みます(*^^*)

 

あっと言う間に到着🚩

頂上には お社がありました

弘安の役」では 高野山の僧侶がここに籠って護摩を焚き勝利の祈祷を行ったのだそうです

 

余談ですが。。。ちょこっと美味しいお話を(^_-)-☆

ご当地グルメをいただきました(*^^*)

志賀島名物「金印ドッグ✨」

イカフリットと牛ステーキがゴロゴロ入っていました!

注文を受けてから作って下さるので アツアツで すごく美味しかったです✨

 

・・・・・・

”てくてく”に戻ります🐾🐾

 

「生の松原」の防塁をあとにして進んで行くと...

ニャ~ンと💛可愛い声で 呼び止められました

おなかすいたにゃん...

さくらねこ🌸でした!

※去勢・不妊手術を受けた印に耳の先端を小さくV字型にカットされた野良猫で マナーを守って餌をあげるには問題のない猫のことです

 

地元のかたから可愛がられているのか人懐っこく とても可愛い猫さんでしたが...

残念ながら すまりんたちは食料になるものを全く持っていませんでした💧

隣で すまきのおなかがグーグーなっているのを聞きながら歩いている最中でした^^;

すまきがひもじいのは放っておいたらよいのですけど(笑)空腹の猫に見つめられながら立ち去るのは断腸の思いでした(>_<)

 

すぐ正面に注意書きがありました!

 

さんの場所は...?

ちゃんとラインより右側で待機するお利口さんでした💛

今日は何もあげられなくて 本当にごめんね (>_<)

 

これまでも何度か猫におねだりされたことがあるので クリスピーキッスの小袋くらいはポケットに忍ばせておかないといけないかなぁと反省...

 

十郎川を渡るため 河口から橋のある上流まで 少し遡らないといけません

もう足が棒になって ちょっとでも遠回りするのは辛かったです💦

 

橋を渡り…

再び海沿いを歩いて行きます🐾🐾

「小戸公園」を通過...

公園内に 向浜の元寇防塁跡があるそうです

 

石碑はありましたが…

今は ただの松林のようです^^;

※昭和30年の台風で浸食され 崩壊したと言われています

 

いちおう 到達記念に写真を撮りました📷

 

姪浜」辺りから 現在と当時の海岸線が大きく違い始めます

何度見ても逆さのカメレオンに見える当時の海岸線(笑)

 

コーナン めいのはま店」を通り過ぎ…

 

しばらく進むと 脇地区の防塁跡に着きました

発掘調査で基底部が残っていることが確認されたのちに埋め戻されたそうです

ここは肥前国が築造を担当したと伝わります

さっき遠くに見えていた観覧車(マリノアシティ福岡のスカイホイール)が すぐ近くに見えました

 

いよいよラストスパート!


姪浜付近のかつての海岸線は ほぼこの「マリナ通り」の道と一致しています

 

名柄川を渡ります🐾🐾

遠くに福岡タワーの尖頭が見えてきました!

あの辺りが ゴールのはずです

 

鷲尾愛宕神社の建つ 愛宕山

元寇の後 幕府は鎮西探題を設置し 玄界灘を見渡せるこの山に城砦(探題城)を築城したと伝わります

 

幅広い室見川の河口を渡ります🐾🐾

 

振り返って愛宕山を見たら マンションのほうが背が高く見えました

 

疲れた足をひきずり歩きます…

 

百道(ももち)地区の防塁跡

住宅地の中に かつての海岸線を思わせる松並木が続いています

 

 

さらに進むと 西新地区の防塁跡がありました

ここは一部掘り出して 防塁が復元されていました


お隣の「西南学院大学1号館」の中庭にも元寇防塁が残っているとのことで 見学させていただきました

※平日の事務局が開いている時にしか見学できないようです

 

小さな中庭に 防塁の一部が復元されていました✨

 

これで 今に伝わる元寇防塁の遺構はすべて見学したはずです(^_-)-☆

ご褒美に ちょこっとスイーツを食べてから「西新駅」まで戻ります

道のむこうに見えるのは 福岡市博物館

金印✨が展示されていることで有名ですね(^_-)-☆

※展示品の中には撮影不可のものもありましたが金印は撮影OKでした(*^^*)

 

今日のすまりんのお目当ては そこからすぐ近くにあるお店💛

フルーツクローゼットカフェ 百道本店

りんご飴のお店です🍎

 

ココナッツ・ココア・シナモン・バターミルクなどのフレーバー

子どもの頃 夜店でりんご飴を買うのが楽しみだったすまりんですが...

ある時 飴の袋をはずしたら りんごに大きなハエがとまったまま飴で固まっているのを発見😱

それ以来 夜店のりんご飴は買わなくなりました^^;

 

こういうお店だと 多分(笑) 安心ですね(*^^*)

すまりんはハエを発見しやす無難なプレーンを選びました⤵

 

カットまたはホール(同料金)... テイクアウトも可能(^_-)-☆



りんご飴に全く興味のないすまきは 隣のコーナーでサンドイッチを買ってきました

すまりんは カット(食べやすさ💛)もホール(見た目💛)も捨てがたく 両方購入(笑)

 

ホールは冷蔵で3日保存できるので 後でゆっくり食べることにします

 

カットのは変色するので こちらでいただきました

美味しかったからか すまきも けっこう食べました(笑)

 

やっとおなかが満たされ 西新駅まで あとちょっと!!

 

12:49   西新駅到着🚩 

みんなで記念撮影📷

「今宿運動公園前」でバスを降りてから「西新駅」までの歩数は26827歩で 移動距離は18778mでした

 

前半の「香椎宮」→「西新駅」のデータと合わせると...

"元寇石塁を歩く" 総歩数は 50639歩 移動距離は 35443m でした

 

長い記事をお読み下さりありがとうございました

 

次回は「国民宿舎 いろは島」のお話です(*^^*)