すまりんの てくてく ふたり旅

部屋付き温泉のある素敵な宿と美食を求め 夫のすまきと全国飛び回ります!

古代日本の超重要施設✨長登銅山と鋳銭司のお話

山口県秋吉台を訪れているすまりんたち...

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秋吉台の美東展望所へ行く道の途中に長登(ながのぼり)銅山跡があります

ここは古代史ファンの人にとっては知る人ぞ知る場所なのです(^_-)-☆

 

広い駐車場の横に 長登銅山文化交流館があります

入館料は大人300円です

 

こぶっちゃんと一緒に記念撮影📷

 

入るとすぐにシアタールームで銅山についてのビデオを上映して下さいました

誰もいなかったので貸切です(^_-)-☆

※撮影もOKでした

 

752年に完成した 奈良 東大寺の大仏

平氏による南都焼討と戦国時代の戦乱で 大仏は2度焼け落ちていますので 創建当時の大仏はほとんどが失われてしまっています

3年にわたり 8段に分けて鋳造されたとされる奈良時代の大仏には約500トンの銅が使用されたと推定されていますが その銅がどこからもたらされたのか近年に至るまでわかっていませんでした

昭和63年の東大寺の発掘調査により 焼け落ちた最初の大仏の銅の組成から 使われたのはここ長登銅山の銅であることがわかったのです

これを受けて平成元年より10年間におよぶ長登銅山の調査が行われ 精錬跡や木簡など 当時の多数の遺物が発見されました

 

石灰岩盤の中にマグマが湧き上がってくると 石灰岩とマグマの接触面に熱水の作用で鉱物が凝集して沈殿することがあります

こうしてできた鉱脈を「スカルン鉱床」といいますが 長登銅山は 秋吉台石灰岩にマグマが接触した典型的なスカルン鉱床だそうです

 

秩父武甲山石灰岩の採掘で有名ですが そのすぐ近所で日本最初の銅鉱山が発見されました

和銅鉱山もスカルン鉱床です

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熱水の温度の違いで 銅以外にも 鉛・鉄・銀などさまざまな鉱物を含むことがあります

 

奈良の大仏の鋳造に使われた 長登の銅
長登(ながのぼり)の名前は「奈良上り」がなまったものだそうです

長登銅山の銅はヒ素の含有量が高いのが特徴で 大仏鋳造の職人たちに多数の中毒者が出たと伝えられています

こうした奈良平城京の汚染公害が のちの平安京遷都につながったとする説もあります

 

発掘調査の結果 坑道や精錬遺構が発見されました

当時の銅の精錬方法⤵

 

炉壁も発見されています

 

火焔で銅鉱石を溶融させているところ

 

浮いてきた不純物を取り出したものが「からみ」です

「金屎・金糞(かなくそ)」という言葉のほうが有名かも...?

 

体験コーナーで 持ち上げてみましたが 不純物でも すごく重かったです!

 

長登の銅は 大仏鋳造に使われたほか 和同開珎をはじめとした銅銭の製造にも用いられたそうです

初めは下関市長府にあった長門鋳銭司で貨幣の製造が行われましたが 825年に山口市南部に周防鋳銭司が置かれると 以後日本の貨幣はすべて周防鋳銭司で鋳造されました

 

 

銅山の鉱物は 日本画などに使われる顔料としても重宝されました


鉱山から出る孔雀石という石から緑青が作られます

 長登産の「滝ノ下緑青」は有名なブランドで 大変な高値で取引されたのだそうです

 

翌日 すまりんたちは周防の鋳銭司に行ってみました

 

本来 鋳銭司は「ちゅうせんし」と読んで 銭貨鋳造を司る 古代日本に置かれた令外官の一つでした

※今でも新幹線の新山口駅から東に5kmほどのところに 山口市鋳銭司という地名が残っていますが 読み方は「すぜんじ」です

 

周防鋳銭司跡は遺跡発掘後埋め戻されて 現在は何もない原っぱのようなので 近くにある「鋳銭司郷土館」を訪ねました

長沢池という江戸時代からあるため池を見晴らせる場所に郷土館はあります

Google Mapを見ると 池のほとりに「和同開珎 砂絵」というピンが立っていましたが…

ほとんど痕跡になっているようです^^;

 

施設の前に 駐車場がありました

鋳銭司郷土館(すぜんじきょうどかん)

 開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
 休館日:  毎週月曜(祝日の場合はその翌日)・年末年始

入館料は110円 !

 

向かって左側の展示室に 鋳銭司に関する展示がありました

 

周防鋳銭司で発掘された鋳銭工房が再現されています

実際には 長登銅山の銅を用いて和同開珎が作られたのは 下関にあった「長門鋳銭司」です

ここ「周防鋳銭司」では皇朝十二銭とよばれた国産銅銭のなかでも平安時代以降のものが作られました

最後の乾元大宝になると鉛の含有率が75%以上ともいわれるほど品位が低下し 936年をもって日本の公鋳貨幣発行は絶え 700年後の江戸幕府による寛永通宝発行まで 渡来銭や私鋳銭が流通することになりました

銅山も鋳銭司も歴史の彼方へと忘れ去られていったのです...

 

そんな鋳銭司の村は幕末に ひとりの英傑を生みました✨

彼の名は 大村益次郎

 

靖国神社 (千代田区)の境内に銅像がありますね

 

鋳銭司郷土館の向かって右側の展示室には 大村益次郎関連の展示があり 彼の45年の生涯をまとめたビデオを見せていただきました

これで入館料110円は安すぎますよね(*^^*)

司馬遼太郎の小説と言えば 「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」が有名ですが...

大村益次郎は すまりんの故郷 宇和島に縁があることもあり 彼を主人公に描かれた物語「花神(かしん)」は特にお気に入りです(^_-)-☆

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1977年のNHK大河ドラマのタイトルにもなりましたが 覚えておられるかた いらっしゃるでしょうか?

すまりんは...

残念ながら記憶にありません ^^;

 

今回 大村益次郎についてさらに興味がわいたので 25年前に購入した小説を読み返してみました

 

次回は めずらしく「伝記」です!

彼の足跡を追いかけながら 大村益次郎のお話をさせていただきます

 

※先日の四国南西部の地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます

幸い実家は大丈夫でした

ご心配をおかけしました

宇和島城天守も耐えてくれまして ほっとしております

メッセージを下さった皆さまにもお礼申し上げますm(__)m

 

名水百選「別府弁天池」と秋吉台のパノラマ

山口県に美しい池があると聞き すまりんたちは秋吉台の近くを訪れました

目的の池は山口県の中央部 美祢(みね)市の田園地帯にあります

 

駐車場が整備され 観光バスもとまっていました

 

名水百選✨にも選ばれている「別府弁天池」

 

水汲み用の蛇口が設けられていて ポリタンクに水を汲む人がひっきりなしに訪れていました


ちいさな直売所にはB Benten Blue ”と書かれたのぼりが...

 

直売所の横の路地を進みます🐾🐾

池から流れてくる疏水も涼やかです(*^^*)

石碑の向こうに エメラルド色がのぞいていますね⤵

これが別府弁天池です✨

写真ではちょっとお伝えしきれないのですが...

目の覚めるようなエメラルドブルー🩵

 

背景が素晴らしいので すまきも爽やかに撮れました(^_-)-☆

すまりんはちいさな須磨と一緒に(^_-)-☆

ちいさな須磨は2022年にお空に行った愛猫の分身です

 

池の周りには常に人がいましたが 何とか静かな写真も撮れました

浅く見えますが 水深は4mもあるそうです!

カルスト地形に見られるドリーネ(すりばち穴)とよばれる構造で 池底から毎秒186リットルの水が湧きだしています

水温は およそ14℃に保たれているそうです

適度にカルシウムを含んだこの水は飲用に適し「1杯飲めば1年 2杯飲めば2年長生き」と言われているそうです

 

ちょっとの日の当たり加減で表情が変わる気がして何枚も写真を撮りましたが あとで見たらだいたい同じでした(笑)

 

池のほとりに 弁財天を祭る厳島神社があります

当地を開墾していた長者が 水が足りなくて困っていたところ 白髪の翁に導かれてこの泉を得たのだそうです

 

石の鳥居から池の方向を撮影した写真も 神秘的でした✨

 

一方 池から流れ出す川の底は...

青い池とは対照的に赤い石で敷き詰められたようになっています

これはタンスイベニマダラという藻類が石の表面についているために赤くなっているのだそうです

綺麗な水でしか育たない藻だそうで 環境省レッドリストで準絶滅危惧種に指定されている貴重な物なのだとか...

こちらも珍しい光景でした✨

 

水は生活用水として使用され "にじます"の養殖も行われています

 

池のほとりに ます料理の店がありました

※今回すまりんたちは利用していません

 

秋吉台ジオパークの案内看板に「白水の池」が紹介されていました

この近くだし「池」繋がりで 行ってみることにしました(^_-)-☆

 

 

収穫間近ののどかな農道を進みます🚗

 

コスモスの花がいっぱい咲いていました(*^^*)

 

こちらが白水の池

道端の広くなったところに数台駐車できるスペースがありましたが 穴場のようで誰もいませんでした

 

池の中央にはお社がありました⤵

白水の池は農業用のため池ですが 奥の木が茂っている辺りの池の底から水が湧き出しているのだそうです

手前の用水路へどんどん水が放出されていますが 池の水が減っている気配はなさそうでした

 

青い空と緑が映えますね✨

 

お社の島へ橋がかかっています

でも パイプを連ねた橋は心もとなくて 渡るのは危険そうでした^^;

 

ちいさな須磨なら渡れるかな?

秋吉台石灰岩層を通り抜けてきた水は少し白濁していて そのために「白水の池」という名がついたそうです

 

池の端の木陰に座って ぼ~っと眺めていたい景色でした

 

ここから5分ほど車を走らせた場所に 有名「秋吉台秋芳洞」があります

秋芳洞には20年以上前に(笑)行ったことがあります

※「写ルンです」で撮影したと思われる写真で アルバムにはこの2枚+すまきと同じ場所で撮影したすまりんの写真しかありませんでした^^;

実際の鍾乳洞は 広大で素晴らしい景色です✨

 

今回は時間の都合で鍾乳洞はパスして 秋吉台カルスト台地を見に行きました🚗

秋芳洞の入り口から車で3分ほど坂道をのぼると秋吉台展望台があります

砂利の駐車場にとめましたが 調べてみると正面にきれいな駐車場もあったようです

 

秋吉台を縦断するカルストロードの下をくぐりぬけます🐾🐾

 

立派な展望台がありました!

まさにコスモスが花盛り✨

 

青い空に白い雲...

なだらかな緑の丘には"ピナクル”とよばれる羊の群れのような石灰岩の白い石が点在していました

 

Mine秋吉台ジオパークセンター  Karstar(カルスター)

秋吉台を眺めながら寛げる無料休憩スペースで カフェも併設されています

おいしそうなシャーベットも販売されていました

サラダほうれんそう・くり・りんご・秋芳の梨・酒粕(日本酒:天美) etc...

 

景色の見えるカウンターで 秋芳の梨のシャーベットをいただきました



ちいさな須磨がキャリーから出てきました!

須磨も 景色より ジェラートです(笑)

ジェラートはさっぱりとした甘さでとっても美味しかったです(*^^*)

でも ここからの景色だと建物や道路が写り込みやすいので もうちょっと秋吉台の中心部の展望台「美東展望所」に行ってみることにしました🚗

 

地図を一見すると 秋吉台展望台からカルストロードを北に進めば行けるように見えますが 赤丸で囲んだ部分は四つ辻ではなくトンネルの立体交差になっています

カルストロードから行く場合は 少し先の長者ヶ森駐車場から徒歩で...

直接車で行くなら ぐるっと大回りして東側の国道490号線から細い道を進む必要があります

 

すまりんたちは「長登銅山」に寄りたかったので大回りのコースで…

※次回 長登銅山のお話をさせていただきます(^_-)-☆

すすきの繁る丘の間を縫うように進みます🚗

坂をあがると ちょっと寂れた展望所に到着しました

3台分くらいの駐車スペースがありました

※この先は行き止まりです

 

展望台に上がってみました

ずっと向こうまで 草原の丘が続いています

 

丘の間を カルストロードが横切っているのが見えますね

車のCMに良さそうだなと思ったら...

実は 日産・ホンダ・ダイハツとCMのロケに何度も使われていました

それで こういうイメージが浮かんだのでしょうね^^;

 

誰もいない草原...

雲がゆっくりと流れていきます...

上の写真の右のほうに ぽつんとたたずむ森がありますね

 

「長者ヶ森」といいます

昔 贅沢におぼれて物を粗末にした長者が 神様に見放されて落ちぶれたという”長者が森伝説”が残っています

平家の落人が住んでいたという伝説もある不思議な森だそうです

神聖な場所なので そのまま残されているようです

パワースポットと言われ 森の中を抜けることもできるそうですが すまりんたちは遠くから眺めるだけにしておきました(^_-)-☆

 

よく見ると 林立するピナクルで山肌がまだら模様になっています

手前のピナクルとちいさな須磨の耳を同化させてみました(^_-)-☆

ちょっと無理がありますかね(笑)

 

次回は「長登銅山」のお話です

萩八景遊覧船と萩城のお話... シメは美味しいプリンで(^_-)-☆

城下町 は 水の都ともよばれるそうです

阿武川の三角州の上に立地し 堀や運河で区切られた町は水の恵みを受けてきました

維新の元勲の屋敷が残る情緒豊かな町並みも素敵ですが 川から町を眺めるのもまた違った趣があります(*^^*)

 

前半は 萩八景遊覧船のお話

後半は 旧厚狭毛利家萩屋敷と萩城登山のお話

シメにちょこっと...

 萩城下の美味しいプリンのお店のご紹介です

 

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萩八景遊覧船

萩城のすぐ近くに「萩八景遊覧船乗り場」があります

広い無料駐車場も完備されています(^_-)-☆

乗船料金: 大人(中学生以上)1200円

      小学生以下  600円 

      3歳未満  無料

※12~2月を除き毎日運航されていますが 悪天候の場合は運休です

平日にも関わらず武家屋敷街には観光客がけっこうおられましたが ここはちょっと穴場のようです

すまりんたち以外には一人旅の女性だけの ほぼ貸切状態でした✨

救命着を着て乗船します

船着き場の川は 指月川(萩疏水)とよばれます

萩城のお堀のように見えますが 河口に砂州が発達して氾濫をおこしやすい橋本川の水を迂回させる治水対策として大正時代に掘削されたものだそうです

 

さて 出発です!

まずは17秒の動画からどうぞ(^_-)-☆

※音量にご注意下さい

 

ここから橋本川に出ます

↑ 左に見える常盤大橋の下をくぐって上流へと向かいます

 

このあたりは上級武士の館跡が並んでいます

藩主の別邸もあったそうです

 

さらに上流に遡ります

 

三の丸を区切るお濠の入り口が見えてきました

🔎奥に「平安橋」が見えています

城下町と三の丸を結ぶ三か所の総門のうちのひとつになります

 

岸辺に続く 白壁と松林...

左手には田中義一別邸がありました

田中義一といえば 第26代の内閣総理大臣です✨


ここでUターンします⛵

 

船頭さんが すまりんたちの写真を撮って下さいました

 

このあたりの景色が 萩八景のひとつ「玉江秋月」の風景のようです

「八景」というのは中国の瀟湘八景(しょうしょう はっけい)に由来します

瀟湘は湖南省一帯の地域で 洞庭湖とそこに流れ入る瀟水と湘江の合流するあたりです かつて楚の国の中心地として栄えた神話や伝説に彩られた土地で 古より風光明媚な水郷地帯として知られています

北宋時代に宋迪という人が瀟湘の八つの景勝を

山市晴嵐・漁村夕照・遠浦帰帆・瀟湘夜雨・煙寺晩鐘・洞庭秋月・平沙落雁・江天暮雪

として山水図に描いたところ この画題が流行し やがて日本にも伝わりました

日本では「近江八景」や「金沢八景」が有名ですね✨

 

毛利藩3代目藩主 毛利吉就が お抱えの絵師・歌人・学者に命じて萩城下の佳景を選ばせ 以下の八景を定めました

上津江晴嵐鶴江夕照 ・ 倉江帰帆 ・ 中津江夜雨 ・ 小松江晩鐘 ・ 玉江秋月 ・ 下津江落雁桜江暮雪

 

 

橋のたもとのお堂は 玉江観音として知られる潮音山観音院の観音堂です

たしかに 風光明媚な景色ですね(*^^*)


赤いバスは 萩循環まぁーるバス

西回りコース(晋作くん)と 東回りコース(松陰先生)があります

 

右手に面白い形の山が見えてきました⤵

萩のシンボル「指月山」です

指月山の山頂が 後半でお話しする萩城の詰の丸になります

 

再び玉江大橋をくぐって...

遊覧船乗り場まで戻ってきました⤵

そのまま通り過ぎて...

こんどは日本海のほうに向かいます

 

正面に低い橋が見えてきました

 

通り抜けるために 屋根を下げます⤵

 

こちらは20秒の動画です

 

無事通過(*^^*)

 

 

正面に見える ソンブレロハットのような山は 笠山です

 

左手には先ほど登場した指月山が迫っています

指月山をぐるりと囲むように お城の石垣が続いています!

防長二州に押し込められたとはいえ さすがは大身の毛利家の居城です

スケールが違いますね✨

 

船頭さんがサービスで 操縦体験をさせてくれました!

すまりんは おっかなびっくり(笑)

すまきもすすめられたけど 自分は経験者だからと操縦体験を辞退...

釣りが趣味のすまりんの父は船を持っているのですが その流れで(笑)実はすまきも船舶免許を持っているのです(^_-)-☆

本当は 失敗したらカッコ悪いと思ったからかも(笑)

 

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旧厚狭毛利家萩屋敷

 

遊覧船乗り場のすぐ先に 旧厚狭毛利家萩屋敷の長屋が残っています

毛利家には一門八家とよばれる家老の家柄がありましたが 毛利元就の五男 元秋を始祖とする厚狭毛利家もそのひとつでした

厚狭毛利家萩上屋敷は 萩城の真正面の一等地にあって4700坪の広大なものでした✨

 

同じ家臣でも萩城から4kmも離れた29坪かやぶき屋根の伊藤博文旧宅とは雲泥の差です

※過去に訪れた時の写真です

 

萩屋敷の母屋や庭園などは明治維新前後に解体され この長屋のみが残っています

 

萩城のジオラマが展示してありました

誤解を恐れずに言えば...

萩は 函館に似て陸繋島(トンボロ)の砂州の上にできた町です

砂州を横断するように濠で区切って三の丸・二の丸と囲み ちょうど函館山にあたる「指月山」の麓を本丸とし さらに最終決戦地として指月山山頂に詰丸を設けた極めて防御能力の高い城といえそうです✨

 

萩城には白亜五層の天守がありましたが 明治7年に解体されてしまいました💧

 

こちらが大手口にあたる 二の丸南門です

正面玄関だけあって 石垣も立派ですね!

 

藩祖 毛利輝元銅像がありました

 

南門の桝形は 中央についたてのような石垣のある複雑な造りになっています

ここでも防御は手厚いですね...

 

二の丸に 萩焼の窯元がありました

萩焼は 若かりし頃のすまりんたちが初めて買った"焼き物"なので ちょっと思い入れがあるのです(^_-)-☆

 

おや! お店の奥からネコさんが出てきました!

いらっしゃいにゃ!

有名なネコさんだったのですね💛

 

素通りするところでしたが せっかくなので ちょっとおじゃますることに...

店内には食器や花瓶などが並んでいましたが ネコさんがひっくり返したりしないのか心配になりました^^;

すまりんたちは 今回こちらの一輪挿しを購入しました⤵

一個は自分用で 一個は母へのお土産です(^_-)-☆

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ネコさんは店内をパトロールしていますが 商品には見向きもしません 

えらいですね(*^^*)

 

レジのカウンターから ジャンプ!!

とっても可愛いネコさんでした💛

 

 

さて  萩城に登ります🐾🐾

 

内濠にかかる極楽橋を渡ると いよいよ本丸になります

先ほどから天気が回復してきました(*^^*)

 

維新後に石橋になりましたが 江戸期には木橋で 有事にはすぐ落とせるようになっていたそうです

 

濠にせり出すように 扇の勾配の石垣が美しい天守台がそびえています✨

天守を壊さずに残しておけば 萩単独で世界遺産指定が狙えたかもしれません

※「明治日本の産業革命遺産」として長崎・北九州などと抱き合わせで萩市内の5つの史跡が構成遺産となりました

 

本丸門の桝形を抜けて🐾🐾

 

この階段は雁木坂とよばれるもので 城塁の上に駆け上がるためのものです

 

天守台までやってきました

 

この広場は天守背後の付櫓が建てられていたところです

天守台へはさらに階段を登ります

 

立派な礎石ですね✨

さっき渡った極楽橋が見えています⤵

 

さて これから指月山山頂を目指します(^_-)-☆

 

13:33 スタート

山頂までは730m

 

大した登山ではありませんが 草が茂っていて暑そうです^^;

前半は足場はそんなに悪くありませんでした




駐車場に戻るのが面倒くさくて 萩焼の花瓶を持って登るすまき

ちょっと急いでいたので ネコさんが出て来なかったら買ってなかったかも?

ネコさん 良い仕事をしていますね(笑)

ちょうど半分くらいまで来ました

山頂まで12分(350m) だそう...

こういう看板があるとありがたいですね(*^^*)

 

だんだんゴールが近づいてきました

 

猛烈な蚊の大群に襲われながら^^; 進みます🐾🐾

 

山頂の石垣が見えてきました(*^^*)

 

ここが萩城要害ともよばれる指月山山頂の詰丸跡です

 

13:50 到着🚩(登りの所要時間は17分でした)

入り口の要害門跡

小さいながら ここもちゃんと桝形になっています

 

やはり山城は冬に来るべきです^^; 草だらけです💧

本丸と二の丸があり 7基の櫓を備え ここ単独でも本格的な城郭としての機能がありました

江戸期を通じて常時6~7名の番兵が泊まり込んでいたそうです

 

ピンボケ^^;

水の手として 雨水を貯める貯水池がありました⤵

昭和40年に土塀の一部と共に復元整備されたものだそうです

樋があって 面白い遺構です

 

こんな山頂にどうやって石垣を運んだのかと思っていましたが…

あちこちに石を切り出すノミの跡が残されていました

山頂の石を割って石垣を組んでいたのでしょうか...

 

これは 何でしょうね...


向こうに視界の開けた所がありました

 

ビュースポットの案内(※西の方角を望んだ景色です)

 

砂州で閉じられた 橋本川の河口が見えています

向こうに見えるのは青海島でしょうか...

金子みすゞで有名な 長門市仙崎の方角です

詰丸もいよいよアウトとなったら 裏の断崖を降りて舟で落ちのびることもできそうです

 

ミニボンビー(笑)のような"ヤブ蚊"にたかられ退散して山を下りました💨💨

 

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木戸孝允の旧宅の近くに  萩ぷりん亭 があります

隣に無料駐車場がありました⤵

 

すまりんたちはちょっと離れた有料駐車場に車をとめてしまいました^^;

 

萩には猫が多いですね(=^・^=)

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いろんなプリンが並んでいます

 

イートインの場合 カウンターとテーブル席があります

 

屋外でもいただくこともできますよ(^_-)-☆

 

メニュー

 

二人とも萩ぷりんパフェ(630円)にしました

ソフトクリームもプリンも濃厚...

でも 甘すぎず とっても美味しかったです(*^^*)

 

この後 「萩八景」のひとつ 鶴江夕照の見られるお宿に向かいました🚗

 

次回は      
 「萩八景 雁嶋別荘」のお話です(^_-)-☆

 

猫の寺「雲林寺」と そのゆかりの「天樹院」そして 猫町散歩...

すまりんたちは 萩市の山間部に来ています🚗

 

稲穂がたわわに実った田んぼに赤い石州瓦が映える のどかな道を進むと…

 

めざすお寺が見えてきました

 

山門を通り過ぎたところに観光バスもとめられる大きな駐車場があります

駐車場から直接本堂にも行けますが...

 表に回って山門から入場しました⤵

階段の横に 猫の石像が鎮座しています(=^・^=)

ここ雲林寺”ねこの寺”なのです!

 

ちいさな須磨も一緒に連れてきました

ちいさな須磨は2022年にお空にいった愛猫の分身です

 

山門も 猫のパラダイスです✨

何種類かのプラカードから すまきが選んだのはこちら⤵

須磨は怖そう... ^^; 遠のいています(笑)

 

コロナ対策のため 密は避けて...

平日の午前だからか 参拝者は数組だけでした(^_-)-☆

 

本堂に着きました

 

おや!可愛い猫さんがお出迎えしてくれました💛

こちらのお寺で飼われている猫さんだそうです!

 

本堂に上がらせていただきます

拝観料は無料! 写真歓迎✨とのこと...(*^^*)

 

いきなりの猫みくじ✨ 200円

素焼きの猫のおみくじです

どの子にしようか 迷いますね...

 

こちらは 外国語バージョン!?

英語・中国語・タイ語・韓国語がありました

外国人の観光客にも有名のようですね(*^^*)

 

こちらの猫みくじは 存在感大です!

4倍猫みくじ!

お値段2倍  幸せ4倍 400円

 

とにかく 玄関は猫一色です (=^・^=)

その他にも かわいいステッカーやお守りも⤵

 

ユニークなグッズもいっぱいありました⤵

お寺のかたが不在の時もあるので それぞれの場所に代金箱が用意されていました

お寺のかたを呼びに行かないと両替もできないので 小銭をたくさん用意されておくのがおすすめです(^_-)-☆

 

すまりんたちは こちらを購入しました⤵

 

猫みくじは 4倍サイズのキスケと普通サイズのジロキチです

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般若心経のファイルと経典 (猫バージョン!

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中身をちらっとお見せいたしましょう(^_-)-☆

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はんにゃ はらみた…

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 ...  こんなのまで 良いのでしょうか(笑)

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すまりんたちは昔 四国八十八か所を巡ったことがあり 般若心経は一応唱えることができるのですが これは 爆笑でした^^;

余談ですが 4年前「お題」で投稿したものです⤵

今年(2024年)も まさに "うるう年"ですね✨

 

では 奥へ おじゃまします!

色紙がいっぱい飾られていました


廊下にも大きな猫さまが✨

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この写真にはちいさな須磨もいますよ⤵

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梁にぶら下がる猫さん👀

あっちにもこっちにも猫猫猫...

 

京都の「猫猫寺」を思い出しました

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雲林寺の大広間には プロムナードに巨大猫の頭が並び...

 

猫たちが集会をしているもよう...

動きも生き生きしていますね✨

 

笑...


箱入り娘だったちいさな須磨は はじめて猫の集会に参加しました

 

お庭の様子...

 

マスクをした猫さん 発見!

猫の絵馬がいっぱい奉納されていました




鐘楼

よく見ると 色んな動物たちが...

 

このお寺が猫のお寺になったのには 実は由来となった物語があるそうです

 

  ⇩ ⇩ ⇩ 

 

豊臣家五大老の一人で 事実上の長州藩の藩祖 毛利輝元

関ヶ原の戦いで隠居となった輝元は まだ幼かった嫡男 秀就を助けつつ 徳川幕府のもとでの長州藩の生き残りに腐心していましたが 73歳で没し萩城三の丸の天樹院に葬られました(※上の写真は萩城にて撮影したものです)

 

武家屋敷の並ぶ萩の城下町に今も残る天樹院墓所

 

拝観料:大人20円 子供10円 です

なんと良心的な金額なのでしょう!

中でお参りもしないといけないので10円玉が足りず 二人で50円納めさせていただきました

 

ここ「萩市の毛利藩墓地」は「金沢市の前田藩墓地」「対馬の万松院」と並び ”日本三大墓地”のひとつに数えられます

三大〇〇...色々あるんですね

 

たまたまですが 以前「対馬の万松院」にもお参りしていました ↓

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~以前の記事から引用~

「日本三大墓地」というものがあるらしく。。。

金沢の前田家墓所・萩の毛利家墓所とともに この対馬の万松院がそれにあたるそうです!

こちらが対馬藩初代 宗義智公の墓所です

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天樹院のお話に戻ります


毛利輝元は 静かな木立の中で夫人と共に眠っておられます

 

ところで 輝元の家臣に長井治郎左衛門元房という人がいました
元房は若い頃に藩を出奔して他国を放浪していましたが 輝元はその間も彼に銀子を与えて庇護し 戻ってきた時には以前同様に家臣として遇したのだそうです

 

大恩ある輝元が亡くなった後 元房は後を追って殉死してしまいました

輝元墓所のかたわらに 長井元房の墓があります

ここに「猫」という言葉が出てきます⤵

 

元房にはたいへん可愛がっていた猫がいました

 ※雲林寺にあった絵をお借りしています

その猫は元房の殉死後 天樹院の元房の墓前から離れようとせず ...

四十九日の法要の日に舌を噛んで死んでいたと伝えられています

 

なんとも悲しいお話ですね💧

 

それから元房の屋敷の前を通ると 主を呼ぶ猫の鳴き声が聞こえるようになり 家の前の通りは 猫町(ねこのちょう)と呼ばれるようになったそうです

 

天樹院から猫町を見に行こうとすると…

一匹の猫さんが現れました!

 

こっちにゃ!

すまりんたちを先導してくれています🐾🐾🐾

 

何してるにゃ!はやく!

後ろからバイクがやってきたので猫さんは左の塀に上がってしまいました

 

カギしっぽの凛々しいキジトラさん

 

じゃあね!

 

萩博物館の裏手のこの通りが 猫町だそうです

特に「猫」を感じさせるものはありませんでした

 

亡くなった猫は 寺の僧によって手厚く葬られました

 

そして...

萩市のキャラクター 忠義の猫 萩にゃんとしてよみがえりました✨

※写真は 萩観光協会HPより

 

「天樹院」は残念ながら維新後に廃寺となりましたが 最初にご紹介した「雲林寺」はその流れをくむお寺なのだそうです

 

忠義の猫の命日 7月21日には雲林寺でねんねん猫供養祭がとり行われています

 

 

以上 猫だらけの 萩のお話でした(=^・^=)

 

次回は

萩八景遊覧船と萩城のお話です

 

鞆の浦 ぐるり観光

すまきとすまりんがこのたび訪れた鞆の浦(とものうら)広島県福山市の港町です

鞆の浦は 瀬戸内海のほぼ真ん中にあり この辺りで東西の潮の流れが変わることから 瀬戸内海を横断する船はここで一旦 潮の流れが変わるのを待ちました

ということで 鞆の浦「潮待ち港」として知られ 江戸時代を偲ばせる建物がたくさんあります

そういえば「崖の上のポニョ」の舞台になったとも言われていますね(^_-)-☆
宮﨑駿監督鞆の浦の古民家に滞在中「崖の上のポニョ」の案を練られたとのこと…

 

 

今回は小さな宝石箱のような鞆の浦の町を巡ってみたいと思います

 

観光の順番が前後しますが この順にご紹介します

❶東洋一の景色の寺 福禅寺の対潮楼

❷「平成いろは丸」で仙酔島へ

❸活魚料理 鯛めし 千とせ

❹龍馬の隠れ家  桝屋清右衛門宅

❺鞆の浦港と「汐ノ音」の映えスイーツ

❻いろは丸記念館

❼鞆城 と ささやき橋

❽医王寺 太子殿からの絶景

 

 

❶東洋一の景色の寺 福禅寺の対潮楼

港町特有の細い路地を抜けて 坂をのぼり詰めると石垣のお寺が現れました

海岸山福禅寺

江戸時代 朝鮮国王が日本に派遣した外交使節団「朝鮮通信使」は 対馬壱岐から瀬戸内海を通り 大坂・京都を経て江戸に向かいましたが その途中で寄港した鞆の浦では この福禅寺に滞在したそうです

本堂の奥の「対潮楼」からの眺めがとても美しいということです...

拝観料: 大人200円  中高生150円  小学生100円

 

こちらが「対潮楼」⤵

江戸時代の元禄年間に福禅寺の客殿として建てられ 朝鮮通信使のための迎賓館として使われました

 

後半でご紹介する常夜燈と共に サザエさんのオープニングにも使用されていたようです

 

緋毛氈の敷かれた座敷からは 瀬戸内海に浮かぶ仙酔島弁天島が一望できます

   ⇩ ⇩ ⇩

絵画のような美しい景色に 朝鮮通信使の高官たちは「対馬から江戸までで一番美しい」として「日東第一形勝」と評し 隷書にしたためたそうです

 

確かに 絵画のような風景に見とれてしまいます

 

貴重な書が朽ちるのを恐れた福山藩が 書を木額に写したものが今も残されています↓

 

朝鮮通信使の絵図など 歴史資料も展示されていました

幕末に 坂本龍馬海援隊の操船する「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」が衝突し いろは丸が沈没する事件が起こりました

鞆の浦坂本龍馬らと紀州藩の補償に関する談判が行われましたが ここ対潮楼もその会場のひとつとなったそうです

 

「面白写真」…!?

レンズが3つのスマホしかもっていなくて どこに合わせたら良いのか分からず^^; なかなかピントを合わせられませんでした💧

 

何回もトライして ようやく撮れた1枚

向かいの弁天島にある弁天堂が見えました(^_-)-☆

 

龍馬も見たであろう美しい仙酔島


今は「平成いろは丸」が渡船として活躍し 渡ることができます

目次へ↑

 

 

❷「平成いろは丸」で仙酔島へ 

「平成いろは丸」は 龍馬が乗った蒸気船「いろは丸」を模した船です

船場は福禅寺のすぐ下にあります

営業時間:7:10~21:30

券売機で往復券を購入します

 

ちょっと雲行きが怪しいですが ^^; 船に乗り込みました!

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船内もお洒落です✨

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ただし たったの5分ほどで仙酔島に到着するので あまり寛ぐ余裕はありません

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出航!

 

振り返った高台の上にあるのが 先ほどの福禅寺対潮楼です


船場の隣には 以前宿泊した「汀亭 遠音近音」が見えました

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鞆の浦周辺には素敵なお宿がいくつかありますが おすすめのお宿です

※ブログを始める5年ほど前に宿泊したので写真をあまり撮っていないのですが  雰囲気だけは味わっていただけると思います(^_-)-☆

 

まもなく仙酔島の桟橋に到着です

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晴れると日差しがきついので 日傘をさしています

 

島には遊歩道が整備されていますが この時は落石のため通行が制限されていました

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島の海岸近くの遊歩道を一周する予定でしたが 通行できない区間があるので途中で折り返してもと来た道を戻ってくることになりそうです

見どころは海岸沿いに多いみたいなので 残念^^;

 

待合所

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1時間に3便しかないので まずは帰りの時刻表を確認しました

ただいま12:36ですが この分だと1時間もかからなそうなので13:15の便で帰る目標にしました

予約制ではないので 間に合わなければ次の便に乗船出来ます(^_-)-☆

 

舗装されて歩きやすい道です

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国民宿舎がありましたが 今は閉館しています

※2023年10月に解体されたようです

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島には民間の宿泊施設が別に一軒あります⤵

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海岸線の遊歩道は現在立ち入り禁止区間です

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山の高い方に向かい またこの道を戻ってきます🐾🐾

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「仙人ヶ丘コース」の案内はかなり古い看板でした^^;

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現在地が めくれています^^;

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この先に展望台があるようです

今でも多くのかたが訪れる観光地なので もうちょっと改善していただけたらなぁと思いました

 

ところで この仙酔島...

“仙人も酔ってしまうほど美しい島”というのが名の由来だそうです

 

仙人ヶ丘からの眺め...

少し雲がちになったのと 電線のせいで 想像したほど絶景ではありませんでした^^;

 

もう少し進んだ所に「赤岩展望台」があります🐾🐾

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こちらが展望台からの眺めです

青空だったら全然イメージが違ったのでしょうね^^;

 

少し時間に余裕があったので 一旦海岸まで下りて🐾🐾

本当に立ち入り禁止になっているのか確認してから 引き返しました(笑)

登りの時間を考えておらず^^; 時間が押してきて 途中で走ることに💨(笑)

 

なんとか予定の時間に間に合いました^^;

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ふたたび「平成いろは丸」で鞆の浦に帰りました

目次へ↑

 

 

❸活魚料理 鯛めし 千とせ

船場のほど近くにある「活魚料理 鯛めし 千とせ」で昼食をいただきました

営業時間:11:30〜15:00 / 18:00〜21:00 火曜休(※祝日なら木曜休)

 

数組のかたがお店の前の椅子で待っておられ すまりんたちも10分ほど待ちました

混雑していて 店内の写真はありませんが お座敷とテーブルがありました

 

おすすめの 「鯛茶漬け御膳」をいただきました

鯛の天ぷらは からりと揚がって身がホクホクでした💛

 

鯛の切り身をご飯にのせて...

お茶漬けにします⤵

お刺身は弾力があってしっかりお味もついていて美味しかったです✨

すまりんの故郷の郷土料理宇和島鯛めし」にちょっと似ていると思いました

 

下の画像は「松山鯛めし」ですが 宇和島鯛めし」も登場しますのでご覧ください(^_-)-☆

目次へ↑

 

 

❹龍馬の隠れ家  桝屋清右衛門宅

「鯛めし 千とせ」の前の道を数十m進んだ所に桝屋清右衛門宅はあります

「いろは丸事件」の頃 龍馬が隠れていた部屋が残されています

 

一階の土間部分にある「瀬戸内小物と暮らしの雑貨 MASUYA」で入場料を支払い 邸内に上がります

 

こちらは帳場

床の間に龍馬の写真が飾られています

 

「いろは丸」はイギリスで建造された蒸気船です 

長崎のグラバー邸で有名なトーマス・グラバー薩摩藩に売却し その後 伊予大洲藩へと売られました

 

1867年...

幕末四賢侯とよばれた 島津久光薩摩藩主の父)・松平春嶽(前越前藩主)・山内容堂(前土佐藩主)・伊達宗城(前宇和島藩主)が京都に集まり いわゆる「四侯会議(しこうかいぎ)」が開かれました

それに先立ち 各藩は兵を率いて上京しますが 土佐藩でも長崎から大坂へ小銃・弾薬を輸送する必要が生じ その輸送のために大洲藩の「いろは丸」が貸与されることとなりました

そこで「いろは丸」の操船を任されたのが坂本龍馬以下"海援隊"の諸士だったのです

 

後で出てきますが「いろは丸沈没」の責任は紀州藩にあるとして 龍馬は多額の賠償金を請求しました!

双方の主張は対立し 龍馬らは寝込みを襲われないように民家の屋根裏に潜んでいたのだと伝えられています...

上の写真の階段は後につけられたものです

 

当時は天井の板をはずしてはしごで昇降していたそうです

これが屋根裏部屋です⤵

ここで密会が行われていたのでしょうか...

 

屋根裏の奥にもう一つ「隠し部屋」がありました

歩くと床がミシミシ... とても歴史を感じる邸内です

龍馬が隠れていた6畳の間がそのまま残っています

龍馬の息遣いが残っているようで 緊張が走りました...

手紙はもちろん複製です

 

緊張気味のすまき

なかなかできない体験をさせていただきました✨

 

ちなみにすまりんたちは 龍馬が宿泊したと伝わる倉敷の旅館のお部屋にも泊まったことがあります

www.aranciarossa.work

 

 

※龍馬交渉跡

紀州藩との談判は 福禅寺対潮楼のほか 港に近い「魚屋萬蔵の邸宅」でも行われました

龍馬が紀州藩の船長と賠償交渉を始めた場所で 「いろは丸事件談判跡」の石碑があります

魚屋萬蔵宅は 現在リノベーションされて「御舟宿いろは」という 宿泊施設になっていて 龍馬が実際に談判を行った部屋でお食事ができます

※こちらは 次回 ご紹介の予定です(^_-)-☆

 

※圓福寺

一方 紀州藩の宿舎として用いられたのが圓福寺です

港町の細い階段路地を登って行きます

おや? かわいい猫さん 発見!

隣に猫屋敷がありました

 

こちらが圓福寺です

 

この丘一帯はかつては大可島という島で 城が築かれていたそうです

南北朝時代に激戦があったと伝えられています...

 

寺の裏側から 仙酔島の絶景を望むことができました(*^^*)

 

こちらも絶景💛

目次へ↑

 

 

鞆の浦港と「汐ノ音」の映えスイーツ

「魚屋萬蔵の邸宅(現在は 御舟宿いろは)」から20mほど坂を下ると鞆の浦港に出ます


海沿いに建つ古い民家がスイーツのお店になっていました

汐ノ音(しおのね)

営業時間:平日 11:00~17:00 土日祝 10:00~18:00

店内にも小さいテーブルがいくつかありますが テイクアウトして港でいただくのもおすすめ(^_-)-☆

無料シート貸し出しもありました

 

目移りするくらい可愛いメニューが揃います✨


鞆の浦ソフト(ミックス)430円

昔ながらのミルクと 瀬戸内レモネードのミックス

添えてあるビスケットは鞆の浦のシンボル 常夜燈です✨

 

ソーダフロート(瀬戸内レモネードベース)760円

 

二回目は(笑)鞆の浦パフェ 680円 をテイクアウト

青色ゼリーと杏仁豆腐で 鞆の浦の海と青空をイメージしているそうです

パフェにも常夜燈のビスケットが添えられています

 

ピンぼけてますが 港の向こう岸に本物の常夜燈が見えています

 

せっかくなので港の細い路地を抜けて常夜燈 に行ってみましょう...

 

突端にそびえるのが常夜燈(昼間は人がいっぱいだったので これは早朝の写真です)

船の出入りを誘導する江戸時代の灯台灯篭燈(とうろどう)とも呼ばれます

海中の基礎の上からてっぺんの宝珠まで11mあり 港にある常夜灯としては日本一の高さを誇ります✨ ※1859年建造

目次へ↑

 

 

❻いろは丸記念館

常夜燈のすぐ横に いろは丸記念館がありました

 入館料 :小学生以上200円

 

龍馬の乗った「いろは丸」と 紀州藩の「明光丸」が衝突したのは 笠岡諸島の六島沖でした

深夜23時頃のことだったそうです

「明光丸」のほうがかなり大きく 一旦バックした「明光丸」が「いろは丸」を救助しようと接近した時 操舵を誤って再衝突し「いろは丸」は大破しました

自力航行不能となった「いろは丸」は 修理施設の整った鞆の浦へと曳航されましたが 風雨が強くなった翌日早朝に 宇治島沖で沈没しました

 

沈没した「いろは丸」の船体は1980年代に海底で発見され潜水調査が行われ 引き揚げられた船体や積み荷の一部が展示されていました

 

海底の状況が復元されています

 

船が交錯する時には 互いに右へ舵を切って相手を避けるのが原則です

「明光丸」は右へ 「いろは丸」は左へ舵を切っており この点では「いろは丸」に非があるようですが「明光丸」も士官を見張りに置いておらず 二度目の衝突を起こしたミスもありました

4日間にわたる鞆の浦での談判で 紀州側は金一封(千両)を出して事を収めようとしますが 龍馬側は「積み荷の銃火器・金塊の賠償として8万両あまり(現在価値で164億円とする試算もあります👀)を支払え」と主張し 交渉は決裂しました

その後 交渉の舞台は長崎に移り 最終的に紀州藩は7万両を支払うこととなりました

 

※こちらは長崎の龍馬のブーツ像と 亀山社中海援隊の前身)の跡⤵

 

海底の潜水調査で いくつかの交易品は見つかったものの 龍馬らが主張した銃火器などの積荷はまったく確認されておらず 紀州藩から多額の賠償金をせしめるための「はったり」であったとみられているそうです^^;

しかし 龍馬自身は支払われた賠償金を見ることなく京都で暗殺されてしまいます

※龍馬の死後 賠償金を受け取った海援隊中島信行の説明板が長崎にありました

 

記念館の2階には 先ほど訪れた「桝屋清右衛門宅」の隠れ部屋が再現されていました

あのお部屋は1989年の調査で発見され 2011年から公開されているのだそうです

 

こちらは「いろは丸記念館」に再現されたお部屋です

羽織を着て ツーショット写真が撮れるようになっています

先に本物の隠れ部屋を見てしまっていたので こちらはさっと見ただけです(^_-)-☆

 

※太田家住宅

いろは丸記念館のすぐ近くに太田家住宅という商家が残されていて見学ができます

薩会同盟により長州藩三条実美ら急進攘夷派の公家たちは京都を追われることとなりました

長州へと落ちのびる7人の公家たち(七卿落ち)は 一時この屋敷に滞在しました

大きな土間の立派なお屋敷です✨

 

音消しの壺!?

昔版「音姫」だそうです

公卿のかたも トイレで使われたのでしょうか...

 

ここが上の間になるので 公家の方々はおそらくこちらに通されたのでしょうね

 

鞆の浦の名産に 養命酒に似た「保命酒」という薬酒があります

焼酎・もち米・麹に13種類の生薬を漬け込んだ薬用酒は「十六味地黄保命酒」ともよばれ 江戸初期に中村吉兵衛によって製造されました

 

明治期に太田家の所有となりましたが ここはもとは保命酒屋中村家で保命酒の製造元でした

三条実美らもここで保命酒をたしなみ 歌を詠まれたそうです

屋敷の裏手に 巨大な蔵が残されていました

こちらが釜屋⤵

蔵の中で薬草が漬けこまれました


ペリー来航の際にもふるまわれ パリ万博にも出品された保命酒も時代とともに先細ってしまいましたが...

鞆の浦には今も4軒の保命酒屋が残っています

目次へ↑

 

 

❼鞆城 と ささやき橋

港から路地を進んで行くと あたりを見渡せる丘がありました

 

夕日に照らされた鞆の浦の町並みが一望できました

中央の丘の上のお寺の屋根は❹龍馬の隠れ家のところで最後に触れた紀州藩の宿舎 圓福寺です

 

この高台には かつて毛利家配下の鞆城がありました

織田信長に追放された足利義昭はここに「鞆幕府」の御所を置きました

のちに広島城主となった福島正則によって修復が行われ 江戸時代には福山藩の奉行所があったそうです

現在は鞆の浦歴史民俗資料館が建っていて城の痕跡はあまりありませんが 本丸の石垣が一部復元されています 

 

鞆城跡を下りて散策していると「山中鹿之介」の首塚がありました

鞆の浦は歴史のるつぼのような町ですね

 

となりにあるのが「ささやき橋」

こちらはずっとさかのぼって 応神天皇の時代の伝説があるようです…

小さすぎて 良く見ないと見落としてしまいます(笑)

目次へ↑

 

 

大変長くなりましたが💦 最後の項目です

❽医王寺 太子殿からの絶景

早朝 鞆の浦と瀬戸内海を一望できる絶景スポットに行ってみました

昼間の人だかりとはうってかわって誰もいない朝の港はすがすがしいです

 

秋の空を映す朝凪の海

鞆の浦のシンボル 常夜燈にて

 

鞆の浦の町の 西の端まで進んで行きます🐾🐾

山に向かって階段を登って行くと…

医王寺に着きました

弘法大師の開基と伝わるこのお寺は 鞆の浦を見下ろす後山の中腹にあります

朝日を浴びる鐘楼が美しかったです⤵

 

仙酔島を借景にした鞆の浦が一望できました(*^^*)

でもこの風景はまだ序の口...

 

さらに階段を登った所に「太子殿」という絶景ポイントがあるのです!

階段は583段あると言われています

45段ほど登ったくらいから階段に数字が表れました

 

ここは「80」と書かれていますね

数字があると励みになります(*^^*)

 

途中からちょっといいかげんな感じになってきました^^;

両側に数字があって1段登ったら2段稼げたり(笑)

500段め⤵

 

ゴールが見えました!

実際に登ったのは 520段くらいだったような気もします(笑)

医王寺 太子殿に到着🚩

そこからの景色は...

 まさに絶景(*^^*)

 

昨日歩いた鞆の浦の街並みを手に取るようです...

 

朝もやに霞む瀬戸内の島々...

右端遠くの島影が たぶん宇治島です

「いろは丸」はあの辺りの海底に今も静かに眠っているのでしょう...

 

目次へ↑

 

 

長い記事を最後まで読んで下さった皆さま

ありがとうございました

 

次は 旧 魚屋萬蔵宅 「御舟宿いろは」のご紹介です

なんと宮崎駿監督がデザインされてリノベーションされたお宿です✨

 

悲しい戦争の記憶を残す島 ... 今はウサギの楽園 大久野島観光のお話

今回訪れる大久野島は 

本州と四国を結ぶ「しまなみ海道」のすぐ近く…

広島県竹原市忠海(ただのうみ)愛媛県の最北の島 大三島(おおみしま)の間に浮かぶ小さな島です

 

大久野島は 周囲4.3㎞の小さな無人島です

(※定住者なし・居住者あり)

 

今は平和な「ウサギの島」ですが…

 

砲台や毒ガス製造施設が置かれた「戦争の記憶を残す島」でもあります

 

前々回に「芸予要塞 小島」のお話をさせていただきましたが...

 

大久野島も かつて「芸予要塞」の構成要素でした

"毒ガス製造"という使命を課せられ 多くの人が動員され犠牲になってしまった悲しい記憶を残す島...

決して忘れてはならないことですが

あまり暗い印象にならないよう毒ガス施設の説明は最低限にさせていただきます

その代わりに癒しのウサギの写真をたくさん盛り込みました🐰

 

今回 目次はありません

長いですが(笑)サラッと読んでいただければと思います(^_-)-☆

 

 

まずは 大久野島へのアクセスについて...

 

すまりんたちは他の多くの観光客と同じように「忠海港」からフェリーで大久野島に渡りました (乗船時間は15分ほどです)

フェリーは 「忠海」ー「大久野島」ー大三島の「盛港」を往復するので 大三島側から渡ってくることも可能です(^_-)-☆

 

忠海

港には無料の広い駐車場があります

 

お土産ショップとカフェを併設した おしゃれなフェリーターミナル✨

ウサギの大時計🕜が目を引きます💛

 

ピンクのポストも映えてますね💗

時計と同じデザインのマンホールもありました

 

店内の自動販売機で 船の切符を購入します

予約制ではないので 混雑時に定員オーバーとなると乗れない場合もあるそうです

早めに桟橋に並ぶのがよさそうですね(^_-)-☆

 

明るい店内にはお土産品がたくさん(*^^*)

ウサギグッズ🐰や瀬戸内レモン🍋関連のものが多かったです

 

大久野島でウサギに触れ合うための「ウサギのおやつ」も販売されています

注)大久野島ではウサギの餌は購入できません

過剰に餌をまくと 残った餌を食べて猪が増え ウサギを襲うのだそう…

あげすぎを防ぐため 島内では販売されていないのだと思います

必ず乗船前に買っておきましょう!

そして 残った餌は島に放置せず持ち帰らないといけません(^_-)-☆

 

すまりんたちは3つ購入しました(※1個200円 中身は同じです)

たっぷり詰まっているので 一人一袋でも十分楽しめると思います(^_-)-☆

残った餌(カラ袋でもOK)をお店に持ち帰ると かわいいウサギのポストカードと交換して下さいます(*^^*)

 

さて 大久野島に出発します!

 

往復乗船券⤵


定員100名の客船と定員300名のフェリー (車載可) が ほぼ交互に運行しているようです

 

かわいいピンクの客船が来ました💗

フェリーの窓にはウサギ🐇がデザインされています

正面に見えるのが大久野島

すまりんたちは およそ20年ぶりの再訪となります!

 

船着き場は観光客であふれていたため 翌朝の写真です

日帰り観光客も多いですが すまりんたちは徒歩10分ほどの 休暇村 大久野島 に一泊しました

 

先にも書きましたが 大久野島の周囲の長さは4.3Km

外周路は3Kmほどなのでゆっくり歩いても1時間かからないくらいです

一般車は走行できません  (※写真はホテルの送迎バス)

レンタサイクルがあり 自転車の通行はOKです🚲

 

 

船着き場からビジターセンターまでの海べりには広いキャンプ場が整備されています

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島には700羽ほどのウサギが生息していますが🐰🐰🐰

日差しを遮るものがないので 日陰に隠れているようです

 

…と思ったら 元気な子が駆けてきました👀

立ち上がって ごはんをおねだりされました(*^^*)💗

 

もうちょっと行った所の日陰にも ウサギさん発見!

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暑すぎて 伸びてる子が多かったです

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柱の陰にも⤵

ベンチの下にも...

 

木陰の涼しい所には 元気な子たちがいました

 

可愛い"もぐもぐタイム"をご覧ください (約20秒の動画です)

噛まれたら怪我をするので手からあげないようにとの注意喚起がありました

あくまでも自己責任なので 真似をしないで下さいね(^_-)-☆

 

「休暇村 大久野島」の公式サイトを見るとモデルコースもいくつかありましたが すまりんたちは主な観光スポットを見学しつつ 翌朝と二回に分けて徒歩で島を散策することにしました🐾🐾

 

時間が前後することもありますが 順にご紹介していきます(^_-)-☆

 

ーーーーーーーーーー

まずは島の南側...

 

大久野島ビジターセンター

入館時間:9:00~16:00 水曜休(1・2月は水・木 休み)

入館は無料でした(*^^*)

 

大久野島の生き物たちが紹介されています

ガラスの床の下には 大久野島の立体模型が...

模型上の各観光スポットにライトが設置されていて

 切り株の上のボタンを押すと光るようになっていました✨

 

階段を下りて 下からも覗くこともできます(^_-)-☆

 

大きな木が壁を貫いていました👀

 

木の下をくぐって地下通路へ...

頭上注意です!

 

地面の中で ヘビやウサギが眠っているのですね

 



大久野島毒ガス資料館

入館時間:9:00-16:00

入館料:150円(18歳以下は50円)

※この奥は撮影禁止でした

 

パンフレットの写真です⤵f:id:aranciarossa:20240122100011j:image

 

「芸予要塞 小島」の記事でも触れましたが...

大久野島は明治期にロシア艦隊の瀬戸内海への侵攻を防ぐために建設された「芸予要塞」の一部でした

芸予要塞は三原瀬戸を守る「大久野島の砲台群」と 来島海峡を守る「小島の砲台群」から構成されていました

後に大砲の性能が良くなり 新たに「豊予要塞」が築かれると 芸予要塞は不要となり棄却されることとなりました

しかし このころ

ヨーロッパを惨禍に陥れた第一次世界大戦では 新兵器として毒ガスが多用されるようになりました

旧日本軍も毒ガス兵器の研究を進めるため ここ大久野島化学兵器の製造拠点がおかれたのです

→棄却された要塞施設が利用できたことや 離島で万が一の場合にも被害の拡散が防げることなどが この島が選ばれた理由なのでしょう

 

以後 昭和4年~昭和20年まで 猛毒のイペリットやルイサイトなどが大久野島で製造されました

資料館には 当時の防護服やガスマスクなどが展示されていました

 

 

大久野島神社

毒ガス製造による犠牲者も祀られているそうです

 

 

大久野島海水浴場

暦の上ではもう秋なのでレジャーを楽しまれているかたは数名でした

 

医務室跡

木は以前に倒れてしまったようで 移設された消火栓だけが残っていました


ここから山道に入ります🐾🐾

階段を登りきった先にある広場に 小さな灯台がありました

 

大久野島灯台

立ち入り禁止区域のため記念撮影のみです(^_-)-☆

 

午後の日差しにきらめく瀬戸内の海がとてもきれいでした

 

夕日の丘

今日みたいな日は すごく綺麗な日の入りが見られるでしょう…

残念ながら ホテルで夕食のため ここまで来るのは無理そうです^^;

 

おやおや ここにもかわい子ちゃん💛

子ウサギっぽいです(*^^*)

 

ここまでも眺めの良さそうな所にはいくつかベンチが設置されていましたが ここが終点のようです

景色も最高でした(*^^*)


このあと 小さな丘を抜けていくと...🐾🐾

本日宿泊する「休暇村 大久野島」の前の広場に着きました

※お宿のお話は次回にさせていただきますね(^_-)-☆


夜に芝生の上を活発に駆け回るウサギたち🐰

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暗くて動画は撮れませんでしたが その速さにびっくりしました👀

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ーーーーーー

早朝6時

すまりんたちは朝食前に島の北部を散策することにしました🐾🐾

 

穴ぼこを掘って寝ていたうさぎたちが ごはんをねだりに起き始めました

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おはよ...

 

歩いているとすぐに かわいいウサギさんに呼びとめられてしまいます^^;

 

二羽同時にごはんをおねだりされてメロメロのすまりん(笑)

 

人が少ない「朝」は うさぎたちを独り占めできます(*^^*)

 

人懐っこいウサギさん💛

ちょいちょい!

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毒ガス貯蔵庫跡

ホテルから北へ向かうとすぐに毒ガスタンクの跡がありました

猛毒で皮膚がただれるびらん性ガス・イペリットマスタードガス)がここに貯蔵されていました

 

朝日を浴びて 瀬戸内の島が赤く染まっています✨

 

テニスコート (休暇村の運動施設) の隣を抜けていきます🐾🐾

20年前はこの道を自転車で走りました🚲🚲

※でも 自転車は苦手なので 今回は徒歩(笑)

吉備路でも転びましたし^^;

 

今回は島の最高所にある展望台に向かいました🐾🐾

 

ざらしの タンクの台座跡がありました

毒ガス製造施設は 戦後占領軍の指示により 毒性をなくすために火炎放射器で焼き払われて徹底的に破壊されました

残っていた毒ガスも土佐沖の太平洋に海洋投棄されたそうです

 

山道をのぼっていきます🐾🐾

 

すぐに見晴らしのよい尾根線に出ました

雲が多いですが 東の空は朝日に染まっています(*^^*)

 

 

ところどころに休憩所が設けられています

 

雨に削られて 道が荒れているところもありました

 

頂上はもうすぐ!

 

こちらが頂上の展望台です

北の方向には回転星座盤が設置されていました

ここは すごく星空がきれいなのでしょうね✨

 

これは三角測量の学習コーナーです

 

 

こちらは島の西側

右側の島は 小久野島(こくのしま)です↗

 

 

歩道を下りるとウサギが集まってきました💛(動画です)

一般車は通りませんが 自転車は通るので広場に誘導🐇🐇

 

最初はもっといたのですがカラスの鳴き声に驚いて逃げちゃいました💧

 

こちらは公衆トイレ

 

さらに奥に進むと 中部砲台跡がありました

中部砲台は 大久野島の山頂付近にあります

芸予要塞時代には6門の28cm榴弾砲が置かれていたそうです

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」でも有名な”日露戦争の旅順攻略”の際に ここから2門の榴弾砲が運び出され勝敗の決定打となりました

 

地下式の兵舎が並んでいます

明治の建築物はなんだか丁寧でモダンにつくられているように感じます

この兵舎は毒ガス製造期には毒ガス製品や原料置き場として使われたそうです

 

兵舎横の階段を上ってみると...


見晴らしの良い広場に出ました(*^^*)

 

おや!黒うさぎさんが出てきました💛

ごはん どうぞ(^_-)-☆

 

少し進むと砲台跡の上に出ました

兵舎の並びに砲台があったようです

(小島砲台のつくりと似ていました)

 

そのまま進むと 島の北側へと通じています

 

高台から島の北端の岬が見下ろせました(*^^*)

向こう岸には本土の忠海(ただのうみ)の町並みが見えています

 

 

ふもとまで下ると 再び砲台跡が姿を現しました

 

北部砲台跡

北部砲台には12cm速射加農砲カノン砲)と 24cm加農砲カノン砲)がそれぞれ4門ずつ配置されていました

弾道が放物線を描く榴弾砲と違って まっすぐな弾道で長距離射撃ができる加農砲カノン砲)は海岸線近くに設置するのに適していました

毒ガス工場があった時代には ここにも大きな毒ガスタンク(砒素を原料とするルイサイト)が置かれていました

のちに砒素汚染が発覚しましたが(←進駐軍の廃棄処分もけっこういいかげんで 適当に埋められていたものもあったようです^^;)土壌の対策工事は1997年には終了し 周辺海水のモニタリングでもヒ素の存在は検出されておらず 今は安全になっています

 

うさぎは『毒ガス実験に使われた生き残りだ』という噂があるようですが 地元竹原の小学校で飼いきれなくなった8匹のうさぎを島に放したところ野生化して増えたというのが真相のようです 

 

少し先へと進みます🐾🐾

トンネルの手前と向こうに 24cm加農砲の砲座が2門ずつ置かれていました

 

トンネル内には砲側庫 (砲台の横にあって弾丸・火薬を格納する倉庫) が...

雨水で水没していました⤵

 

トンネルの向こう側

 

砲台跡に設置された毒ガスタンクの基部

 

観測所や指令所に向かう階段がありましたが 立ち入り禁止でした

 

そうこうしているうちに もうすぐホテルの朝食開始の時刻です!

 

ここは島の北部...

ホテルは南部にあるので 急がないと"一番乗り"できません^^;

海岸沿いを一周するサイクリングロードを慌てて戻ります💨💨

 

...と思ったら「関所」が!

「通りたければ通行料を払いなさいな!!!」


道が荒れて危険な所は 自転車に徐行を促すコーンが置かれていました

ウサギの交通事故も起きているので いつも徐行で🚲お願いします

 

海辺まで下りてきました

 

発電場跡

毒ガス工場の電力は ここに設置されたディーゼル発電機で発電されました

※足りない電力は本土の忠海から海底ケーブルも敷設されてまかなわれていました

太平洋戦争末期には 女子動員学徒によって 風船爆弾の気球の製作場としても使用されたのだそうです

 

遠くから視線を感じました

ウサギさんはどこにでも出現して通行料を徴収します💗

 

発電所を守るためか 周囲には土塁がめぐらされて出入り口はトンネルになっていました

 


芸予要塞時代の桟橋

当時はこの桟橋に 向かいの忠海港からの船が着いたのだそうです

ここは軍事機密の島だったので 向かいの忠海を通る呉線🚃は列車の鎧窓を上げて目隠しが命じられていたそうです

 

船着き場に戻ってきました

ホテルまで あと少し💨

 

時間ギリギリですがうさぎ耳集音器を見つけてしまいました^^;

 

スマホをセットできるようになっていたので記念写真を撮りました

音は...!?

耳をすますのを忘れてました(笑)

 

朝食バイキングの一番乗りはかないませんでしたが たくさんのウサギと触れ合えたのでよかったです(*^^*)

 

チェックアウトの間際にホテルの売店で購入したソフトクリーム

その名も ウサギのはなくソフトクリーム 

大きな「はなく〇」役は ココアピーナッツです(^_-)-☆

 

 

本土側 忠海に戻ってきました

 

ホテルに置いてあったプチ・スタンプラリーと ウサギの餌(こちらで購入したものに限ります)の袋を提出すると かわいいハガキに交換して下さいます

 

プチ・スタンプラリーの景品ハガキ✨

餌の袋の返礼品(1袋につき1枚)⤵

 

ウサギに癒されたいひと🐰🐰🐰

大久野島は おすすめのスポットです!

 

 

次回は 

宿泊施設「休暇村 大久野島」のお話です(^_-)-☆

尾道散歩〜千光寺と猫の細道〜

すまきとすまりんは 尾道 にやってきました

尾道は瀬戸内海に面した情緒あふれる街で 観光地としても有名ですね

 

まだ暑い盛りですが 山の中腹にある千光寺に参拝に行こうと思います(^_-)-☆

尾道は猫が多いことでも有名です🐈🐈🐈

千光寺まではケーブルでも上がれるのですが すまりんたちは猫を探しながら歩いて行くことにしました🐾🐾

 

国道2号の向こうは山陽本線です🚃

高架下の階段を進むと「天寧寺」というお寺がありますが 今回は時間がないのでパスして 左方向に進んで行きました←←

 

少し行った所に 踏切に続く階段がありました

 

ここからはじまる階段が「千光寺通」です

 

途中 階段が途切れましたが 先にまた階段が見えています

 

さっきからずっと辺りを見回しているのですが 猫はいないようです^^;

 

きっと暑すぎるから 日陰で寝ているのでしょうね

 

階段は続きます…

 

平山郁夫画伯のスケッチポイントがありました!

写真ではこんな画角でしょうか⤵

この塔は先ほど名前が出てきた「天寧寺」の三重塔です

 

階段の上から ふり返ったところ…

この時は まだ猫はいませんでしたが…

  ⇩ ⇩ ⇩

帰りに見ると ひさしに猫さんが💛

 

とても眺めの良い場所に出てきました(*^^*)

 

もう少し坂を上がると またまたスケッチポイントがありました✨

 

写真を撮って 少しトリミングして見ました(^_-)-☆

もうちょっと左から かな??

 

三重塔の向こうを ロープウェイが行き交っていました

 

ここから千光寺の境内のようです

※階段の上に駐車場がありました

 …ということは 車でも上って来られるようですね

 

毘沙門堂

 

すまりんの後方の階段を上がった所に千光寺の本堂があります

 

青空に映える本堂✨

ここから ペットはケージまたは抱っこにて同伴できます

すまりんたちは 今日もちいさな須磨と一緒です(^_-)-☆

ちいさな須磨は2022年にお空にいった愛猫の分身です

 

階段をのぼって 本堂へ…

 

本堂の裏には奇岩が迫っていました👀

本堂をお参りしたあとで 行ってみたいと思います(^_-)-☆

 

本堂からは 尾道の街並みが一望できました(*'▽')

すまりんの肩はまっすぐだから 乗りやすいにゃ💛

対岸は「向島」という島です 

間に挟まれた「尾道水道」は 古来から瀬戸内航路の要所として栄えました✨

 

境内を散策してみます(^_-)-☆

 

本堂の下をくぐります…

 

 

玉の岩

 

本堂の上には 岩山がそびえています

 

「御船岩」の看板がありました

上に見えているのはロープウェイの鉄塔です

 

梵字の刻まれた巨岩の横を通り抜けます

 

こちらが大師堂

 

先ほどの「玉の岩」の直下です⤵

 

さらに奥に進むと 鐘楼がありました

鐘を打つ須磨

 

ここからの景色も素晴らしいです(*^^*)

 

大師堂からさらに奥に進むと「鏡岩」がありました

岩の表面が鏡のように丸く削られています

 

道は上り坂となり「文学のこみち」の石碑がありました

 

多くの有名人が愛した場所だったのですね…

林芙美子の「放浪記」や…

志賀直哉の「暗夜行路」も尾道が舞台となっています

 

坂道を登り切ったところに ロープウェイの山頂駅と展望台が見えました

すまりんたちはロープウェイには乗らないので引き返します🐾🐾

本堂脇から鎖行場に行ってみました

 

石鎚山鎖行場」と書かれた看板があります

 

石鎚山にはむかし登りました

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鎖場も経験しましたので⤵

 

もちろん 今回もチャレンジします(^_-)-☆

階段を上った所⤵

夫婦岩」という巨岩が まず目に入りました

奥に「男鎖」のルートがありましたが そちらは閉鎖されていました

 

「女鎖」のルートが復元され 登れるようになっていました

 

男性の2人組がのぼっておられたので看板を見ながら待ちました

ところが すごくゆっくりで ^^;

体力ない人なのかなぁ…なんて思っていたら(笑)

 

実際登ってみると これがけっこう難しいのです^^;

岩はあまり凹凸がなくて足をかける場所がなく 鎖はぶらぶら動いて姿勢が定まりません💦

踏ん張れないので上半身の力でよじ登らないといけなくなりました^^;

(写真のすまきの左足は安定してなくて 腕を使って登っています)

 

ようやくすまきの左足が鎖に乗りました!

クリア✨

前を行く男性もなかなか進まないようで この時点でまだ片足が見えていますね^^;

 

すまりんも このあと なんとか 登りました^^;

※すまきは見守りに徹していたので すまりんの写真はありません

 

さらに 次の鎖が待っていました💧

 

要領は何となくわかったので 今度はすまりんが先に登りました(^_-)-☆

でも  長い鎖がすごく不安定…

どこに重心を置いたらいいのか分からず^^;

このあと ようやくクリア!


すまきも登ってきました



下を見たら お尻がきゅってなるくらい怖かったです^^;

実は高所恐怖症な すまりんです^^;

 

へっぴり腰で写真を撮るすまりんを すまきが撮ってました(笑)

 

 

背後には 最後の鎖が待っていました!

別のかたが登っておられるところです↗

上の写真でも分かるように足がものすごく不安定になるんですよね^^;

 

すでに変な格好ですが(笑) 今回も すまりんが先に行ってます

『すまりん ファイトにゃ!』

『ファイト…』

 

ちいさな須磨の応援もあって 無事登り切りました(^_-)-☆

 

ミニ石鎚山の頂上には 小さな祠がありました

 

すまきとちいさな須磨も上がってきました

まさに絶景✨

 

あとで気づいたのですが…

「最後の鎖」を登りたくなければ 横から回ってくることもできました!

 

下りは普通に山道を下って行きます🐾🐾

途中から墓地になります

 

下りてきて 岩を見上げた写真です


すまりんたちは 三重の塔の見える「千光寺通」へと戻っていきました

階段を下ると 三重塔の前に出てきますが 近すぎるうえに逆光でうまく写真に撮れませんでした^^;

塔は遠くから撮る方がいいですね(^_-)-☆


塔の横に 階段の小径がありました

その名も「猫の細道」🐈

ここは 宮沢賢治と縁がある フランス生まれの芸術家 園山春二が創り上げたイーハトーヴ(=宮沢賢治が掲げる理想郷)なのだそう✨

「猫の細道」と聞けば 松尾芭蕉の「奥の細道」を連想しますよね...

宮沢賢治の出身地 岩手も関係する「奥の細道」をもじって「猫の細道」と命名されたとのことです...

200mほど続く細い路地ですが…

いたるところに猫が描かれた丸い石がありました

これらは「福石猫」と呼ばれていています 

園山によって生み出される猫だそうで それぞれ個性があります

 

壁にも猫のアートが…

何やらネコだらけです💛

カフェがありました⤵

蔦が絡んで趣のあるカフェです✨

 

階段猫アート

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猫に餌やりをされている地元のお店のかたに出会い お話を聞くことができました

暑い時期は陰で寝ているから 猫を見たいなら朝の6時ごろに来るとよいとのことでした

今時分は 1〜2匹会えたらラッキーだよ!とのことで…

猫を6匹飼われているというお家の場所を教えて下さいました

 

さん見っけ!

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毛並みのきれいな三毛ちゃんでした💛

 

三毛ちゃんは「招き猫美術館」へ入っていきました

※すまりんたちは入りませんでした^^;

 

「猫の細道」はもう少し先まで続いています

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猫たちの紹介がされていました

 

このあたりに猫が多いらしいのですが…

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いました!!

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「にゃんか用?」f:id:aranciarossa:20230927092049j:image

 

結局「猫の細道」で出会えたのは2匹でしたが 

「1〜2匹会えたらラッキー」と聞いていたので まぁ良しとします(^_-)-☆

 

先に書きましたが 帰りにこちらの猫さんにも会えましたし(*^^*)

 

 

現在10時50分

お昼にはまだ早めですが 人気のラーメン店に並びにいきました

 

こちら 尾道ラーメンの名店だそうで 10時半開店ですが すでに行列ができていました

尾道ラーメン専門店 丸ぼし尾道市土堂)

 

待つこと20分ちょっとで店内に入ることができました

 

券売機で食券を購入します

定番の尾道ラーメンと すまきは追加でじゃこごはんを注文

 

テーブル席とカウンター席があり すまりんたちはテーブル席に案内されました

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じゃこごはん 尾道ラーメン

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瀬戸内産のじゃこが使われているのでしょうね
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ふわふわで美味しかったそうです

 

尾道ラーメンはちょっと濃い目の醤油味で 背油がたっぷり✨

麺は お店のオリジナルの"ちぢれ麺"で スープに絡みやすくなっています

スープも 地元瀬戸内の醤油を使用し 小鯛をベースに瀬戸内の小魚でしっかり出汁をとっておられるそうです

 

お店を出ると さらに長い行列ができていて びっくりしました

周辺にラーメン屋さんはいくつかありましたが

行列ができているお店と そうでないお店がありました

空いているお店のラーメンも きっとおいしいと思うのですが「行列が行列を呼ぶ効果?」もあるのかもしれませんね

 

丸ぼしさんのラーメンも美味しかったけど 

機会があれば 他のお店のも食べ比べてみたいと思いました

 

 

すまりんたちは尾道をあとにして 大久野島へ向かいます

 

次回は大久野島の観光のお話です🐰